十三日
13日/14日
次の日、僕たちは人目を避けるように朝早くに行動を開始した。
一応顔を隠すために帽子などを被せてみたが、頭なのか目なのか分からないものの上にバランスよく乗るものが見つからず、結局物置にほっとかれていた大きめの麦わら帽子をかぶせた。
「毛が無いけど、麦わら帽子チクチクしない?」
僕は悪意無く純粋に思ったことを聞いてみた。
クラージュは麦わら帽子を気に入ったのか、鍔を両手で掴んでジロジロ眺めていた。
「チクチクしない。これ、涼しい。良い」
他の衣類は肌荒れしていたけど麦わら帽子は意外にもチクチクしないのか。なんて感心しながら、肩紐のついている水筒をクラージュに頭かぶせて、あるのかないのか分からない肩にかけた。
朝6時、僕らは家を出た。
父はこの時間には既に家に居ないので誰の目にも触れないまま僕たちは山に向かうことが出来た。
昼間は35℃を超える耐えがたい暑さだが、朝は30℃を超えていても比較的涼しく感じる。
僕はご近所さんに顔を見られないように帽子の鍔を手で少し下げた。
家から近いので山にはすぐに着いた。
「この山が、君を見つけた山だよ」
「自分の船、ある?」
そういえばクラージュが乗ってきたロケットはあの後どうなったのだろうか。
僕も気になったので、クラージュを見つけた場所に向かった。
あの日は大雨で視界も悪く無我夢中で歩いていたので、ほとんど道を覚えていなかったが、感覚で進んでいたらなんとかたどり着けた。
あの日に比べて足場はぬかるんでいなかったが、日頃の運動不足が祟って少しの山登りでさえ僕には過酷なものだった。
「つ、ついたぁ……」
僕はパーカーの袖で顎から伝う汗を拭った。
「自分の船……」
クラージュは目の前に現れたロケットに向かって走り寄って、外装を細々と確認しだした。
ロケットの知識は僕にはないので、何も手伝えないから近くの岩に腰かけてクラージュの姿を眺めていた。
肩からかけた水筒が少し邪魔そうに見えたが、クラージュは落ちないように必死に抱えていた。
僕はリュックに入れた水筒とタオルを取り出してロケットの点検が終わるまで休憩することにした。
どれくらい時間が経ったのか分からないが、ロケットから何回か起動音がしてからクラージュが降りてきた。
「どうだった?動きそう?」
僕は岩から動くことなくクラージュに聞いた。
「動く。大丈夫」
その返答を聞いて僕はほっとした。
「それは良かった。これで帰りは確保できたな」
「うん」
クラージュは僕の横に来て、同じ岩に背中を預けた。
クラージュの足の短さではこの岩に腰かけられなかったようだ。
「……。」
「……。」
山登りの疲れなのか、夏の暑さのせいなのか沈黙が続く。
「朝ごはん食べよっか」
先に沈黙に我慢できなかったのは僕の方だった。
時間も丁度よかったので、朝ごはんを提案した。
「うん」
僕たちはリュックから持ってきていたブルーシートを取り出してロケットの近くに敷いた。
ブルーシートに二人で向かい合って座り、リュックから更に朝二人で作ったサンドイッチを取り出した。
バスケットなんておしゃれなものは家にはないのでラップに包んでタッパに入っている。
二つのタッパのうち一つをクラージュに渡した。
指が四本しかないからなのか、初めてサンドイッチを作ったからなのか、クラージュに渡したタッパの中に入っているサンドイッチは形が歪で具も溢れだしている。
僕の家に母親はいない。
父も仕事でほとんど家を空けているので僕は日頃から料理をしている。
だからこそ料理には少し自信があった。
見た目だけで言えばお店に並んでいても違和感が無いと自負できるほど今回のサンドイッチの出来は良かった。
比べる相手のサンドイッチが歪すぎるのも自分のサンドイッチの出来が良く見える原因の一つかもしれない。
僕たちは特に会話することなく黙々とサンドイッチを食べていた。
思い返してみればこれまでの二週間弱もご飯を食べるときは特に会話をしてこなかった気がする。
僕自身も物心ついた時から一人でご飯を食べていたのでご飯中にどんな話をすればいいのか分からない。
だからなのかご飯を食べるときは静かな方が落ち着く。
騒ぎながらご飯を食べているクラスメイトがいる教室では落ち着けないので、僕は一人トイレの個室で食べるかそもそも食べないかの二択だった。
風で木々の揺れる音や鳥のさえずりなどが響いて、気持ち涼しく感じる。
「清々しいなぁ」
僕がふと声を漏らすとクラージュは食べる手を辞めて僕の真似をして空を見上げた。
「すがすがしい」
クラージュは僕の言葉も真似する。
チラッとクラージュの方を横目に見たら頬にサンドイッチの具材が付いていた。
「ふふっ。クラージュ、ほっぺに卵付いてるよ」
僕はクラージュの頬に付いた卵を指で拭き取った。
クラージュはそれを見て更に自分の手で頬を拭った。
「この後どうしようか」
僕は最後のサンドイッチを食べ終えて水筒の水で口の中を濯いだ。
「上は?」
クラージュの言う上とはきっとこの山の頂上の事だろう。
僕は更に山を登ることを想像して眉間に皴を寄せて少し考えたが、クラージュが気になるというのなら行くしかないだろう。
クラージュに地球を気に入ってもらうためにもクラージュのやりたいことは全て叶えるつもりだ。
「もう少し休んだら行こう!」
僕の返答にクラージュは光の無い目を少し輝かせた。
クラージュは手に持っていた最後のサンドイッチを思いっきり口の中に詰め込んだ。
無理矢理詰め込んだせいで喉に詰まったのか胸のあたりを叩いて慌てていた。
僕はその光景にほのぼのとした気分になりながら、クラージュに持たせていた水筒を開けて付属のコップに注いで渡してあげた。
クラージュはそれを一気に飲み干してから一息吐いた。
「馬鹿だなぁ。そんなに急いで食べなくてもサンドイッチは逃げないぞ?」
僕は差し出されたコップに更に水を注ぎながら言った。
「違う。早く、上、行きたくて」
クラージュは注がれた水を更に飲み干してから行った。
「そんなに楽しみ?」
「たのしみ?それは知らない。でも、気になる」
クラージュは僕にコップを渡して、代わりに僕が差し出したおしぼりを受け取って口と手を拭いた。
「そっか。クラージュが気になること全部しよ。地球を征服されると僕が困るから、クラージュが地球を好きになってくれるように」
僕はコップを水筒に戻しながら言った。
「ヤマダ、この星好き?」
「……。うん」
僕はクラージュの質問に少し間を開けてから答えた。クラージュの目を見ることは出来なかった。
「好きになる、自分のものにしたくなる。もっと征服したくなるかも」
それを聞いて確かにそうかもしれないと僕は納得した。
「でもさ、征服したら色々変わっちゃうから好きになった地球が無くなるかもしれないよ?だったら、そのままにしてたまに遊びに来るみたいな方が良いんじゃないかな?」
僕は未だに顔を上げられずに蓋をした水筒を見つめながら言った。
少し待ったが返事が無くて僕は目線だけでクラージュを見た。
クラージュは悩んでいるのか眉間に皴がより困り顔みたいになっていた。
あの日僕が色眼鏡で見た困り顔も実は悩んでいただけなのかもしれない。
「それも、そう、かも?もう少し、考える、みる」
クラージュは困り顔を辞めて答えた。
「そろそろ上に向かおうか」
クラージュと目が合ったのが気まずくて僕は目線と話を逸らす。
僕たちはタッパとブルーシートをリュックの中に戻した。
リュックを背負い直して頂上に向かって進みだした。
「はぁ、はぁ。やっと頂上か……」
僕たちはあれからノンストップで山を登った。
クラージュは体力に限界が無いのか足取りの重い僕を置いてスイスイと登っていく。
目の前の木の隙間を抜けると、目の前に一気に景色が広がる。
先程まで木陰で少し暗い場所を歩いていたので、いきなり広がった眩しい景色に目を細める。
少しずつ瞼を持ち上げるとそこには、僕の視界には収まりきらないほどの世界が広がっていた。
僕の住んでいる町全てがそこに広がっていた。
「す、凄い……。こんな風になってたのか……」
僕は柵が建っているギリギリまで進んだ。
策に手を置いて景色に魅入っていると風が吹いた。
汗が冷やされて火照っていた体が少し冷めた気がした。
「あぁぁ……。涼しい。気持ちいいなぁ」
僕は瞼を閉じて肌で自然を感じた。
「ヤマダ、ここ、初めて?」
少し瞼を持ち上げて声のする方を目だけで見ると、クラージュが僕を見上げていた。
「うん。初めて。僕、友達いないから外で遊ぶことが少なくて。最近は本当に暑いし、家の中にいる方が快適だしね」
僕は少し自虐的に言った。
「ヤマダ、友達いない」
「ふふっ。そこは別に覚えなくていいよ。それに、いないんじゃなくて敢えて作らないの」
僕ははにかみながら強がりを返した。
クラージュも柵に手をかけて僕の真似をして景色を眺めていた。
小学生程しか身長の無いクラージュには柵が高かった様で、少しつま先立ちになっていた。
「クラージュ、気持ちいいね。風も、景色も」
「うん。きもちいい」
途中の山登りはきつかったが、ここに来て良かったと僕は思った。
「ヤマダ、あれ何?」
「ん?」
クラージュが指さす方を見ると、そこにあったのは民家のベランダに吊るされている風鈴だった。
「あれは風鈴だね」
「ふうりん?」
クラージュは指さしたまま顔を僕に向けた。
「そう、風鈴。夏の風物詩の一つだね。風が吹くと中にあるガラス棒がぶつかって綺麗な音を出すんだよ。その音を聞いて涼しさを感じるんだ」
「風鈴。音。涼しい」
僕の説明の中で聞こえた単語をクラージュは繰り返していた。
「気になるの?」
僕はクラージュの方に向き直り聞いた。
「少し」
クラージュも僕の方を向いて答えた。
僕は少し考えてから物置に昔使っていた風鈴があるかもしれないと思った。
「クラージュ!帰ろ!家に風鈴あるかも!」
「風鈴ある?帰る!」
僕たちは早速家に帰ろうと来た道を戻ることにした。
登って来た時に比べて、帰りは下りなので行きよりも早く家に着いた気がした。
こんな暑い中外を出歩いている人はあまりおらず、誰にも怪しまれることなく帰ることが出来た。
どちらかというとクラージュよりも僕がご近所さんに冷たい目で見られていたような気さえする。
「ヤマダ、あった?風鈴」
僕が熱の籠った暑い物置の中で風鈴を探していると外からクラージュの声が聞こえた。
「ん~、もうちょっと待って~」
暑さのせいか僕の声は間延びしていた。
少しでも物を動かせば一瞬で物置の中一面に砂埃が舞う。
マスクを着けていて良かった。
日頃から人目を避けるために着けていたマスクだったが、今回はやっとマスクの本来の使い方が出来ている気がした。
そんなことを考えていたら、それらしい木箱を見つけた。
お金だけはある家なので大体家にあるものは高級そうである。
それらの価値を僕の目では見定めることは出来ないので僕の偏見ではあるが。
「クラージュ~、あったよ~」
僕は物置から顔を出して言った。
外の風が気持ちいい。
クラージュは僕の声に反応して縁側から飛び降りて、光の無い目を輝かせながら走ってきた。
しかし、僕の手にある埃の被った木箱を見るなり首を傾げた。
「これの中にあるよ」
僕は物置の扉を閉めながら言った。
「中に……」
早く中を見たいのかクラージュは少しソワソワして木箱を色々な角度から眺め始めた。
僕は縁側に座ると、隣にクラージュが座ったのを確認してから木箱を開けた。
蓋の下はクッションとして厚手の紙が挟まっていた。
蓋を開けたら現物を見られると思っていたのか、クラージュは再度首を傾げた。
「ふふっ。この下だよ」
僕がそう言うとクラージュの光の無い目は再度輝きだした。
「行くよ?」
僕はそう言いながら紙を除けた。
中には青いグラデーションがかかった透明のガラスの風鈴が顔を覗かせた。
「さっきのと違う」
箱の中の風鈴を見てクラージュはきょとんとした顔をした。
「風鈴は色んな色や柄、形のものがあるんだよ」
「じゃあ、これも風鈴?」
「そうそう。これも風鈴」
風鈴のガラス部分を指先で軽くツンツンしながらクラージュは確かめる様に言う。
僕は箱から風鈴を取り出した。
その時、中のガラス棒が少し当たったのかチリンと高い音を奏でた。
「音!」
その音にクラージュは大きな反応を見せて光のない目を輝かせた。
「綺麗でしょ?僕はこの音が好きだった。父さんは嫌いだったみたいだけどね」
僕は風鈴を玄関で最後に見た日の父の顔を思い出しながら言った。
「綺麗。とおさん、音、嫌い?」
「うん。風鈴を物置に片したのは父さんだからね」
僕は風鈴を撫でながら言った。
「じゃあ、風鈴、出さない方がいい?」
クラージュの問いに僕は少し考えてから「大丈夫だよ。きっと」と、答えた。
夜遅くに帰って来て着替えを済ませたらすぐに出て行く父はきっと風鈴の存在にさえ気づかないだろう。
「違う音」
「ん?」
僕が風鈴を部屋のカーテンレールにでも吊るそうかと考えていると、クラージュが何かを言った。
「違う音ならいい?」
クラージュが言いたいことがなんとなく分かったので、僕は素人でも風鈴は手作り出来るものなのかと考えた。
「やるだけやってみる?」
「うん」
僕の提案にクラージュは頬を染めた。
案外クラージュは風鈴を作ってみたいだけなのかもしれない。
きっとこの風鈴を飾っても問題ないのだろうけど、クラージュがやりたいと言うのならやろう。
僕は風鈴を箱に戻してクラージュと一緒に縁側から家の中に入った。
いつもは近寄ることもない父の書斎の扉を開けて中に入る。
なんだか悪いことをしている気分になる。
僕は父のパソコンを借りて自分のアカウントに切り替えてから風鈴の手作り体験をしている工房があるかまず調べた。
少し遠いが電車で行けないわけではない距離に体験者募集している工房があった。
「どうする?自分たちで一から作れるみたいだけど……」
僕は横で目だけ見えているクラージュに聞いた。
「行きたい!」
クラージュは目だけで僕を見て言った。
「そっか。じゃあ、行こうか」
お金だけはあるので、僕はすぐに予約を取った。
一番直近で三日後に予約が取れた。
「楽しみだね」
「うん」
僕は念のために履歴を消してログアウトしてからパソコンを落とした。
予約の際に登録した僕の携帯アドレスに工房から予約完了のメールが届いた。
メールの詳細を確認した後、僕は今時珍しいガラケーをポケットにしまった。
特に人と関わることもない僕には十分な代物だ。
夜、僕たちはどんな風鈴を作りたいか話しながら眠りについた。
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