第1話
次の日、学校から帰宅すると僕の部屋から物音がした。
急いで部屋に入ると、昨日の夜から今日の朝まで全く物音のしなかった押し入れの扉が激しく揺れていた。
僕は好奇心と恐怖が入り混じった緊張を押し殺し、平常心を保っている雰囲気だけを醸し出して押し入れの扉に手をかけた。
スゥ¬————————————。
静かに扉を開くと、昨日拾ったそいつは手足に結ばれたビニール紐を外そうと必死に動かしていた体を止めた。
ゆっくりと振り返るそいつは僕の存在を確認すると、途端に再度暴れだした。
塞いでいなかった口からは悲鳴のような威嚇の様な音が発せられた。
近所の人が向けてくる嫌そうな迷惑そうな顔が脳裏を過り、僕は咄嗟にそいつの口と思わしき場所を手で塞いだ。
いきなりの事に更にパニックに陥ったのかそいつは更に暴れた。
意外と力が……。
勢いに負けそうになるが僕はこいつより近所の人の目の方が怖かった。
振り払われないように更に力を込めて口を押さえた。
少しするとそいつは静かになった。
僕は殺してしまったのではないかと不安になってゆっくりと手を離した。
僕はそいつに覆いかぶさるような姿勢で顔を覗き込む。
そいつは目から涙をこぼしていた。
「な、泣いてるの?ごめん、苦しかった?痛かった?」
僕は罪悪感からそいつに静かに聞くと、そいつは静かに首を振った。
驚いた。こいつはこの形で人間の言葉が分かるのか。
「じゃ、じゃあ、どうして泣いてるの?」
僕は覗き込むのを辞めて、そいつの背中に質問をぶつけた。
「こわ、か、た。起きたら、こんなとこで……」
そいつは嗚咽交じりに言葉を必死に紡いで答えた。
そいつの声は不思議な感じがした。
口は開いてるはずなのに発せられたものは声としてではなく、音として直接脳に響いているような感覚だった。
「ご、ごめん。昨日、君の事を拾ったけど連れて帰ってから少し怖くなって縛らせてもらった。外すから、ちょっと動かないで」
僕は昨日あったことを説明しながらそいつの手足に結ばれたビニール紐を外した。
最初に比べて固結びになっていたのはこいつが暴れだしたせいだろう。
そいつは縛られていた腕をこすりながら上半身を起こした。
「あ、ありがとう」
「あ、うん」
縛った犯人は僕だったから感謝されることに罪悪感を覚えた。
「僕は山田。山田勇気」
僕はこの名前が死にたくなるほどに嫌いだった。
山田なんてありふれた苗字も、名前負けしている勇気なんて名前も。
鏡を見るたびに名前負けしている自分の容姿に怒りを覚えた。
親の期待に応えられていないような、この名前を名付けた親を裏切っているような、そんなプレッシャーと罪悪感を無意識のうちに己に押し付けていた。
「ヤマダ。ヤマダユウキ」
そいつは僕の名前を復唱していた。
まるでロボットがデータを記録しているような雰囲気を感じた。
「そう、山田。君は?」
僕は敢えて下の名前を言わずに返事した。
「じ、自分は、クラージュ。兄たちにはそう呼ばれてた」
「クラージュ。かっこいい名前だね」
呼ばれていたということは固有名詞じゃなくて個体認識番号みたいなものなのだろうか。
深いことを聞くと色々と面倒臭そうだから僕はそいつの文化には口を出さないことにした。
「クラージュは昨日、どうしてあの山にいたの?」
押し入れの中をキョロキョロと見まわしている目の前の宇宙人に僕は聞いた。
彷徨わしていた目線が僕を捉えた。
「自分は、兄たちに認められたくて、ここに来た。ひとつでも星を制圧出来たら、自分も強いと、兄たちも認めてくれると思って……。でも、昨日、この星のやつに攻撃されて墜落した」
昨日、山にはこいつしかいなかった。
誰かがこいつに気づいて撃ち落としたなら警察や自衛隊が出動していてもおかしくないが、いとも簡単に連れて帰って来れたので、きっとこいつの存在には僕以外は気づいていないはず。
「攻撃されたって、誰に?」
僕が訝しげにクラージュを見ると、クラージュはいきなり興奮したように早口で話し出した。
「凄い早い電気の武器を持ってるやつ!!!あんな武器、自分の世界にもない!!!自分はあれが欲しい!!!」
目を輝かせて熱く語るクラージュの話を聞いて、僕は一つの答えにたどり着いた。
昨日僕も見た。音よりも先に光が襲ってくる現象を。
「クラージュ。それは雷だ。誰かに襲われたわけじゃなくて、ただの自然現象だよ。君は高いところを飛んでいたから雷に当たったんだよ」
「カミナリ?」
僕が説明するとクラージュは不思議そうな顔で僕を見返してきた。
「そう、雷。僕は馬鹿だから詳しくは分からないけど……。と、とにかく、それは誰かに襲われた訳じゃないんだ」
「カミナリ」
僕の説明を聞いているのかいないのか、クラージュは静かに雷と繰り返していた。
「なぁ、クラージュ?星を制圧しに来たってことは、君はこの世界に危害を加えるつもりなの?」
僕が聞くとクラージュは足元を見つめていた視線を僕の方に向けた。
「そのつもり。そのために言葉も覚えた」
クラージュが日本語を話せている理由が分かった。
「そっか。他の星じゃ駄目なの?」
ぶっちゃけ僕は地球がどうなろうと知ったことは無いが、父の足を引っ張るようなことをするのは嫌だった。
地球が滅ぶことになったらご近所さんにもきっと嫌な目を向けられる。
「他の星でもいい。たまたまここにたどり着いただけ」
「じゃ、じゃあ……」
「でも、これから他の星を探すのは面倒」
宇宙人はそんな適当な理由で一つの星を滅ぼすのか。
「でもさここ、いい星だよ?やっぱりやめない?」
僕の問いにクラージュは僕の顔を凝視した。
その目は凄く大きくて、白目が全く見えない。
視線で相手に動きを読まれないようにするために白目が見えない動物みたいだ。
「ヤマダ、いい奴。でも、自分には関係のない事」
その返答に話が通じないかもしれない恐怖を感じてこめかみから一筋の汗が垂れた。
汗はエアコンの風に触れてすぐに冷たくなる。
「あ、のさ、僕が、この星のいいところ、いっぱい紹介するからさ、気持ち変わったらやめてみない?」
自分自身でも何を提案しているのか分かっていなかったが、どうしても目の前にいる正体不明のこいつより父やご近所さんに嫌な顔される方が遥かに怖い気がしたのだ。
「分かった」
クラージュは少し考えてから頭を縦に振った。
「本当に!?」
僕は勢い余ってクラージュの手を握った。
「うん。ヤマダ、いい奴。命助けてくれた。だから、一回だけ言うこと聞く」
昨日こいつを拾ったのはただの好奇心だったが、命を救われたと勘違いしているのなら申し訳ないが利用させてもらおう。
僕の背後から僕を睨みつけていた父やご近所さんの幻影が消えた気がした。
一安心だ。
僕は握っていた手を見た。
クラージュの手首にはビニール紐の擦れた跡が残っていた。
学校が終わると僕は我先に教室を出て帰路についた。
三日前までは家に帰っても誰もいないし、早く帰らなければならない予定もなかったので遅くまで教室に残って読書をしていたのに、今日は家に帰るのがなんだか楽しみに感じられた。
7月という真夏の中、走って家に帰ったので僕の体に汗でワイシャツが張り付いていた。
気持ち悪さを感じたが、今はそれよりも早くあいつに会いたい気持ちの方が勝った。
胸に手を当て、玄関前で深呼吸をして呼吸を落ち着かせてから僕は玄関の扉に手をかけた。
開けた玄関の隙間から温かい籠った風が吹いた。
開いた少しの隙間から体を滑り込ませて中に入ると、すぐに扉を閉めて玄関に鍵をかける。
すでに習慣になっている手洗いを無意識に済ませてから僕は急いで階段を登る。
部屋の扉を開けると、そこには何もいなかった。
「え?」
僕は肩にかけていた鞄を勢いよく床に落とすと、部屋全体をもう一度見まわす。
やはりあいつはいなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ……。話が違うじゃないか……」
僕は裏切られた気持ちとあれを失った焦燥感にかられた。
そして、もしもあいつが地球を制圧しようと行動に移していたら、僕は父やご近所さんに冷たい目を向けられて制圧後の助け合わなければいけない環境で僕だけが……。
想像しただけでおぞましい。
なんだか息が苦しくなって僕はその場に座り込んだ。
どれだけ時間が経ったのか分からないが一向に僕の呼吸が落ち着くことは無かった。
後ろに……いる……。
背中に僕を冷たい目で見降ろす父やご近所さんの気配を感じる。
整わない呼吸のまま僕は意識を手放した。
「うっ」
おでこに冷たい感覚がして僕は意識を取り戻す。
僕はどれくらい眠っていたのだろうか?
重たい瞼を少しずつ持ち上げると目の前は真っ暗だった。
「父、さん?」
視界を遮る冷たい感覚の正体を目の前からどかすと一気に視界が広がった。
電気が点いていなくて良かったと心から思った。
目が暗闇に慣れ始めると僕は上半身を起こした。
父さんは僕が体を起こすのを手伝うように申し訳程度に背中に手を添えてくれた。
「あり、がと」
僕は右手に持っていた濡れたタオルを返そうと気配の方に振り返った。
「あ……」
振り返った先にいたのは父ではなく、クラージュだった。
「トオサン違くて、ごめん」
クラージュが申し訳なさそうに俯いた。
「ぼ、くの、方こそ、ごめん」
先程クラージュに感じてしまった思いに申し訳なくなって僕は咄嗟に謝った。
当たり前だが、クラージュはなんのことか分かっていないようで頭を傾げた。
「ヤマダ、なんで謝る?」
「いや、帰ってきたら君が居なくて……。裏切られた気持ちになったから。そういうわけじゃなかったって分かって申し訳なくなって……」
僕はタオルを取ろうと宙に浮かされたままになっていた指が4本しかないバランスの悪い手を握りしめた。
「ヤマダ、勘違いさせた。自分こそごめん」
クラージュも細い指で力なく握り返してきた。
その行動は意図したものなのか反射なのか今の僕には分からなかった。
「でも、どこに行ってたの?部屋にいなかったよね?」
僕は夕方の事を思い出して聞いた。
クラージュは少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「暑かった。空気が苦しくて、水を求めて、家の中を探した。下の奥に水あった」
あぁ、やはり僕の勘違いだったのか。
真夏に閉めっきりにした部屋では宇宙人も熱射病になるようだ。
「ごめん。気が回らなくて、いつもの癖で窓閉めきっちゃってた」
僕は目なのか頭なのか分からない部分を優しく撫でた。
「自分、驚いた!部屋に戻ったらヤマダ、倒れて苦しそう!水必要、思って、持ってこようとしたけど運べなかったから、これに染み込ませた!もう、大丈夫?」
クラージュは台所にあったであろう布巾を僕に再度掲げた。
よく見たらそれは床に水が滴る程濡れていた。
ちなみにこの布巾は台所の掃除用だ。
「助けてくれてありがとう」
これが汚い布巾かどうかが気にならないほどに僕はクラージュに感動と感謝を覚えていた。
「ヤマダ、元気ないと自分が困る。自分は今、ヤマダしか頼れない」
掲げた布巾を僕に渡しながらクラージュは再度俯いてしまった。
僕は記憶の限り今まで与えられてこなかった人からの優しさに心打たれて、クラージュを思いきり抱き締めた。
「クラージュ。ありがとう。本当に」
いきなり抱きしめられたクラージュは困惑しているのか僕の腕の中で暴れていたが、少しして静かに僕の背中に手を回してくれた。
この日から僕は、クラージュを好奇心の目ではなく友達として見ることが出来るようになった。
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