月という名前の太陽

桜田実里

月という名前の太陽 side宮崎

佐倉穂月さくらほづきです。よろしくね、宮崎くん」


 小学5年生になってから三回目の席替え。

 隣になったのは、話したことのないクラスメイトの女の子だった。

 下のほうでサイドに結われた長い髪。落ち着いた声。


 そうだ、あいさつされたんだから、返さなきゃ……えっと、えっと。


「よろしくおねがい、します」


 人づきあいが昔から苦手だった僕は彼女と目を合わせることなんてもちろんできなくて、思わず視線をそらしてしまった。


 もしかしたら、というか絶対、不快に思われたに違いない。

 すみません、ごめんなさい……。

 と思っても口に出して謝れるほどの勇気がない僕は、そのまま黙ってしまう。


 佐倉さん……も、諦めたのか、それ以上は話しかけてこなかった。



 小学校の席は中学や高校と違って隣同士の机がくっつけているから、関わらないわけにはいかないのが僕にとっては苦痛だ。

 それに佐倉さんはなぜか、こんな僕なんかに話しかけてきた……から。

 僕のことなんて無視すればいいのに……と思うのも、本心だ。


 しかし、そんなふうなことを少しだけ思わなくなったのはきっと……あの日から。



 それは、僕にとって忘れられない出来事。

 家庭科の授業で編み物をしていたときだった。


 僕はそのとき、黄色のマフラーを編んでいて。

 なんで黄色だったのかは、今はもう覚えていない。


 だけど突然、隣から声がしたことは鮮明に覚えていた。


「すごい……」


 柔らかくて、角のない丸みを帯びた声の正体は……佐倉、さん。

 僕はびっくりして、思わず隣を向いた。

 そのとたん、キラキラと輝く瞳と目が合う。


「ご、ごめんね。あんまりにもすごいから……。きれいだね」


 佐倉さんは、僕の手元にあるマフラーへと視線を落とした。


「……あ、ありが、とう」


 ……考えるよりも先に、口からお礼が出ていた。

 それはきっと、うれしかったから。

 佐倉さんの、言葉が。


「……よかったら、もらって」


 気が付いたら、そう言っていた。


「先生に提出して、返ってきたら。褒めてもらった人に使ってもらったら、マフラーもきっと幸せだから」



 たぶん、大成以外のクラスメイトとこんなふうに話せたのは、佐倉さんが初めて。

 言ったそばから、気持ち悪がられるんじゃないかととっさに思ったけど、僕の気持ちとは裏腹に佐倉さんは笑っていた。



 ———春の、暖かい太陽のように。



 そこから話が進んで、いつのまにか佐倉さんと互いの作品を交換することになっていた。




 提出したマフラーが返ってきた12月中旬。



 ……心臓が、どきどきする。

 緊張したときのような、不穏などきどきとは違う。

 苦しくて、止めたいのに止められない。

 ほんの少しだけ柔らかくて……あまい。



 —――――――――――――――――――――――



 しかし、小6の春ごろから、僕は学校に行くことが出来なくなってしまった。

 だれかにいじめられていたとか、いやがらせされて嫌になってしまった……というわけではない。


 ただある日を境に、僕にとって学校に行くことが大きなストレスとなってしまったのだ。

 原因は不明。僕自身もわからない。

 朝、早く起きて、朝ごはんを食べて。


 その過程がすごく苦痛になって。

 自分じゃコントロールできないような負の感情に囚われて、それがすごく疲れて。

 学校に行こう、登校しようと思うと吐き気が襲ってくる。



 両親は、自分ですらわからないことを理解してくれて、病院にも連れて行ってくれた。

 でも結果言い渡された原因は、過度なストレス。


 学校にいけないことも、両親に迷惑をかけていることも苦しい。

 だけど、どうして自分がこうなっているのかが分からないことも苦しい。

 もしかしたら、本当に過度なストレスというものがかかって、僕は今こうなっているのかもしれない。


 じゃあ僕は、どうしたらいい。

 解決策があるなら、教えてほしい。

 だけどそう言ったって誰も教えてくれないし……分からない。


 ぜんぶ、ぜんぶ。



 —――――――――――――――――――――――



 そしてしばらく時が経ち……2月中旬のことだった。

 たしか、季節外れの雪が降った日。


 僕は、放課後テストを受けに来ていた。

 テストを受けないと、成績表がつけられないから。

 担任の先生はいつもどこかのタイミングで、放課後僕にテストを受けさせてくれた。



 テストを受けるだけ、テストを……受ける、だけ。

 そう自分に言い聞かせることで、なんとか学校に行くことができる。


 テストはいつも、6年3組……自分の教室で受けていた。

 下校時刻を過ぎた後、すぐに学校に来るように言われている。

 だけどその日は下校時刻を間違えてしまったみたいで、グラウンドで雪遊びをしている人たちをちらほらと見かけた。


 でも、帰りの会は終わっているはずだから……大丈夫、だと思う。

 僕は校舎に入って、クラスを目指す。


 やっぱりどこのクラスもしんとしていて、帰りの会は終わっているみたいだ。

 もしかしたら、もう教室で先生が待っているかも。


 早足で行くと、一つだけクラス全員が残っている教室があった。

 ざわざわしていて、確認するように札を見上げると、そこには『6年3組』書かれていた。


 —————そのとき。



「……なあ、“あいつ”ってさ、明日も来ないつもりなのかよ」


 教室が、静かになる。

 言葉に出てきたのが誰かは、すぐにわかった。


 そのあと、誰かか続ける。


「まー来ないんじゃねえの。だって、来たの修学旅行だけじゃん。運動会も秋祭りも来なかったし」

「でも、最後だしなー。先生学級新聞にも卒業会のこと書いてたし」

「さすがに来るか」


 ……こうやって言われるのも、仕方ない。

 僕が行ったのが修学旅行だけだったというのも事実だし。

 このままじゃ鉢合わせる。どこかに移動しないと。

 ……と、思ったとき。



「別にいなくていーじゃん。あいつがいてもいなくても、関係ないだろ。今までいなくたって俺らやってきたわけだし」


 脳が冷える感覚。


 会話は、どんどん広がっていった。

 仕方ない、仕方ない。

 だけど……だけど、聞くのが怖い。

 口から、水分が消えていく。



 ……ここから、逃げないと。

 そう思うのに、固まったみたいに足が動かない。


 誰もいない静かな廊下。

 人の声。

 すべてが遠く、近くなりかけていた。


 その中に、あの声が聞こえた。



「……そんなこと、言わないで……っ」



 一瞬にして静かになる教室。

 足は動かない。

 だけど耳が、教室へと向いた。



 視線の先には、一人席を立つ佐倉さんの姿があった。



「……あ? なんだよ。佐倉」

「……宮崎くんがいないところで、悪口とか、いわ、ないでほしいなって……。あ、でも、いてもだめだけど……」



 震える声。

 だけど、反対に僕の身体の震えは収まっていく。



「なに。別に冗談で言っただけじゃん。そんなガチにならないでよ」


「でも、言ってることには変わらないでしょう? ……宮崎くんには友達だっているし、いらなくなんかない。大切なクラスの一員だもん。それに宮崎くんの気持ちだって分からないのに……っ」


 ……クラスの、一員。

 いらなくなんかない……。



「……それで? なんだよ。お前、もしかして宮崎のこと好きなのかよ」


 一人のクラスメイトがそう言った。

 ……すき……すき、って。



「……もう良いだろ。お前らも静かにしろ。……佐倉も、座れ」


 そのとき、大成が息を吐きながら言った。

 ……やっぱり、佐倉さんだったんだ。

 あの声、は。



「宮崎……」


 クラスメイトの男子と目が合った。

 すると、魔法が解けたみたいに足が動いて。

 ……僕は何も言えずに、その場を去った。






 うれしかった。

 僕のことを、あんなふうに言ってくれて。


 お守りみたいに、あの言葉と白いコースターを抱える。



 ————僕は佐倉さんに、胸を締め付けられるような、これがなにか想像もつかない感情をもらってしまった。



 ずっとお礼を言いたかった。

 そして伝えたかった。


 ずっと、ずっと抱えていく気持ちを持って。



 怖くて、嘘をついて。

 遠回りしてしまったけど。


 でも……。




 ————僕は、月を見て君を思い出した。


 君の名前に、月が入っていたから。


 君にあげたマフラーが月色だったから。



 月は、太陽の光によって輝く。


 でも君は、僕にとって太陽のような存在だった。


 僕の世界に降る雪を、その笑顔と優しさで暖かく溶かしてくれる。


 君は————月という名前の、太陽だ。

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