第8章 忍者に忍者教室は難しい

第70話 Rainy Blue

 雨は嫌いだ。


 天気予報通りなんだけれど、朝から雨が降り続けている。未明から降り続いた雨は私の部屋の窓を濡らし続け、若干雨脚は弱まったとはいえ、私の部屋の照明が大きな水滴を映し出していた。夜中には止むらしいけれど、一日雨だとさすがに気が滅入る。


 今日の任務は政治家の警備だった。雨の中の警備はいつもより気を遣うし、足場も悪くなるから疲れる。特段問題なく終わったとはいえ普段より気疲れしてしまうものだ。実際帰宅後、体が重くて着替えもせずにボーっとしている。


 私が龍宮家の長女として生まれた時には祖父母はこの世におらず、実の兄弟もおらず、私が3歳くらいの頃に両親が任務中に亡くなってからは天涯孤独の身だった。


 こんな雨の日は、自分が天涯孤独だと思うとつい寂しくなってしまって、布団を頭からかぶっては目から涙が溢れる時もあった。


 忍者は動じてはいけない。忍者は揺れてはいけない。そう育ての親たちに言われてきたのに。まだまだ自分は修行不足なのだろう。


 ところが、私には叔父さんがいるらしい。先日隠れ里で偶然両親の母校を訪れた際、真田さんという両親の恩師から初めて、叔父がいることを伝えられた。


 一瞬言葉が出てこなかった。自分は天涯孤独の身だと思っていたのに。育ての両親だって叔父の存在は教えてくれなかった。


 育ての両親が教えてくれないのはそれだけじゃない。私の両親がどういう経緯で亡くなったのかも教えてくれない。


 前に一度聞いたことがあるけれど、任務の内容は秘密と言われて教えてもらえていない。これ以上聞くのも申し訳ないと思い聞けず終いだ。


 育ての両親には心から感謝している。いくら代々隠岐の家の従者の家系だとはいえ、すでに同い年の3歳の息子がいるのに人の家の娘まで預かるなんて相当な覚悟がいることだろうし、まして私だけでなく、同い年の男の子をもう一人、一気に3人育てることになってしまった。


 なるべくワガママは言わないようにしているけれど、たぶん幼少期の物心ついていない頃なんかにはワガママも言っているだろう。育ての両親を困らせてしまったろうし、苦労を掛けてきた自覚はある。


 だから育ての両親には感謝の気持ちでいっぱいでも、それでも叔父がいることくらいは言ってほしかった。


 天涯孤独ではないということを知っていれば、雨が降っている時に一人で布団を被って泣くことはなかっただろう。


 お気に入りのペンギンのキャラクター・"ぺんぺん"のぬいぐるみを抱きしめた私は布団の上に横になり、天井を眺めた。扇風機から生み出される風が心地良い。


 たぶん私のことをあまり知らない人が、私が3歳で両親を失い天涯孤独な身となったと知れば相当同情してくれるだろう。寂しかったよねとか、辛かったよね、とか、そんなことを言われそうだ。


 でも私は他人が思うほど寂しい人生を歩んできたつもりはなかった。正直両親が亡くなった時はまだ3歳で物心つくかどうかの頃だったし、両親との記憶なんてほとんどない。


 育ての両親であるパパとママは優しく、時には厳しく私のことを育ててくれた。私にとって両親といえばもはやこの2人みたいなところがある。実の親のような存在だ。


 加えてこの家には同い年の男の子が2人も住んでいる。パパとママの実の息子である葉太郎、そして同じく従者の家系の出で、私と同じ時に両親を亡くしている蔵之介。


 この2人は友達どころの話ではない。もう兄妹、いや、10月に誕生日を迎える私は2人よりも若干早く生まれているから姉弟か。関係性としてはもはやそんな感じだった。


 幼少期の、まだおむつをしている時から一緒。お互いの恥ずかしいところまで知っているから、私たちの関係は友達以上なのは間違いないだろう。




 この春、私たちが暮らす家にイギリスから天王寺桜というハーフの女の子がやってきた。大企業のご令嬢で、ブロンドに青い瞳、誰もがうらやむルックスにスタイル。でも彼女は恵まれた境遇、容姿を一切鼻にかけず、誰にでも優しい子だ。


 実の両親がいない私は、育ての両親にも、ヨウにも蔵之介にも迷惑をかけられないという思いを常に抱いていて、一人で頑張ってきた自覚がある。


 そんな私に優しく「香月ちゃんも幸せになっていいと思う」なんて言ってくるくらいお人よしで、優しい子。


 彼女は私の幼馴染であり腐れ縁でもあるヨウに心を惹かれていった。私の目から見てああ、これはヨウのことを好きになっているなと思うシーンも多々あるほどで、2人が付き合うのは時間の問題だと感じていた。


 2人は付き合った。隠れ里の帰り、夕陽が沈む浜辺で。


 桜がヨウのことを好きだということが分かってからさりげなくアシストはしてきたつもりだけれど、なかなか進展しなかったからどうしようと思っていたところだった。


 海にでも行けば何かイベントが起きるんじゃないかと思って、割と安易な思考で紅葉姉さんに海辺で休もうと提案したら、思った以上に上手くいってむしろ私が驚いたくらい。


 岩場の陰のビーチで2人がしゃがみながらキスをしている姿が遠目に見えたから、付き合い出したことは実は知っていたんだけれど、その日屋敷に戻って一緒にお風呂に入っている時に桜の口から付き合い出した報告を受ける。


 2人がキスしているシーンを見た時も、付き合い始めたという報告を受けた時も、一瞬だけ心にチクっとした何かが刺さった気がした。


 別にヨウが付き合おうが私からするとどうでもいいのに。ヨウと蔵之介なんか恋愛対象外どころかもう次元の外にいる存在だったから何にも思わないはずなのに。


 小さい頃から手間のかかる男の子だったヨウが、こんな優しい女の子と付き合うことになったのはむしろ嬉しい。桜にこんなポンコツ忍者でいいの?と問いたい気持ちもあるが、付き合いたてで幸せ100%の女の子にそんなこと言うなんて野暮でしかない。


 もうめちゃくちゃ嬉しそうなんだもん。天にも昇りそうな顔で、終始ニコニコ。シャワーを浴びる時も、お風呂に入っている時も、こっちが顔赤くするんじゃないかと思うくらい表情が緩んでいた。良かったね桜、本当に。


 でも、それで良かったの?私、聞いちゃったんだよ、隠れ里の屋敷で。


 最終日の朝、影丸の散歩に付き合っていつもの倍の40km走った帰りだった。屋敷に戻ったら1階の和室でおばあ様と桜が話をしているのを聞いてしまった。なんだか話に入っていけなくて、つい和室の入口の脇に隠れて話を聞いちゃった。


 今回の日本滞在は、お父さんとの約束で半年間あることを。


 そんなこと、桜からも、パパやママからも聞いたことがなかった。ヨウも蔵之介もあの様子じゃ知らないだろう。桜とはだいぶ仲良くなったつもりだったんだけれど、私には言ってほしかったな。なんて、ちょっと思ったりする。


 でもあれだけ日本を満喫している様子の桜だ。半年で帰りたくないのはなんとなく察する。だから私たちにも言い出しにくかったんだろう。


 ヨウと付き合えて有頂天になっている桜の様子を見る限り、間違いなくヨウには言っていないはず。半年で終わりということは、11月か12月くらいにはヨーロッパに戻ることになる。このままだと確実に遠距離恋愛だ。


 桜、それでいいの?


 桜も、ヨウも、私にとってとても大切な存在だからこそなるべく長く続いてほしい。ヨウのご先祖様の葉吉さん、桜のご先祖様の桜姫の話を聞いたからこそよりそう思う。


 私の口からヨウに伝えるべきではないだろう。いずれ桜本人が伝えるはずだ。私が知ってしまったことも桜には言わないでおく他ない。


 雨は嫌いだ。


 考えたくないことまで考えてしまう。私は降り続いた雨が作った窓の水滴を見ながら、大切な存在である2人の将来を案じた。

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