第68話 Grave

 「紅葉、あんた法定速度は守るんだよ。朝方、こっそり酒飲んでないだろうね?」

 「あはは、おばーちゃん大丈夫だって!守る守る!朝もミネラルウォーターしか飲んでないから!」

 「はあ…。あんた前にミネラルウォーターと称して日本酒飲んでいたことあったろう…」

 「あの日本酒はミネラルが豊富なやつだったからあながち間違ってはいない!」


 自分の胸をドンと叩いてドヤ顔している姉貴を見て、祖母は額に手をあてて唸る。あの祖母を困らせるヤツがいるとは思わなかった。


 朝飯を食べた俺たちは荷物をまとめて帰路につく。当初は電車で帰る予定が、姉貴がヘルプを頼まれ、車で隠れ里に来たこともあって帰りは車で帰ることになっていた。もしかすると車で帰ったほうが早いのではないかと思うほど山奥だから、それは別にいい。


 「いいなぁみんな…。私も都会に行きたいよ…」

 「柚葉、あんたは今朝修行サボって寝てた分、今から修行しな」

 「許してよぉおばあちゃん!私昨日休日返上で夏祭りの運営やって、今日は貴重な休みなんだよ!?」

 「忍者に定休日なんてないんだよ」


 懇願を祖母にピシャリと打ち消された柚葉姉さんの表情は絶望の色に染まり、小さな声で「渋谷…原宿…六本木…」と東京の地名をつぶやいていく。東京に来たら行きたかったところなんだろう。なんだかいとこが不憫になる。


 「柚、今度遊びに来なよぉ!私と渋谷いこー?」

 「紅葉、あんたもあんただよ。この前変装術使って自分の彼氏尾行したら、彼氏の浮気が発覚して破局したんだって?なーにやってんだい、あたしの教えた忍術をそんなくだらないことに使って!」

 「だ、だってヨーくんが…!」

 「ヨーくんだかヨーグルトだろうがあたしが知ったこっちゃないよ。そんなことしてる暇があったら修行しな!」

 「そ、そんなぁ…。品川…銀座…横浜…」


 今度は打ちひしがれた表情で、姉貴が関東の地名を小さな声でつぶやいていった。これは姉貴が彼氏とこれから先行きたかった場所であることを、俺たちは知る由もない。


 「まったく…。あたしの孫は香月以外まともなのがいないねぇ」

 「祖母が祖母だからね」

 「あん?なんか言ったかい葉太郎。祖母がなんだって?」

 「な、なんでもないってばよ」


 本当に小さな、聞こえないような小さな声でボソっと言ったはずなのに、祖母の耳には届いていたらしい。え、歳を重ねると耳が遠くなっていくんじゃないの?このばあさんは人間?


 「あたしはれっきとした人間だよ!葉太郎!お前とんでもないこと考えてるんじゃないだろうね!」


 そんなこと口に出して言ってもないのに、祖母が俺の心の中を読んできて説教を始める。


 このばあさんは来年もこんな感じなんだろうな。そして来年、またこんな祖母に会いに、桜と一緒にこの里を訪れたい、そんな思いにも駆られる。


 姉貴の運転してきた赤い乗用車のトランクに荷物を詰め、蔵之介が助手席に、後ろの座席に俺、桜、香月の順で座り、窓を開けて祖母たちと別れの時を迎えた。


 「…気ぃつけて帰るんだよ。ご先祖様たちにもよろしく」

 「みんなまたねぇ!次は私が関東に行くから!」

 「だから柚葉、あんたは修行するんだよ。…ああ、言い忘れていたよ。葉太郎、香月、蔵之介。あんたたち、んじゃないよ。何があろうとだ。天王寺の姫君のために全力を尽くしな」

 「はい!」

 「うぇーい」

 「うぇいじゃないんだよ、あたしに対する答えは"はい"しか許さないよ!」


 え?いいえって選択肢ないの?はい一択?祖母は大真面目な表情だ。どうやらこれは本気らしい。


 「…姫君。こんな未熟者たちが護衛で本当に申し訳ないね。でもね、ウチの孫たちは大事なところで命張れるんだ。信じてやんな。…今後、何を知ろうがね」

 「はい!ん…何を?」

 「…ほらあんたたち、さっさと墓参り行っておいで!ご先祖様たちが待ちくたびれてるよ!」


 そうして祖母にどやされた俺たちは車窓から手を振り、忍者屋敷に別れを告げた。忍者屋敷が段々小さくなっていく。


 左手には十六夜神社が見えてきた。とても昨夜、あの神社の奥にある森の中で激闘を演じたとは思えないほど神社は静かだ。


 ふと隣を見ると、桜が名残惜しそうな目で、この里ののどかな風景を見つめていた。




 才木家と龍宮家のお墓は里から山道に入って5分ほど、隠れ里全体が見える小高い丘の上にある。3つのお墓が並んでいて、中心には隠岐家のお墓。その左に才木家、右に龍宮家のお墓が並んでいた。


 里の人が定期的に来てくれているのだろう、3つのお墓には花が手向けられていた。ここに蔵之介の両親と、香月の両親が眠っている。


 昨年は来なかった分、俺たちにとっては2年ぶりの訪問だった。相変わらずこの場所からは里の全てが綺麗に見える。お墓を立てる場所としては絶好の場所だろう。


 普段はふざけている蔵之介も、今日は熱心に自身の両親が眠るお墓に手を合わせて、隣の香月も目を閉じて、ゆっくりと祈りを捧げていた。


 俺や桜、姉貴も並んで手を合わせる。このお墓には歴代の隠岐家の当主や、従者として血を繋いできた才木家や龍宮家のご先祖様のほとんどが眠っていると思うと、なんだか感慨深いものがある。


 「…お父さん、お母さん、私は元気でやっています。天国から見守っていてください。うん、今年もお父さんたちに会えた気がする!」

 「俺もかーちゃんに会えた気がするぞ!」

 「蔵之介、あんたはお母さんから食べ過ぎですって言われたんでしょ」

 「そ、そんなことねぇって…。でもとーちゃんとかーちゃんが亡くなってからまもなく15年かぁ」


 蔵之介が感慨深そうな声を上げると、眼下に広がる里を見渡す。この里はこの14年でも特に大きく変わっていないんだろうなぁ。


 「まもなく15年かぁ、もうそんなに経つんだねぇ」

 「…ねえ紅葉姉さん。あまり聞いたことがなかったんだけど、私の両親ってどんな人だったの?紅葉姉さんは覚えてるでしょ?」

 「まぁねぇ。すごくいい人たちだったわよ。可愛がってもらったし、お年玉はいっぱいもらえたしねぇ。でも香月のお母さんの美月さんたちが亡くなったのは私がまだ8歳の頃だから、正直すごく覚えているわけじゃないのよ」

 「え、そうなの?亡くなった時のこととかも?」

 「ええ。もう14年前ね。私が小学校から帰ってきたら屋敷の中が騒然としていたのは覚えてるわ。あれは幼心でも今大変なことが起きているんだと思ったもの」


 姉貴は当時のことを懐かしそうな表情で振り返る。姉貴は俺たちとは5歳差。当時3歳になるかどうかの頃だった俺たちは何も覚えちゃいないが、よく考えると、8歳だった姉もそこまで覚えていないのは納得するところだ。


 「私はパパたちから、ウチの両親と蔵之介の両親は任務中の事故で亡くなったと聞いてるんだけれど、それって本当なの?」

 「それは間違いないと思うわよ?だって翌日だったかしら、おばーちゃんが関東のお屋敷にやってきたのよ。その時にウチのパパとママをものすごい形相で怒ってたことを覚えてるんだから」

 「怒ってた…?とーちゃんたち、任務失敗したのか?」

 「蔵之介、そこまでは私も分からないわよ。パパやママに聞いても任務の話だから教えられないの一点張りだしね。でもあれだけおばーちゃんが怒ったのはあれ以降見たことがないなぁ…」


 あの祖母は毎日怒っている気がするが、そんな祖母があれほど怒ったところを見たことがない、と言われるくらい怒ったということは、単純な任務ミスということはないだろう。


 俺も前に香月たちの両親はなんで亡くなったのか聞いたことはあった。その時も「任務の最中の出来事だから教えられない」と言われ、まったく何もヒントもくれなかった。


 「まあ、いずれ教えてもらえる日が来るんじゃない?」


 姉貴はのんきにそう言うが、これだけ聞いても教えてくれないのにそんな日が来るのか、俺だけじゃなく香月も蔵之介も思ったことだろう。

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