第18話 公務員になりたいポンコツ忍者
「でもさあ、香月ちゃんがちょっとかわいそうだなあ」
香月の料理オンチぶりが散々いじられた日の夜。机の上に置かれた小さな目覚まし時計が22時過ぎを指す頃、俺は自分の部屋にて、隣の部屋で暮らす天王寺さんとおしゃべりしていた。
いや、正確に言うと壁越しと言ったほうがいいのかもしれない。昨夜発見した回転扉を半分開けた状態で、天王寺さんは腹這いになりながら上半身だけこちらの部屋に出し、頬杖をついていた。
目の前に頬杖をついたかわいいブロンドの女の子がいる、そんな非現実的な光景に未だに慣れない。
どうしてこんな不思議な状況になったかと言えば、つい10分くらい前まで俺は風呂場で身体を温め、上がった後に香月に関節技をかけられダメージを受けた肩回りに湿布を貼るなどしケアにいそしんでいた。
イジり過ぎた代償は大きかった。帰宅して速攻捕まった俺は道場に引きずられていき、そのまま右腕に飛び掛かられ、香月の細かい重心移動で道場の床に叩きつけられると、背中に馬乗りになった香月が俺の右腕を背中越しに逆方向に倒してくる。あまりの痛みにすぐに道場の畳を叩く。
しかし香月はこちらがギブアップしているにも関わず手を緩めない。それどころか「どう?最近開発したこの"
「い、いいネーミングセンスだからゆ、許して!」と叫ぶも、香月は次の技をかける体勢に移行し…ようとしたところで、見かねた蔵之介が香月を止めた。ようやく技が緩まったことで俺の右腕は解放され自由を取り戻した。
しかし新作の関節技はゴリゴリで、肩周りは温めても冷やしても未だにジンジンする。これ筋肉断裂したんじゃねーの?と思ったものの、鏡で見る限りそこまで腫れていなかったし一過性のものだろう。
痛みの緩和のために自分の部屋の布団の上で上半身裸、下はジャージという状況で肩の周りを湿布とアイシングで冷やしていたら、急に正面の回転扉が開いて、白のレースのパジャマを着た天王寺さんが現れたというわけだ。
この扉の存在は他の家族、そして香月や蔵之介にも内緒にしようと決めたのが昨夜。当分この扉を開けることはないなと思っていただけに、翌日の夜に向こうから開けてくるとは思わなかった。
天王寺さんが俺を襲いにきた…なんてことはなく、どうやらちょっとおしゃべりがしたいということだったので提案を受け入れ、俺は1階からお茶を持ってくると、一緒に持ってきたグラスに注いで、扉から上半身だけ出した彼女に手渡す。
笑顔でお礼を言った後、肘を畳につきながらチビチビとお茶を飲んでいる姿が本当にかわいい。
どうやら白のパジャマの中にもシャツを着ているらしく、胸元がはだけるようなことはなかったが、ほんの少しだけ開いた隙間からなんらかの白いものが見え隠れして、俺はすぐに視線をそらしてしまった。
これは目に毒だよ天王寺さん。強力な"武器"に俺はノックアウト寸前だよ。たぶん自分の胸元がはだけていないと思っているのだろう、ご機嫌なのか彼女は終始ニコニコしていた。そうして話は前述の"香月ちゃんがかわいそう"という話に戻る。
「私や蔵之介くんが手伝ってあげられないかなあ?」
「うーん、いつもは班別だから蔵之介が大体なんとかするんだけどね。今回に関しては"自力で作る"っていうお達しが出てるんだよ。現状の能力をそのまま評価したいらしい。基本的に成績オール5みたいなヤツだから、調理実習のお知らせを渡された時の香月、青い顔してたなあ」
「うーん…。じゃ、じゃあさ!蔵之介くんが作ったものと、香月ちゃんが作ったものを交換するってのはどう?」
「それだと香月の評価は上がるけど、蔵之介が先生に提出するのは真っ黒な、グラタンの形をした何かになるね」
「あーん、そうかぁ…」
一瞬名案を思い付いた!みたいな表情を浮かべた彼女の顔が落胆の色に包まれていく。
いや、普通に交換したらそうなるでしょ。天王寺さんは勉強ができて頭の回転も早いのに、なんだかどこか抜けているところがある。それもまたかわいらしいところではあるのだが。
「うーん、ならさ、蔵之介くんが作ったやつをもらって、代わりに提出するってのはどう?」
「なら香月は調理実習中何をしていればいいの?」
「え、ええと…、調理台の掃除…?」
それはもう調理実習ではないのではないか。彼女も言い終わってから気づいたらしい。すぐにあっ…と声を発して黙り込んでしまった。
そうしてお互い無言の時間が30秒ほど続いたところで、少し下を向いていた天王寺さんが再度顔を上げ口を開こうとする。一瞬目が合ってしまい、若干の気まずさからお互い目を軽く逸らした。
「あ、あのね、ちょっと気になったんだけどさ、蔵之介くんも香月ちゃんもなんでこの家に暮らしてるの?私ロンドンで3人の話を聞かされた時から同級生で一緒に住んでるなんて珍しいなと思ってたんだけど、こっちに来て聞きそびれちゃってさ…」
「そういえばまだ話してなかったかぁ」
「あ、いいんだよ、話しにくい内容だったら別に…」
「いや、どうせ知ることになるだろうからいいよ。蔵之介の両親と香月の両親は昔、任務中の事故で亡くなられてるんだよ」
「え…?」
思っていた10倍くらいショッキングな話だったのか、天王寺さんが固まる。そして表情にはこの話題を振ってしまったことか、後悔の色がにじみ始めた。
この話を聞いて変に天王寺さんが遠慮しだしたら2人も困るだろう。俺は努めて優しい口調で「大丈夫」と伝えて、できる限りの笑顔を向け、なるべく彼女の罪悪感を取り除きにかかる。
「ごめんね、なんか重い話をして。そんなに重たい話だと思ってなくて、てっきり私が読んでる忍者のマンガみたいに、2人が住み込みで修行をしているのかと思っちゃって…」
「ああ、でも2人の両親が亡くなられたのってもう15年近く前の話なんだよ」
「そ、そうなの?そんなに前なの?」
「うん。それこそ俺たち3人ともまだ物心つく前だからさ。香月はほんの少しだけ覚えているみたいなこと言ってたけど、蔵之介は全然覚えてないって言ってたな。薄情だなあいつ」
そう言って俺が軽く笑うと、彼女も少しだけ罪悪感が和らいだのか、弱い笑みを見せた。しかしこの子はよくマンガに影響されるな。
「香月ちゃんのご両親と、蔵之介くんのご両親も忍者だったんだね…」
「そうそう、皆さん腕利きの忍者だったらしい。前に母親がそんな話してたっけな。香月の母さんと蔵之介の母さんはウチの母親と小中高の同級生で、ずっと一緒に里で修行してたんだとさ」
「へえ、忍者みたい」
忍者だからね。今時そんな文化が残っているのは、日本でも母親が生まれ育った地域などごく一部だろうけれど。
最後に行ったのは2年近く前だろうか。滋賀の山奥で本当に何もなかった。テレビ自体なくて、テレビがないと生きていけない小、中学生にはだいぶキツい。
「…そんな優秀な忍者だったのに任務で命を落とすなんて、忍者ってやっぱり危ないんだね」
「そうか、天王寺さんも分かってくれるか…!忍者って危ないよな、うん、俺は絶対忍者にはならないようにしよう」
「え?葉太郎くんはもう忍者じゃないの?」
彼女は首をかしげて、まるで「何を言っているの?」と言った具合に俺のことを見つめる。ブロンドの髪が畳に折り重なるように小さな山を作っていた。
「一応今は忍者として活動はしてるけど、もう数年以内にやめてちゃんと就職して、まっとうな家庭を築くんだ。忍者なんて危ない仕事、もう辞めてやる」
「えー、カッコいいのにぃ。なら葉太郎くんは将来何になりたいの?」
「安心安全、公務員」
「コームイン?」
彼女は再度首をかしげて、まるで「何を言っているの?」と言った具合に俺のことを見つめる。その姿がまたかわい過ぎて、俺は彼女を直視できなかった。
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