妖怪に魅せられるのはなぜなんだろう(性描写含みます)

 かれこれ十年ほど、妖怪をモチーフに作品を作っている。

 もともとポケットモンスターが好きだったのもあり、そうした「人ではないモンスターが人間と仲良くしたり、競い合う姿」には抵抗がなかったというのもあります。

 小学生の頃はとにかくNARUTOが大好きで、あの作品は九尾の妖狐が封印された少年が主人公なのもあり、思えば私が狐というものに神秘と魔性を見出したのはあの作品がきっかけだったかもしれません。


 明確に妖怪を好きだ! と思ったのは、十九の頃、何気なく書店で買った萌え妖怪図鑑……といったテイストの本。まあ要するに可愛らしく擬人化された妖怪を見て、もともと人外娘大好きな私は見事ハマった。

 ただもちろん伝承や逸話もしっかり語られており、それを読んでいくうちに、妖怪の秘奥に魅せられていった。

 当時私はインターネット怪談——都市伝説や洒落怖を読み耽っていたのもあり、妙に、そうした人ならざるものの魅力に取り憑かれていった。


 気づけば十年ほど前、まさしく秋〜冬、そしてその後も細々と、統合失調症と闘いながら(今より強い薬を使っていて、ほぼ一日寝ているみたいな生活で、執筆中もいわゆるブレインフォグのような状態が続いていました)、妖怪小説を書いていました。

 本質は今と全く変わりません。妖怪が友であり、競い合う相手である現代で、退魔師の高校生が戦う話です。

 全くもってワヰルドハントと同じ構図。相棒は稲尾椿姫という(当時は稲田でしたが)、現在でも私にとっては永遠のヒロインとしてうちの子の座を位置する子です。妖狐で、やはり、ワヰルドハントと同じ。

 意識はしていませんが、ただ私はどこまでいっても狐が好きなんです。あの愛くるしいモフモフした姿……癒されます。この世に完成された美しさがあるとすれば狐だ、と私は言い切ります。


 さておき、妖怪に魅せられた私はとうとう妖怪を愛するようになりました。それは、妖怪を伴侶にしたい、という欲。

 無論現実世界に妖怪なんていません。もしかしたらいるかもしれませんが、こんな欲望ダラダラの男に姿は晒さないでしょうし、まあ科学万能の時代ですから、そう言った存在が発見されても体系的に研究されて、生物学に組み込まれていくと思います。

 いわゆる魔術やESPも、研究が進めば「再現性のある動力による物理的な現象」として処理される、というのが持論です。


 とにかく、妖怪は、エロい。

 やっと本題だ。


 なぜあんなにも官能的なのか、儚さが成すのか、野生の荒々しさが成すのか、はたまた本来交わらぬ運命の交差点で、いっときの邂逅を挟むゆえにロマンを感じるからそう思うのか。

 妖怪は美女、美男だけでないことは知っている。恐ろしげで醜悪な妖怪も多い。とはいえそれらさえも、解き明かせば愛おしく感じる。


 古代、科学なんて当然なかった時代、人は自然を恐れ、それを神や怪物の仕業ととらえたと言われています。

 日本では妖怪、神とは元来祟りをもたらすが故に祀り、あえてその加護を受ける、という発想に至ったとも。

 菅原道真公が有名ですね。非業の死を遂げ、落雷で多くの官僚の命を奪い、神として祀られた——雷神、学問の神。受験シーズンの現在、お参りに行く学生さんも多いんじゃないでしょうか。


 妖怪はそうした「神」が「降った」存在であるというのが、民俗学的に言われる説です。

 そして妖怪とは「境界」に現れます。

 逢魔時という昼と夜の境目、山と里の境目、あちらとこちらを隔てる川、海辺、里の辻は異界とも言われ、屋敷の普段使わぬ一種の異界たる部屋には座敷童子がいる。


 あるいは彼らは、獣から成る、人と、あるいは神と獣の境目の存在では? とも思います。

 彼らがいずれ「何か」に成ったとき、それは人なのか、神なのか。

 妖怪人間は人間になりたいと願ったそうですが、果たして妖怪は、その長い長い生の果て、何に成ろうというのか。


 それを思うと、楽しすぎて彼らをモチーフにすることをやめられません。

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