これは守護者の物語外伝〜月下閃刃〜

橋 八四

要請

 いまだにジリジリと灼けつく陽射しが降りそそいでいる。


「……今日も暑ぃらしいな」

「……マジッスか〜、もう勘弁してほしいッス〜」


 暦の上では夏はとっくに過ぎ去っているらしいが、まだまだ暑い日が続いている。


「そういえば今回の休みは仕事入ってないんスよね?」

「まぁな。たまにはまともな休み取らねぇと婆ちゃん達がうるせぇしな」

「それはそうかもしれないッスけど、もともと兄貴は働き過ぎなんスよ」

「俺みてぇなヤツは『日々精進あるのみ』なんだよ。凡才が努力しなくてどうすんだっつの」

「世間では休むこともトレーニングの一種らしいッスよ?」

「……正論言うのやめい。つかちゃんと休んどるわ」

「痛ァ!? なんでデコピンするんすか!? このっ、お返しッス!!」

「ちょ、うはは、服の内側に入るのはっ、セクハラだ、クハハハハッ」


 いい加減涼しくなってもらいたいものだ、と思いながら総護はリビングでピー助と一緒に天気予報を見ながら他愛も無い会話をしてじゃれ合っていた。


(……ん? 客か?)


 そんな時、総護は敷地に侵入した数人の気配を感じ取る。


 ピンポーン。


「ごめんくださーい」


 聞き覚えのある声だった。


「はーい、今行きますっ。ピー助」

「分かってるッス!!」


 ピー助に部屋に向かうように指示を出し、総護は玄関へと向かう。


「やあ、久しぶりだね総護君」

「お久しぶりッス、高橋さん」


 ガラガラと玄関の扉を開けると一人の男が立っていた。


「突然で申し訳ないんだけど、厳十郎さんは今家にいるかな?」


 黒縁のメガネをかけた優しそうなサラリーマン風の男性。

 それが高橋駿佑という人物に対しての、かつての総護の第一印象だった。


「爺ちゃんなら今出かけてて、もうちょいしたら帰って来ると思うッスよ。今お茶淹れますんで、上がって待っててください」

「いや〜、本当にごめんね。電話で話すにはちょっと複雑な内容だったから、ちゃんと厳十郎さんと向かい合って話がしたかったんだ」

「全然気にしないでください。どうせ暇だろうし、好きにこき使ってやってくださいよ。あとボケ防止にもいいだろうし」

「はははは、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな?」


 そんな雑談を交えながら総護は高橋をリビングへと連れて行く。


「そういえば、厳十郎さんは今どちらに?」

「近所の知り合いんとこで、朝から将棋だかチェスだか麻雀やるって言ってましたよ」

「羨ましい余生の過ごし方だね。僕も朝から麻雀したいよ」

「俺も時間を気にせずゲームできれば最高なんスけどねぇ」


 当たり障りのない世間話で時間を潰している総護達。


(――相変わらず演技が上手ぇなこの人は)


 騙されたフリ・・・・・・をしながら総護は周囲へと意識を向ける。


 ――十と六人。

 それがこの家の周囲に隠れている手練れの数だ。


(にしても高橋警視監・・・殿が直々に出張ってくるなんざ、よほどの大事らしいなぁ。それに――)


 高橋駿佑。

 自称しがない経営者で、本職は警察官であり、その所属は――警察庁異能犯罪対策室室長。

 通称『異対』の責任者トップで、この日本におけるすべての異能・超常事件の指揮を執っている人物。


 今まさに柔和な笑みで総護と会話をしているが、その実態は動じず揺らがずの超冷徹であり、その異能も相まって【冷鉄れいてつ】の異名で呼ばれている。


 【正体不明アンノウン】としても何度か会っている総護だが素の状態を知っているので、こうもにこやかに対応されると大きな違和感を感じざるを得なかった。


 その上、もう一人。

 おそらく周囲の一六人の護衛対象である人物の存在。それが今回高橋の来訪した理由がただ事ではない証明となっていた。


(――アンタ・・・も揃ってウチにくるってこたぁ、劇ヤバ案件確定じゃねぇか)


 総護は察知されない程度の極々微量の魔力を眼に通すことで、薄っすらとその人物を視ることができた。


 総護の対面。

 高橋の左側で宙に浮き、姿勢良く正座をしている女性……と呼ぶにはとても若い真っ白な女の子がいた。

 身に纏う白の狩衣に、白髪と白い肌。その中にあって唯一の色は瞳の淡い蒼のみ。

 少しでも触れれば崩れてしまいそうな、どこか神秘的で儚げな雰囲気を漂わせている。


 ――もっとも当人の許しなく触れようとするものなら、彼女を護る彼の鬼にぶん殴られるであろうが。


 彼女こそが現代の陰陽師の頂点。

 平安より代々受け継がれてきた最強の陰陽師の証である――【安倍晴明】の名を受け継ぐ人物である。


 こちらもかつて一度だけ会話したことがあった総護だが、幼い見た目に反して噂通りの老獪な人だったと記憶していた。


 少なくとも『余程の事態』でもない限りはまず表に出てくることはないはずなので、どう考えても今回の高橋の来訪は厄介事としか考えられなかった。


「――おう、久しぶりだなぁ高橋」

「どーも、お久しぶりです厳十郎さん」


 高橋達が来てから時間にして約三〇分ほど経ってから、厳十郎が帰ってきた。


「接客ご苦労さん。こっからぁ大人の話し合いだからよぉ、オメェはどっか行ってろぉ」

「え〜、たまにはどんな話ししてんのか聞いてもいいじゃんかよ」

「馬鹿ぁ言ってんじゃあねぇよ。仕事もしてねぇガキンチョに経済のことなんざぁ分かるわきゃあねぇだろぉが」

「はいはい、邪魔者は退散しますよっと。どちらにしろ出かける時間だし」

「ごめんね、総護君」

「いえいえ、ごゆっくり〜」


 厳十郎と入れ替わるように手早く準備を済ませて、総護は友達と遊ぶために出かけて行くのだった。




 **********



「――可愛らしい子やねぇ」


 隠形の術を解いた晴明はころころと笑いながら感想を述べる。


「っは、そいつぁお得意の皮肉ってやつかぁ?」

「いややわぁ、嘘偽りのあらへんウチの本心どすぅ」

「かかかっ、そりゃあお前さんからすりゃあガキどもなんざぁ、みぃんな可愛いもんだろぉがよぉ」

「せやねぇ、ふふふふふ」

「かかかかかっ」


 朗らかに笑い合っている実力者二人。

 和やかな見た目に反して室内の気温が下がったように感じた高橋だったが、臆することなく声をかける。


「お二方、本題に入らせてもらってよろしいでしょうか?」


 先ほどまでの柔らかい雰囲気からは想像できないほど、冷たく淡々とした声。これが高橋の素であった。


 厳十郎と晴明が椅子に座ったことを確認してから、高橋は一枚の写真を内ポケットから取り出しテーブルへと置く。


「厳十郎さん、この男を知っていますか?」

「どれどれぇ。っ、……コイツぁ――」


 置かれた写真に写る人種や背景から日本で撮られたものではないことがうかがえる、そんなどこかの街の雑踏を切り取った一枚。


 自然と注目するのは赤い丸印。

 それは一人の人物を丸く囲っていた。


 横顔からしておそらく厳十郎と同世代の男だと思われる。

 雑踏を歩くにしても違和感のないラフな格好だった。強いて言うならば、その格好にしては不釣り合いの縦長のロッドケースが印象に残るかもしれない。


 この老人を厳十郎は知っていた。


 厳十郎にとって『知り合い』などと言えるような軽いものではない。


 かつての若い頃。共に鎬を削り、剣の腕を競い合った好敵手友人。ここ数年は会っていないが、見間違えるはずもない人物である。


 だからこそ・・・・・、厳十郎は怪訝な顔でその名を口にする。


「――兵丞へいすけ、じゃねぇか」



 その男の名は――鈴木兵丞。



 【鬼の兵丞】の通り名で知られる実力者であった。



「……やはり知っていましたか」

「馬鹿言ってんじゃあねぇよ。日本にいる剣客でコイツを知らねぇなんざぁ、ド三流の棒振りだぜぇ」


 『この日本で真剣での斬り合いが強い剣客は誰だ?』と名のある剣士達に訊けば、必ず名前が挙がるほどの男である。つまるところの、日本における最高レベルの剣士だった。


 それに『鬼』と呼ばれるほどの苛烈な剣ではあるが、根が善人寄りの人物であるため彼が斬り殺した人数は数えるほど。そしてそのどれもが極悪人であり、表沙汰にできないような事件の犯人だけである。


 だから・・・、厳十郎は怪訝な顔をしている。


 『異対』の高橋、それに晴明が直々に動くということはそれだけ重大な事件が起きているということ。


 それにいつもの『高橋案件』のような、この流れ。


「高橋ぃ、お前さん、まさか儂に――」

「――本当に、察しが良くて助かりますよ厳十郎さん」


 有り得ないと思いたかった厳十郎だが、いつも通りの高橋の声が否応なしに現実を突きつけてくる。



「これは日本政府からの正式な要請オーダーになります。鈴木兵丞を――」




 つまりあれほど兵丞が毛嫌いしていた者――『外道』に、




「――殺して斬ってください」




 ――鈴木兵丞という剣客がソレに、堕ちてしまったということを。

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