思いつきを思いつきで終わらせないための小品集

みやび

(異世界百合)エミリアの孤独 #1



「お疲れ様でした、エミリア様」


「うむ」

 魔王エミリア・フロイデは執務室で頬杖をつく。


 今日は魔王紀二千六百年の記念の日。


 祝うほどのことなど何もない。

 人類はすでに大陸を去った。それも千六百年も昔にだ。

 だから、戦勝ムードの中行われた魔王紀一千年の祝賀行事は、祭り上げるように華々しく行われたことをエミリアは覚えている。


 ――ゆえに虚しい。


 平和は否定しない。

 だがその間、私は何をしたのだろう。

 偶発的に、隣の大陸に渡った人類との小規模な戦闘は続いているが、もはや国力の差は明らかだ。

 魔力が減退し物理兵器に頼るほかなくなった今の人類など、この国の恐れるところではない。

 しかし、どうしてだろうか。心の中にぽっかりと穴が空いたような感情は、ぼんやりと、でも確かに、盤石の在位をもってしてなお、この千六百年の間にじわじわと彼女に巣食い、膨らんでいった。


「――のう、イレーネよ」

 零れるように漏れた独り言が宙を舞う。

 その名の主は、もういない。

 満たされないとき、ふと頭をもたげる。

 あたしはあの時、お前に……


 思いを巡らせた刹那、

 後方、執務室の扉をそっと閉めて。

「この国の統治者たる主君の見せる顔ではありませんわよ、エミリア様?」

 秘書のリーリエが苦笑して歩み寄る。

「……ほっとけ」エミリアは唇を尖らせる。

 エミリアは思考の最奥に、先刻独りごちた名前を、再びしまいこんだ。


「憂えた表情も愛らしゅうございますね」

「ふん。どうせ威厳などない」

「あら、とても素敵でございますのに」

 人類とはそもそも寿命が違うので一緒くたにできないが、二千六百と十五歳を迎えてなお、エミリアは幼子のような見た目をしている。

 対して、リーリエはすっと背の高い美人で、さながら『お隣のお姉さん』との形容がぴったり。彼女の実年齢はエミリアも忘れてしまったが、かれこれ百五十年の付き合いともなれば、政務の時間を除いては、すっかり打ち解けた間柄となっていた。



「ときに、リーリエ」

 思いついたように、エミリアはつぶやく。


「はい、なんでございましょうか」

 振り向いたリーリエは、『話し相手になりましょう』とばかり笑顔を向けて。

「そなたの父君は軍人であったな。退役してしばらくになるが、今何をしておる?」

 気難しげな仏頂面のまま、しかしリーリエの笑顔に自然、心が和んでか。

 少し肩の力が抜けたエミリアは、床につかず宙ぶらりんの脚を組むと、リーリエの黒い瞳を見る。

 ――瑪瑙めのうのごとく澄んだ、きれいな瞳をしていた。


「大陸の辺境で、悠々自適に暮らしていますわ。驚かれると思いますが」


 告げてリーリエは魔道具スマホを取り出す。


「これが今の父です」

「……なるほどの」


 まぁ鍛える習慣がなくなればこうもなるか。


 精悍な軍人だった面影はすでになく、しかし写真に写し取られた元大将たる彼女の父親の温和な表情は、さながらスローライフを楽しむ有閑老人の域に達したふうでさえあった。



 ふぅ、と息をいて窓を見る。


 冬晴れの空。山脈は雪化粧を飾り、しかし樹々に実る花のつぼみは日増しに大きくなっていた。

 もうすぐ春が訪れる。年度が替わり、政庁も忙しくなって、臣民の活動もまた活発になる。城下もさらに賑わうだろう。


「リーリエ、今日はもう予定はないのだよな?」

「ええ、ご指示のとおり、他国とは調整しておりますゆえ」


 式典の後は各国首脳が謁見に訪れるのが恒例。だが、形ばかりの謁見などもはや興味もない。エミリアはぐっと背伸びをすると、回転椅子からひょいと下りて、こきこきと肩を鳴らしつつ歩き出す。


「少し散歩をする。服をもってまいれ」

「――はい! おおせのままに」

 ぱぁっと表情を花咲かせると、リーリエはエミリアのクローゼットを開ける。鼻歌まじり。


「エミリア様に似合うと思い、買ってしまいました。お召しになって?」


 水玉模様の、フリフリつきのやつだった。

 リーリエ、魔王だぞあたしは。


「そなた、また新しいワンピースを。。」

「推し活ですので。ささ、正装はお脱ぎになってくださいな♪」


 独身ともなれば、結婚資金にでも充ててほしい。あたしに課金してどうする。


(リーリエ、実はそっちか……?)

 若干身の危険を感じながら、眉をひそめたエミリアはしぶしぶと服を脱ぎ、今日もリーリエの着せ替え人形と相成るのであった。


「かわいいですわ、エミリア様♡」

「う、うるさい、、! はよそなたも着替えんか!」



     *


 城下の街へと赴いたふたり。


「天気がよくて心地が良いのう」

「あら、達観した口調ですとバレてしまいますわよ」

「そ、そうだな。……いい天気だネ、お母さま⭐︎」

「うふふ、そうね。エミリー♪」


 城下でバレないようにするためとはいえ、毎度のこと死ぬほどハズい。

 作り笑いで「えへへ」とリーリエに微笑みかけると、きゅるんと口の端を上げて、両手で頬を押さえていた。やっぱりそっちだろお前。


 まぁ極論、何がとは言わないまでも、独身どうしだから無間題モーマンタイではあると、エミリアは自らに言い聞かせる。

 少なくともエミリア自身、「よぅ相手を見つけんか」とリーリエに口酸っぱく言えた義理ではなかった。

 世継ぎについては臣民も心配していると聞くが、なにぶん興味がないのだ。だからリーリエと一緒にいると、自然と落ち着いた。


 今でも時折、国務大臣が外交ルートで縁談を持って帰ってくることがあるが、それをエミリアに代わって断ってくれているのはリーリエである。

 ちなみに、縁談をつっぱねるときのリーリエはめちゃくちゃ怖いらしい。どんな感情がそうさせるのだろうか。エミリアにはさっぱりわからなかった(ほんとだぞ)。



 街を見渡すと、目に見える様々なところで祝賀ムードを感じることができた。

 マルシェには様々なご馳走が並び、頭上には州旗が躍っている。魔光石を輸入する某国が経済制裁を受けている関係でエネルギー価格と物価の高騰は続いているが、今日ばかりはみな財布の紐も緩んだようだ。市井しせいの感覚を肌で感じるのも、為政者として大事なことだとエミリアは思っている。


「のう、リーリエ」

「なぁに、エミリー?」

「余も……あたしもあれ、食べてみたい」


 エミリアは屋台の一つを指差す。

 近ごろお隣の国で流行っているというフルーツたっぷりのパフェ。フォトジェニックな盛り方がポイントで、若者を中心にSNSウィンスタで話題だ。


「今日はもう甘いもの食べちゃったけどいい?」

「いいわよ♪じゃ、買ってくるね」


 中央広場に移動し、リーリエが買ってきたそれをぱしゃりと魔道具スマホのカメラ機能で撮影。

「『余にあーんしてくれる若君はど~こだ?』っと」

「……はっ、エミリア様! 魔王様公式アカウントはダメですよ!」

「え、なんで?」

「エミリア様の可愛さが広まっちゃう……じゃなくて! ヨソのお偉いさんたちが怒っちゃうでしょうが」

「……そ、それもそうであるな……」


 謁見を断っといて街で隣国スイーツをウィンスタに上げてたらメディアの記者たちにどう叩かれるかわかったものではない。


「ママがアップしとくから、エミリーは一緒に写真撮りましょ♪」

 そう言って胸の前で手を叩くと、リーリエはスイーツを手に持ってエミリアに顔を寄せ

る。

「ほらエミリー、こっち寄って?」

 ぱしゃり、と一枚。

「やーん、エミリー可愛すぎ♡♡無加工でこの魅力は罪だわ♡」

 蕩けるように頬を押さえて悩ましげに悶える。

「『きょうも娘が国宝級に可愛い』……と」

「余だってバレたら社会的に死ぬのでは?」

 もちろんエミリアもただでは済まない。

 国家元首とその秘書が政務を断って親子プレイとかどう弁解すればいいのか。

「大丈夫よ、髪型も変えてるしメイクも変えてるから」

 そう告げると、今度は「盛って載せる用の写真も必要ね!」と息巻いて、アングルを変えながらパフェ単体を写真をぱしゃぱしゃと撮り始めた。

 アップしたてのツーショット写真を見る。

 ――幸せそうなリーリエの表情を見ると、妙に気恥ずかしく、エミリアは頭を掻いて目線を逸らした。


「り、リーリエよ。やっぱり少し恥ずかしいのじゃが……」

「別に、プレイとかじゃないでしょ?」

「な、ッ」


 唐突な『プレイ』、との単語にぼっと赤くなる。


 お互い成年であることに相違ないけれど。


「これはエミリア様が安全に外を歩かれるための防御策なのですからね?」

 リーリエはふふ、と楽しげに口の端を上げる。

 自分だけ意識しても馬鹿みたいなので、エミリアは考えないことにする。あくまでこういうフリ。親子プレイなんかじゃないし。そもそも別に女の子を……というわけでもない。少なくとも自覚の上ではそうだ。だから気にすることなんかない。


「さ、クリームが溶けちゃう前に食べよっ、エミリー♪」

「えっ? う、うんっ!」


 広場のベンチで、リーリエと並んでパフェを食べるエミリア。


「おいしい?」

「――おいしいよ、リーリエ」


 まだまだ寒いはずの外気のなかで、しかしエミリアは、焦りさえ覚える気恥ずかしさの中、不思議と温かな感情に心が満たされていった。


「……お口、ついてるわよ?」

「――ちょ、こらッ、指で拭うでないわ……!」

「んふふ。おいし♡」

「……」

 ……やっぱ危ないわ、この秘書オンナ

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