推理クイズ♦︎似顔絵

ハシバミの花

問題編

 我が探偵社は、浜風ふきつける港町にある。

 営業時間がおわり、服を着替えていると、古い四階建てテナントビルの階段を、コツコツとかたい足音がのぼってくる。

 それが依頼者のものではないことは、聞きなれたリズムでわかった。

「ただいま戻りました」

 ノックしてすぐ入室してきたのは、わが妻・結菜さんであった。

「おかえりなさい結菜さん」

 黒のパンツスーツ姿の彼女を、僕はハグで迎えいれた。

「今日もすてきだね。その服、よく似合ってる」

 ゴールドのネックレスとブレスレットが、ベルギー製のなめらかな生地の黒によく映えている。

 融通のきかないブリティッシュ・スタイルのスーツを、ナチュラルに着こなしている。

「朝も同じこと言ってらっしゃいましたよ所長」

 結菜さんがうしろ手にノブをとり、背中でドアをとじる。

 僕らはキスをする。

 あたたかくてやわらかなくちびるが離れ、ほのあかく染まった頬の笑みがこちらを向いている。

 この人を愛している。

 僕が強くそう思う瞬間だ。

「所長こそ、そのベスト、お似合いですよ」

 僕はといえばタイトなパンツとベスト、いわゆるバーテンダースタイルである。

「ひさびさの"出勤"さ。今日はお店でご飯にしないかい?」

「いいですね。私とコーディネートもおそろいです」

 結菜さんは今、大手町の高級ラウンジに、ヘルプと称した潜入調査をしている。

 オーナーから直接の依頼だからこそ可能な方法なのだが、結菜さんは実際に接客業務のスペシャリストで、水商売から居酒屋、ファミレス、はてはフランチャイズのファストフードまで数多くの業種のマニュアルに精通している。

 正直僕では足元にも及ばない、引っぱりだこのエース調査員である。

「調査機器をはずして、アクセサリもこちらで保管させてもらいます。よろしいですか?」

「——結菜さんなら、そんな遠慮はいらないのに」

「私がこの会社にきたとき、『調査業務に一番大切なのは、確認作業なんだよ』って教えてくれたの、所長ですよ」

「そうでした。業務に必要な小物はすべて、ロッカーに保管しておきます。解錠ナンバーは、おぼえてますか」

「もちろんです」

 結菜さんが耳元でささやく。

「私の誕生日——今日の日付けですよ。予測されてしまいますから、お変えになったほうがよろしいのに」

「そうだね。あたらしいパスワードを考えておくよ」

 僕らはもう一度キスをする。

 こんなすてきな人が、人生の伴侶である幸せをかみしめる。

 来客用ソファに腰をおろし、機器を一つ一つ動作チェックし、アクセ類をジュエリーボックスにおさめる。

 その後ろ姿がたまらなく愛しく見えて、やわらかな頬にふれたい衝動がこみあげる。

「本日の、バーテンダー業務のスケジュールは?」

「翌朝5時まで。オールナイトだよ」

 シェーカーをふる、芝居じみたポーズをとってみせた。

 僕は探偵仲間と共同オーナーで、数店のお酒を出す店をもっている。

 今日の店の名前は『+1プラスワン』。

 古典ハードボイルド小説のタイトルから、拝借はいしゃくした。

 二十代に作った店なので、ネーミングから気負っている。

 今日、人員不足のヘルプ名目ではいるのは、ここから歩いて10分少々の、小さなバーだ。

 カクテルづくりは家飲みで研究していて、シェーカー使いは、こう見えて結菜さんお墨付きの腕前。

 探偵道具の収納をすませて、結菜さんが立ちあがる。

「さあ。お店へまいりましょう」

 髪を首すじでざっくりまとめ、派手さを排したよそおいは、シックなカラーも相まってまるで礼服だ。

 事務所の鍵をかけ、SECOMを作動させて、テナントビルを出る

「そうだ。この前来たお客さんが、おもしろい話をしてくれたんだよ」

 結菜さんが僕の腕に両手をからめる。

「あら。なら道々お聞きします」

 僕らはお店へのルートを、いつもよりゆっくりと歩きだした。



 少し前。

 やはりヘルプで入ったときのお客さんだった。

 その人はベテランのマンガ家。

 三十代なかばで、いくつかのスマッシュヒット作品を放っている、人気作家である。

 担当の編集部員に『おもしろいお店がある』と連れられて来訪してくれたそうだ。

 バーなどにはなじみないようすだったが、こちらの本業が探偵だと教えると、大変おもしろがってくれた。

「そうそう、少し昔の話だけど、ふしぎっていうか、変わった依頼があったんだよ」

 アルコールが頭をめぐるにつれて、マンガ家の口がやわらかくなってくる。

「まだアマチュアだったころ、同人誌即売会で出会った友人がいた。あるとき、どうやってか僕の仕事場に、その友人の姉がやってきて、友人の似顔絵をたのまれたんだ」

 マンガ家は背がたかく、やせていて、背を丸めるくせがある。

 目が少年のようにきれいで、心の純粋さをそのままに大人の体にとじこめたようなふんいきがあった。

「似顔絵、ですか? マンガ家は、そんなお仕事も?」

「うーん、する人もいるけど、僕はやらない。意外かもしれないけど、たいていのマンガ家って、似顔絵が苦手なんだ。物語の登場人物は、自分の中のイメージに近ければいいから、だれかに似せる必要がないんだよ」

「じゃあ、お断りに?」

 マンガ家が、さびしげに首をふる。

「海のものとも山のものともつかない、なにを描いたらいいのか自分自身でもわかってない僕のマンガを、彼はすごい、おもしろいと楽しんでくれた。絵がいいとほめてくれたのが、なによりうれしかった。彼ははじめての、熱心なファンだったんだ」

 編集者との顔を、交互に見る。

「——お忙しいとのお話でしたけれど、その依頼を、お受けしたんですね」

「うん。しめ切りまぎわだったけど、数時間まってもらって、A4サイズの顔のアップのイラストをしあげた」

「そういうことは、普段はやらない」

 念押しするように、僕は聞きかえす。

「というか、できない。わずかな時間でも、仕事を投げだして、別のことに没頭するなんて、こわくて」

 マンガ家がもうしわけなさそうに笑うと、編集者も仕方なさそうに笑った。

 やさしさがそのまま出たような笑顔だ。

 実際に、やさしい人間なのだろう。

「事情が事情だから、しかたないよね」

 編集者がフォローすると、マンガ家はペコリと頭をさげた。



ここまでが問題編です。

マンガ家はなぜ、忙しい中、言われたまま、友人の似顔絵を描いたのでしょう。

その事情とは?



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