第6話 きれいなバラにはなんとやら

 バイトを終え、帰り道をたどりながら、修はダラダラと考え事をしていた。

 ケイは、最近、というかここ数年何か考え込むことが多い気がする。

 きっと、何か秘密を抱えているのだろう。警察でバイトをし始めてから、それとも結衣香ちゃんと付き合い始めたころか?

 心配はしているけれど、あれこれ聞いたりしなかった。

 もちろん助けを求められた時は協力するけれど、互い、ぶしつけに心の中に踏み込んだりしない。それは二人の間での暗黙の了解だった。それが子供のころから今まで、仲が長続きしている秘訣かもしれない。

(まあ、なんにせよ無理だけはしてほしくないけどな)

 駅から遠いこの場所は、ちらほらとしか人影はない。大きなカバンを持った主婦らしき人や、男の二人連れが遠くに見える。

 その時、前を歩いていた女性がふらふらと道の端に座りこんでしまった。

(気分でも悪くなったのか?)

 うつむいた彼女の長い髪がたれ、ベールのように顔を隠している。

 頭上にある街灯は逆に影を濃く見せて、恐怖を和らげるどころか却(かえ)って不気味さを増していた。

 ふいに、どこかで聞いた昔話を思い出した。

 ある男が、道ばたで袖を顔を隠して泣いている女性を見つけた。心配して声をかけると、顔を上げた女性はのっぺらぼうだった。

(まさか、幽霊? ……バカらしい。そんな非科学的なことあるはずがない)

「あの、大丈夫ですか?」

 本当に女性が心配なのが半分、自分が臆病者じゃないという証明を自分自身にしたいのが半分で、恐る恐る声をかける。。

「すみません。少し、気分が悪くなってしまって」

 女性は、ゆっくりと顔を上げた。

(良かった。のっぺらぼうどころか、キレイな人だ……)

 大きな茶色い眼。血に濡れたような赤い唇から、とがった歯がのぞいている。

「きゅ、救急車呼びましょうか」

「い、いえ、そこまでは。ここで休んでいればよくなると思いますので」

 修は周りを見回した。

 すぐそばに大き目な公園があった。確か、あそこの木の下にベンチがあったはずだ。

「あのベンチで、少し休んだらどう?」

「え、ええ。そうします」

 立ち上がり、歩こうとする女性の体がふらついて、修は慌てて両肩を支えた。

 なんとか女性はベンチに腰を下ろした。

「あ、ありがとうございます。貧血ぎみで。もう大丈夫、ここで休んでいればよくなると思いますので」

「あ、ああそうですか」

 そう言われ、彼女から離れようとした時、右手を女性に握られた。ヒンヤリとした冷たい、しっとりした手。

「え?」

 いきなりの態度に、修は鼻の下を伸ばすより困惑してしまう。

 振り向くと、女性は淡い笑みを浮かべていた。その表情はどう見ても、具合が悪い人間の表情ではない。

 修は、まるで魅せられたように女性から目が離せなかった。

(なにか……なにかヤバい!)

 頭のどこかでそんな警報が鳴ったけれど、動くことができない。それは魅惑されているというより、恐怖で固まったといった方が正しかった。

 女性はゆっくりと修の手を頬にあてた。なめらかな肌の感触。

 高空で風が梢を揺らしていく。

 修の手が、ゆっくりと女性の口元まで下ろされる。

「う……」

 チクリと手の甲に痛みが走った。女性が子犬がするように手を甘噛みしていた。

 反射的に手を引っ込める。

(この女はおかしい……!)

 手の甲に虫刺されのような痕が二つ並んでついていた。

 ごしごしと手の甲をズボンにこすりつけながら、女に背を向け、全速力で逃げ出した。。

(なんだったんだ、あの女。いきなり手に噛みつくなんて、誘ってたのか? 痴漢じゃなくて痴女って奴か?)

 美女に誘われるのは悪い気はしないが、いくらきれいでも妖しい奴はお断りだ。誘いに乗ったらどんなトラブルに巻き込まれるか分かったものではない。

 公園から遠ざかるにつれ、頭の片隅がちくちくとしびれてくる。そのしびれはモヤとなって少しずつ広がっていく。それはだんだんと濃くなって、修の頭を覆い始めた。

 胸の中にろうそくの火のような焦りが灯った。

(早く、早くしないと)

 何を? するって、何を? その焦りは、燃え広がって意識全体を焼き尽くす。

 自分で自分の質問に聞き返す。

(やる事は決まっている。材料を集めるんだ)

 だから何の?

(とにかく、兵器を作るための物を)

 待て、なんでそんなことを作る必要がある?

(理由なんかどうでもいい。とにかくそうしなければ)

 気がついたら、家に向かって修は走り始めていた。

 必要な道具をどうやってそろえようか考えながら。

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