試験終了
第57話 八月七日 一九時五九分
八月七日の二〇時に全試験を終了とする。
ゼノンよりそうアナウンスがあったので、
第一次試験の敗北によって科された、生存者の三分の一が氷漬けになるというペナルティが、試験終了により解除されるからだった。
綾たちは友人の所へ行き、淋しい編入生のオレはビアンカと一緒にいた。氷像にされたアンジェリカの安否を確認するためだ。
「時間だ」
二〇時になった。オレは隣のビアンカに目を向ける。ビアンカは車椅子から、氷像となっている愛娘を一心に見つめていた。
『試験の全工程が終了。二勝一敗で人間側の勝利です。敗北した
ゼノンの通達と同時に、【黒のスマホ】に表示された虐殺蜂の生存数が物凄い速さで減少していき、マップ上に点在していた虐殺蜂の土地が急速に消失していく。すぐに虐殺蜂の生存数がゼロになり、マップも試験開始以前の千葉県のものになる。
体育館の隅に集められた氷像となった人々にも変化が現れる。体を覆っていた氷が急速に溶けていき、青白くなっていた肌に赤みが差す。
そこかしこで歓声が上がる。氷像化が解け、何人かが目覚めたらしい。家族に抱きしめられる者、無事を確認するため友人に頬をつねられる者、何が起こっているか分からず辺りを見回す一人ぼっちの者など様々だ。ザッと観察したが氷像になった後遺症のようなものは見られなかった。
「ん……んん…………?」
アンジェリカの瞼が動く。長い睫毛が揺れ、母親譲りのスカイブルーの瞳が開かれる。
「おにい……さん……? あ、」
閉じ込めていた氷が崩れ、オレは倒れてきたアンジェリカを受け止める。
「大丈夫か? 体の具合はどうだ?」
「え、あ……大丈夫……です?」
アンジェリカは状況を掴めていないようだ。二週間以上も氷の中で眠っていたのだからそれも当然だろう。
さて、何から説明したものかと考えていたら、アンジェリカの視線がビアンカへと向けられる。
「アンジェ……っ」
ビアンカは大粒の涙を浮かべ両腕を広げる。が、アンジェリカはなぜか怖がるようにしてオレの後ろに隠れた。
「お……おばあさん……誰、ですか……?」
「あ……あ…………」
ビアンカの笑顔が消える。両腕が車椅子の手すりに落ちる。
ビアンカは【スキル・ブースト】を使用する代償に自らの寿命を捧げていた。かつては子持ちには見えぬほどの美貌を持っていた三二歳の女性は、今は一本の歯も髪も爪も無い九〇過ぎの老婆へと変じていた。血の繋がった親子であっても、この変貌を見抜くことはできなかった。
「この人が……
「う、うそですよ……ね?」
アンジェリカが、オレとビアンカを交互に何度も見る。
オレは混乱するアンジェリカの背を押し、ビアンカの方へやる。
ビアンカはアンジェリカの手を取り、そっと微笑む。
「アンジェ……わたし、よ」
アンジェリカの目から涙が溢れた。
「お、かあ、さん……? おかあさん……なの? なんで……なんで…………っ」
アンジェリカがビアンカの膝に
「なんで、おかあさんが、おばあさんに、なってるの? なんで? なんでぇ?」
アンジェリカの声は体育館中に響き渡り、喜び合っていた皆もハッと表情を固める。
「何でわたしたちばっかり、なんでわたしたちばっかりこんな目にあうの? ひどい、ひどいよぉっ!」
痛ましいアンジェリカとビアンカの姿に、体育館にいる誰もが沈痛な面持ちで俯いていた。
「おかあさん、おかあさん、おか、」
「うーーるせぇーーーーっっっ!」
アンジェリカの倍する声でオレは叫ぶ。アンジェリカがヒックと泣き止む。
「うるせえよ、頭痛くなんだろうが」
泣き声のせいで痛む頭を押さえつつ、オレは【黒のスマホ】を確かめる。表示された数値は合っていた。タタンッとタップする。
『本当によろしいのですか?』
「お前もうるせえよ」
大体、ゼノンが試験終了の二〇時までポイントを渡せないと譲らないからアンジェリカを泣かせる羽目になったのだ。全部ゼノンが悪い。
「ん」
オレはビアンカへと【黒のスマホ】を差し出す。目を
「いい、の?」
「もう買った。受け取れ」
ビアンカが涙を浮かべながら顔を綻ばせる。年をとっても変わらない、美しい笑顔だった。
「ありがとう、トーマくん」
オレの【黒のスマホ】が送信したものが、ビアンカの【黒のスマホ】に受信される。
「う……ううっ!」
「おかあさん!」
ビアンカが体を掻き抱き震えだす。アンジェリカが非難するように睨みつけてくるが、オレは肩を竦めるだけだ。
ビアンカの被っていた帽子が床に落ちる。一本の髪の毛も無かった頭皮から、金色の頭髪が溢れ出したからだ。失われていた歯、爪が生え、皺の寄っていた肌は張りが戻り、萎んでいた体が膨らみ、服の上からでも分かる肉感的な凹凸ができる。
変化が終わると、誰もが振り返らずにはいられない元の美貌をビアンカは取り戻していた。
「お…………おかあさんっ!」
アンジェリカがビアンカに抱きつく。共に大粒の涙を零しているが、悲しみではない涙にオレの頭痛は起こらなかった。
(六〇年と七ヶ月……か。恐ろしいことを)
【スキル・ブースト】はその効果の代償に寿命を消費する。ビアンカはそれを理解していながらスキルを大人数に乱発し、あと九日で死亡する瀬戸際まで己を追い詰めていた。全ては娘を助けるためとはいえ、文字通り命を削った母親の執念に、戦慄に似た敬服を覚える。
その消費したビアンカの寿命をゼノンから買い戻すのに、大量のポイントが必要だった。
虐殺蜂Lv3の討伐ポイント・三〇〇〇万。虐殺蜂・クイーンの討伐ポイント・一億。それに貯めていたポイントを合わせても全く足りず、試験終了時の最終討伐数ランキング第二位の報酬ポイント・七〇〇〇万と、命を助けてやった
ゼノンは一ポイントも値引きしてくれなかった。本当に融通が効かない。おかげでスッカラカンだ。しかしビアンカが命を捧げる決断をしなければオレたちは敗北していただろうから、彼女が受けるべき当然の報酬と言えた。
みんな笑顔だ。ビアンカもアンジェリカも、綾、誠也、騎士、理乃、義円。居心地悪そうに壁際にいる源造を除けば、皆が笑い、泣き、喜び合っていた。この光景を見るために、この未来に辿り着くために命がけでこの『試験』を戦い抜いてきたのだ。そのはずだった。
「ああ…………気持ち
皆が笑い合う光景に言いようのない吐き気を催し、オレは眩しい光に満ちた光景に背を向けた。
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