第46話 一日目 七月三〇日 一五時一三分(――:――:――)

 最終試験は籠城ろうじょうに決定した。自衛隊や警察との話し合いが三時間もかからずに済んだのは、共にこの『試験』を戦ってきた信頼ゆえだろう。


 最終試験の最重要人物であるビアンカは、九弦学園高校で保護することになった。高校の敷地は広く、三階建ての校舎などから狙撃できるポイントが多かったためだ。


 自衛隊の指導の元、学園を要塞化し、虐殺蜂の襲撃に備える。


「…………」


「不満そうな顔だね?」


 大人たちは慌ただしくしているが、オレたち生徒は暇だった。綾、誠也、騎士と四人で体育館の隅で輪になっていたら、考えていたことが顔に出ていたらしいオレに、綾が目ざとく気づく。


「なんか……気に食わない」


「なにそれ?」


 首を傾げながら綾が聞き返してくる。


 はっきりとしたことは分からないが、言いようのない不安感があった。最終試験で籠城という消極策をとる。これは正しいことなのか?


 常にリスクをとって攻撃に出るのが正しいわけではないのはオレにも分かる。急激に増えすぎた虐殺蜂が食料問題を抱え、それによる飢餓で弱体化するという予想も正しいものだろう。だがこれは『試験』だ。ゼノンが課した意図の分からない、しかし命を掛けた『試験』。ゼノンはオレたち人間の、一体何を試しているんだ……?


「ぶーたー」

 

「ふごっ?」


「だははっ!」


 綾が指で押し、豚っ鼻になったオレを誠也と騎士が笑う。


「やめろ」


「考えても仕方ないでしょ?」


 綾が人差し指をクルクルと回すのにオレは長い息を吐く。その通りだった。どんなことでも瞬時に理解できる上等な脳みそはオレには無かった。


「四人とも、少しいいかね?」


 来たのは義円ぎえん。この二週間で随分と小皺こじわと白髪の本数が増えたように感じる。校長としての重圧が老化を促進してしまったのだとしたら、オレは気ままなその他大勢がいいと思った。


 義円の後ろには理乃りのと数名の大人。その中に不快な顔もあったので、オレは警戒する。


当真仁とうまじんくん、九弦綾くづるあやさん、司賀誠也しがまさやくん、戸叶騎士とがのないとくん。そして葉ヶ丘理乃はがおかりの先生。これを受け取ってください」


 警戒していた女、野山英里のやまえりがしおらしい態度なのをオレは訝しむ。九弦学園高校に避難してきた人間たちと結託して騒動を起こしてきたこの女は、次は何をするつもりなのか。


 英里が【黒のスマホ】を差し出してきたので、仕方がなくオレもその上に自分のスマホを翳す。


「なん……っ」


 スマホに表示された数字に思わず目を見開く。英里から一二〇〇万ポイントを譲渡されたからだ。


 英里は綾、誠也、騎士、理乃へと同じことをする。


「少なくて申し訳ないのだけれど、これが私達の精一杯です」


「それは彼女たちが解体で得たポイントだ」


 義円が言い、オレは英里の手に視線を落とす。その後ろの大人達にも。その爪は緑色になっていた。虐殺蜂の体液の、汚らしい緑だ。


 虐殺蜂は売却できる。解体し、体内にある黒核こくかくを取り出して売却すれば、査定額は三万から一〇万にアップする。それが分かってから討伐者には七万、解体者には三万のポイントを分け合う取り決めがなされていた。


 五人で計六〇〇〇万。二〇〇〇体の虐殺蜂を解体しなければこのポイントは得られない。それは一人では到底不可能な数字だった。


「あなた達のような子供に、こんなお願いをするのは間違っていることは分かっています。でもお願いします。花恋を、娘を、私達の家族を助けてください」


 英里が頭を下げると、後ろの大人達も頭を下げた。


「野山さんは一〇〇名以上の方を説得しこのポイントを集めた。その努力をどうか汲んで欲しい。情けない話だが、私たち年寄りは君ら若者に頼るしかないのだ」


 義円も英里と同じように頭を垂れる。


 虐殺蜂討伐数ランキングでオレは二位。騎士と誠也が七位と八位で綾が一〇位。飛んで理乃が二四位だった。この高校で最も戦闘経験と実績があるのがこの五人だ。


 オレは英里を見下ろす。派手で口先だけだった女は、ろくに化粧もせずボロボロの爪をし、染められていない白髪のある脳天をオレに晒していた。この女は相変わらず嫌いだ。だがその姿に胸の奥がモヤモヤした。


 ふと視線を感じ振り向くと、車椅子に乗ったビアンカがこちらを見ていた。その側には氷像となったアンジェリカ。


(母親……か)


 オレは自分が感じていたことを理解する。この二人の母親としてのあり方が、オレの心をざわつかせていた。


 と、脇から綾がオレのことを、なぜかキラキラした目で覗き込んできていた。


「……何だよ」


「カッコ良いこと言って」


「はあ?」


「ここはカッコ良いこと言って、皆を湧かせるシーンだよ? センパイくんのカッコ良いセリフ、ボク聞きたいなあー」


 綾のニマニマした笑顔にイラッとくる。オレはやるとは一言も言っていないのに、やたらと自信あり気なのが鼻についた。


「…………前向きに善処する」


「いや政治家かっ!」


 誠也と騎士が両側から突っ込んできたのに笑いが起こり、シリアスな雰囲気が和らぐ。


「頼まれなくてもオレたちは勝つ」


 英里たちに向けて言う。この最終試験に負ければ死ぬんだ。戦わないという選択肢は無かった。


「ただ……このポイントについては感謝しゅりゅっ、」


 柄にもないことを口にしたので、噛んだ。


「あははっ! か、カッコ悪いっ!」


 綾が指を差して笑い、皆も笑う。


 余りに大笑いする綾に腹が立ち、オレはその頬を抓るがまだ笑っていた。


「勝とうよ」


 ようやっと笑いを収めた綾が呟く。


「勝って、また笑おう」


「そうだな……そうしよう」


 ここにいる全員、氷像となった人々もビアンカも、誰一人欠けることなく笑い合いたい。そう願わずにはいられなかった。

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