第7話 一日目 七月一七日 一五時一九分(02:20:41)

 安全な場所を求め、車で私立・九弦くづる学園高校へ向かう。


 所有者を失い放置された車両が道路を塞いでいたため迂回したり、虐殺蜂ぎゃくさつばちと遭遇したりもしたが、無事に高校へと到着できた。


「開いてるね」


 校門は開いていて、車でも通行できそうだ。さて、中はどうなっているのか?


 車をゆっくりと進行させる。校庭には何十台もの車が駐車されていた。損傷している物が何台かあるが、ほとんどは無傷の物ばかりだ。


 しかし、入りたい体育館の外壁がいへきには虐殺蜂が無数にうごめいていた。あそこが避難場所として機能しているのか確かめたいが、他の車が邪魔でこれ以上近づけない。体育館まで行っても、もし扉に鍵がかかっていたら蜂どもに囲まれて詰みだ。


「あ……!」あやが声を上げる。「理乃りのちゃん!」


 扉が開き、誰かが手を振っている。中に人がいるようだ。


「行けそうだな」


 四人で顔を寄せ合い、打ち合わせをする。


「ガキんちょ、しっかり掴まっていろよ」


 オレはアンジェリカを抱き上げる。


 体育館までダッシュするのに子供の足では心許ないので、オレが担いでいくことになった。面倒くさいことこの上ない。


「アンジェ、です」

「あ?」

「わたしは、アンジェ、です……」


 夏の青空のような色のアンジェリカの瞳から強い意志を感じ、オレはため息をつきなからも応じる。


「分かった。アンジェ、振り落とされんなよ?」

「はい」


 アンジェリカの両腕が、首をギュッと掴む。


「おねがい、シマス」


 申し訳無さそうに頼んでくるビアンカに頷く。


「いい? 行くよ。せーの……ドンッ!」


 一斉にドアを開け、体育館まで走る。全速力なのに綾に先を行かれる。さらにこちらを振り返る余裕すらあった。アンジェリカを抱えているとはいえ、走りで誰かに負けるなんて初めてだ。そして、


(尻…………)


 走り負けているので尻を追いかける形になった。負けるのも悪いことばかりではないのだと、一つ賢くなった。


 ――【危険感知】


 頭の中で警告音。攻撃予測系のスキル・【危険感知】によるものだ。虐殺蜂が外壁から離れ、こちらへ向かってきていた。尻に見惚れている場合じゃなかった。


 綾が走りながら弓を取り出し、跳躍して空中で矢を放つ。それが見事に命中し、群れで向かってきた虐殺蜂が散る。達人の技に目を見張る。


 校庭を突っ切り階段を駆け登る。羽音ですぐ傍まで接近しているのを察し、恐怖が湧き上がる。


「早くこっちへ!」


 ショートカットの女が体育館の扉を大きく開き呼ぶ。


「理乃ちゃん!」

「理乃先生でしょ!」


 理乃とかいう女はタンッと地を蹴り、軽やかに跳ぶ。思わず目で追うと、今まさにビアンカに襲いかかろうとしていた虐殺蜂を蹴り飛ばした。


「もう大丈夫ですよ!」


 ビアンカに手を貸した理乃が一足飛びで駆け込んでくると、先に体育館に入っていたオレたちで扉を閉める。虐殺蜂が衝突してくるが、扉のガラス部分は鉄格子のようなもので補強されていて、奴らとて破れなかった。


「理乃ちゃん……っ」

「理乃先生、でしょぉ……っ」


 綾と理乃が涙を浮かべて抱き合っていた。そんな感動的な場面でオレはといえば、この理乃って教師も良い尻してるなぁ、などという感想を抱いていたのだった。どうやらオレは、本気で頭が可笑しくなってしまったらしい。


「……いひゃい」


 アンジェリカが、ほっぺたを引っ張ってきた。なぜかむくれているように見える。


「やっぱり無事だったわね。心配してなかったけど」

「心配してよ」


 理乃に綾が唇を尖らす。二人は似てないが、姉妹のような気安さがあった。


「こちらの人達は?」


「ビアンカさんと、娘のアンジェちゃん。それに転校生の、転校生の…………」綾は視線を彷徨さまよわせたあと「センパイくん」と頬を掻いた。


当真仁とうまじんだ」


 覚えとけよ。悲しいだろ。


「ああー、編入してくる! 九弦校長くづるこうちょうから聞いてたわ。うん、聞いてた。うん…………ひどい時に来たわね?」


「よくあるんだ」


 オレはため息をつく。運の悪さは生まれつきだった。そういえばスキルの欄にも【悪運】ってのがあったな。それってスキルじゃなく、バッドステータスでは?


「さ、中に入って。ここは安全よ。温かい食事も用意してあるから」


 食事と聞いて腹が鳴った。ご飯が欲しいです。


 金属製の内扉を横に開く。扉が二重になっているのは安心できる構造だった。


 中には大勢の人間がいた。三面あるバスケットコートのうち、二面が人で埋っていた。大半が九弦学園高校の制服を着た生徒たちのようだ。雰囲気は暗く、座り込んでいる者が多い。


「…………会長だ」「え、ウソ」「いや、本物だろ!」


 ワッと生徒たちが集まる。綾のことを「会長」と呼び、無事を喜び合っている。


「会長……っ! 良かった、俺、俺……」

「うんうん。ありがとー」


 言葉に詰まる短髪で日焼けしたデカい男子生徒に、綾が気さくに応じる。


「……会長?」


 会長というのは生徒会長のことか? 綾は確か一年生だったはず。なのに生徒会長をやっているのか?


 オレの疑念を察したか、綾が困ったような顔をし、自分の胸をトントンと指で叩く。


「ここ、九弦くづる学園高校。ボク、九弦綾くづるあや

「この子、学園創設者の直系なのよ。九弦家の人間は、学園の生徒会長を三年間務めるのが仕来りってわけ」

 理乃が説明する。


「面倒だよー、働きたくないよー、理乃ちゃーん」

「理乃先生でしょ!」


 笑いが起こり、雰囲気が明るくなる。


「……はー」


 良いとこの出だったか。あの弓の腕前と度胸からして、かなり厳しい家なのかもしれない。


「随分と遅かったではないか」

「叔父さん」


 綾の振り向いた方から、やたらガタイのいい男がやって来た。髪は白くなっていて、髭にも白いものが目立つが、尋常じゃない体つきがスーツの上からでも分かった。


「校長と呼べ、バカモン」

「はーい。てかなに? ここに来るの大変だったんだよ? 一六才のか弱い女の子を、もっと心配しろー?」

「か弱い女の子?」校長が鼻で笑う。「猪を狩って、解体して、晩飯にする荒くれ者が、か弱い?」

「……誰のことかな? そんな子はここにはいませーん」


 綾が両手でばつを作る。


「証拠を見せよう」


 校長は左手から出した【黒のスマホ】を手慣れた手付きで操作する。【黒のスマホ】は、元々所持していたスマートフォンを勝手に取り込んでいるらしく、内部の画像や音楽のデータ等をそのまま引き継いでいた。


 表示された画像は四枚。いずれも綾が映っているが、今よりもかなり幼い。


 一枚目は何本もの矢が突き刺さり、事切れた猪とピースする綾。二枚目は天井からワイヤーで吊るされた猪にナイフを入れる綾。三枚目は剥ぎ取られた毛皮と、肉の塊になった猪を切り分ける綾。四枚目はその肉を七輪で焼き美味そうに頬張る綾の写真だった。


「……うわぁ」


 生徒たちは、あまりにワイルドな綾の写真にドン引きだった。


「おい止めろ! ボクのイメージが崩れるだろ!」


 綾が半泣きになる。


「さて」


 校長が、喚く綾からオレに視線を移す。


「君が当真仁くんか」

「そうだ」


 すごい見てくる。縦にも横にも大きく、おそらく武道にも通じているだろう男は、かなりの高齢に見えたが圧が半端ではなかった。


「失礼した。私は九弦義円くづるぎえん。この学園の校長を任されておる。あと、そこの見てくれだけは女子おなごの叔父でもある」

「叔父さんイライラしてる? 更年期? お薬飲みなよ」


 義円が睨むと、綾はべーと舌を出した。


「こちらの二人は?」

「わたしは……深森みもり、ビアンカ、デス」

「み、深森アンジェリカです!」


 緊張する二人に、義円ぎえん強面こわもてをほころばせる。


「大変でしたな。ここは安全です。あちらで休まれると良いでしょう……葉ヶ丘はがおか先生、お願いします」

「は、はい! 承知しました!」


 理乃が妙に甲高い声で返事をする。理乃ちゃん先生は、葉ヶ丘理乃はがおかりのが本名か。


 オレは理乃に連れていかれる親子の後に続く。ご飯をください。


「センパイくん、キミはこっち」


 綾に襟首を引っ張られる。


「なんでだよ? オレにもご飯をください」


 飯のことで頭が一杯のオレに、綾が顔を寄せてくる。


「キミ……ボクのお尻を撮ったでしょ? 消した? ちゃんと消したよね?」

「ナ、ナンノコトダ?」


 オレはしらを切る。


 アレは消さない。アレはオレの宝物にする。何があろうと絶対に消さないからな。そんな固い決意をするオレに、綾は赤面しながら苦々しい顔をする。


「写真を消すか、何でもボクの言うことを聞くか、どっち?」

「何でも言ってくれ」

「そこは消してよぉっ!」


 肩をパンチされる。小突かれたただけなのに骨にまで響いた。メチャクチャ痛い。


「体育教員室で話そう」


 義円と綾に、オレは半ば連行される。気分は囚人だった。


「トウマとミモリか……まさかな」

 義円が呟いた。

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