【警告】地球はアップデートします。消滅か存続か、人類を試験します

橘直輝

第1話 第一次試験一日目 七月一七日 一二時〇六分(02:23:54)

「あー……地球ころすわ。決定」


 オレは地球を殺すことに決めた。奴は調子に乗りすぎた。恨むなら、己の所業を恨むがいい。グッバイ地球。


 呪詛じゅその言葉を吐きつつ、オレは自分の状況を確かめる。さっきまで座っていた座席が頭の上にあった。どうやらオレは、車の天井にいるらしい。


 スリップしたタクシーは、車体が逆さまになってしまったようだ。洗濯物のように揺さぶられたが大きな怪我はない。咄嗟に丸まり、頭部を守ったのが功を奏したか。


 うめき声に目をやるとタクシーの運転手。シートベルトで宙づりになっているが息はあった。お互い、悪運だけは強い。


『…………す』

カーナビから音声が流れてくる。画面はヒビ割れ真っ黒で、声にノイズがかかっていた。


『……の正午……した地震は…………北海ど………く陸……関東…………近………九しゅ………日本全…で……津波の危…………ます。命を守る…………繰りか……』 


 車が浮くほどの凄まじい揺れだったが、被害はここ千葉県だけでなく全国規模で起こっているようだ。酷い目にあっているのがオレだけじゃないことに、少しだけ気分がマシになる。


 地球を殺すのは今回は見送ろう。命拾いしたな。


「……ぅ……」

体を動かすと、パラパラとガラスの破片が落ちる。全身が痛むが、骨折も大きな出血も無かった。手足を動かしてみると問題なく動く。


 外へ出ようとドアノブを引く。が開かない。事故でドアが歪んでいるようだ。


「このっ!」


 ドアを何度も蹴りつけると、軋んだ音を立て僅かな隙間ができる。そこに体を突っこみ、ようやっと外へ這い出る。


「…………あーあ」


 真夏の日差しに馴染んだ視界に、タクシーの外がどうなっているかはっきりと映った。


 大地震が発生すると走行していた車はどうなるか? その答えが七月一七日の正午すぎ、国道六号線上で示されていた。


 衝突して車両の上に乗り上げる車。対向車線へ飛び出しクラッシュした車。歩道へ乗り上げ、店や家屋にめり込んでいる車。鳴り響くアラームに混じるのは、人の悲鳴と苦悶の声だ。


 オレがほぼ無傷なのは、相当な幸運らしかった。


 とりあえず救急車でも呼ぶかとポケットに手を入れるが、スマホがない。タクシーの中を覗き込み目を凝らすが、発見できなかった。


「…………あーあ」

 一気にやる気が無くなる。大体こんな状況で、一七のクソガキに何ができるというのか。


(まあ、これで良かったのかもな)

 周囲の悲惨な状況を頭から追いやり、そう思う。


 今日は高校への編入日だった。必要な書類を届け、寮へ入居し、高校生になる。笑ってしまうくらい平穏な日常を送るようになるのだ――オレのようなクズが。

 いまさら高校になど行って何になるのか? オレのような人間の将来などたかが知れているというのに。


 大きく息を吐く。とりあえずスマホを探そう。あれは高校から支給品だ。無一文のオレには高価すぎる代物だ。


「うっ?」


 突然、猛烈な吐き気を催す。一秒も耐えられず嘔吐する。胃の中どころか内臓すら吐き出してしまいそうな勢いだった。事故で体の中を損傷していたのかもしれない。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハ…………あ?」

 目を疑う。大量に流れた涙を拭い、もう一度確かめる。


「なんだ……これ?」

 自分の吐いたゲロの真ん中に、『スマートフォン』があった。


 オレのではない。オレのスマホとは色もサイズも違う。だがこの【くろのスマホ】は…………オレが吐き出したものだ。そんな奇妙な確信があった。


 損傷したのは内臓ではなく脳かもしれなかった。しかし【黒のスマホ】を見るほどに、その感覚が正しいと思えてくる。


 周囲がザワついていることに気づき、顔を上げる。事故から生き残った人間たちが口の周りをゲロ塗れにしながら握り締めているのは、オレのと同型同色の【黒のスマホ】だった。


 シャランッ、と音が鳴り、【黒のスマホ】が点灯する。


『初めまして、当真仁とうまじん――』

 当真仁。オレの名前。【黒のスマホ】はボーカロイドのような音声でオレの名を呼んだ。


『太陽系第三惑星・地球に生存する全人類に告げます――』


 オレや他人が持つ【黒のスマホ】全てから、ユニゾンするように同じ音声が木霊する。


『地球はアップデートされます。最適化のため、あなた方人類には試験を受けていただきます。新生する地球に相応しい存在を選ぶ、適格者てきかくしゃ選定試験せんていしけんです』


 アップデート、最適化、適格者選定試験……話が勝手に進んでいく。状況が全く理解できず頭が混乱する。だが異常な事態が起こっていることだけは理解できた。


『当真仁』


 急に名を呼ばれ心臓が跳ねる。ここだけは別々の名が流れたので、【黒のスマホ】のユニゾンが乱れた。


『千葉県内にいるあなたの試験内容は、『虐殺蜂ぎゃくさつばち』との生存闘争です。三戦し、先に二勝した側を適格者、敗北した側を不適格者とし、消滅していただきます』


 消滅。不穏な単語を無感情に、業務連絡のように告げる【黒のスマホ】。


「ま、待て」

『何でしょうか?』

「お?」


 会話ができることに驚く。何も考えていなかった。【黒のスマホ】はこっちが何か言うのを待っているようだ。唇を舐め、声を出す。


「お前は……お前は何だ?」

『私はゼノン。適格者選定試験の監督官・ゼノンです』


 【黒のスマホ】の向こう側の存在は、自らをゼノンと名乗った。


『試験は既に開始されています。千葉県内の全域、全人口を対象にした虐殺蜂との生存闘争、第一次試験は『殺戮戦さつりくせん』。三日間でより多くの相手を倒した側の勝利です』


 ゼノンはいきなり耳を疑うことを言う。殺戮戦? 殺し合えってことか?

 【黒のスマホ】の画面が切り替わり、数字が表示される。


 02:23:21

 6280955(99.8%):29348(100%)


『では、地球人類の健闘を祈ります』


 ゼノンの声が途切れる。オレは【黒のスマホ】を見つめ呆然とする。何がなんだか分からなかった。


 と、どこからか水が流れてくる。ゲロと一緒に運ばれていく【黒のスマホ】を慌てて掴む。これは絶対に手放してはいけないものだと、直感が命じていた。


 水は、四つん這いになっている手首が沈むほどの深さになった。この水はどこから?


 流れを目で遡ってみると、車が沈んでいた。


 車が、ズブズブと水の中へ飲まれていく。車だけではなく建物や街路樹なども同じようにゆっくりと水の中へと消えていった。


 湖だ。いつの間にか湖が出現し、その先には鬱蒼と葉を茂らせる森が視界一杯に広がっていた。


 国道のど真ん中が広大な湖と森に変わっていた。夢を見ているのかと思い頬を抓る。痛い。


 ――【危険感知きけんかんち】。【黒のスマホ】が震える。 


「あ、あれは何だ……?」


 誰かの声。皆が空を見上げていた。オレもその視線の方を向く。


 空に、黒い雲があった。だがそれはうねりながら近づいてくる。不快な音が耳に届き、どんどん大きくなる。


「げうっ」


 すぐ傍にいた男が倒れ、何かに組み伏せられていた。それは黒と黄のツートーンカラーで、細長い足が6本、透明に近い緑色の羽が4枚あった。


 蜂だ。だがサイズがおかしい。この蜂は、まるで熊のように大きい。


「あがっ……がっ……がっ……」


 男は、腕ほどもある蜂の尻の針を背中に突き入れられ痙攣してたが、やがて動かなくなった。


 ――【危険感知】


 スマホの警告にその場から飛び退く。高速の何かが服を掠めた。


 通過していったのは別の巨大な蜂だった。見ればそこかしこで人々が蜂に襲われていた。


 『虐殺蜂ぎゃくさつばち』。その単語が頭を過る。ゼノンが言っていたのはコイツ等のことか。


(こんなのと殺し合いをしろって? 冗談じゃないっ!)


 空中でUターンしてきた虐殺蜂が、オレを目掛けて突進してくる。


「クソっ!」


 人と車が多すぎる。どこかないか。目を素早く左右に走らせる。


 バッと駆け出し、スライディングしながら車の下へと逃げ込む。新品の制服が破れるが構ってはいられない。


 縮こまりながら息を潜める。羽音で、蜂が車の周りを旋回しているのが分かった。


 ガンッ! といきなり顔面の前に針が現れる。尖端が濡れているのは毒液だろうか。それが何度も何度も突き入れられた。オレは当たりませんようにと、祈る他なかった。


 諦めてくれたのか、蜂の攻撃が止んだ。ほうっと息を吐く。


「た、助けて……」


 声の方を向くと、血塗れの男がこっちへ手を伸ばしていた。


 知っている。この男はオレを乗せてきたタクシーの運転手だった。男の手を掴むか、オレは躊躇ちゅうちょする。


「た、助けて……たす」

 男が消えた。車体の下からの僅かな視界に、何も映らなくなった。


 自分の手を見、目を閉じて耳を塞いだ。一七になったというのに、五つの頃と何も変わらない自分がいた。


 どれくらいの時が経っただろうか。何の物音もしない静寂が訪れる。


 そろそろと亀のように車の下から頭を出す。


 誰もいない。人も蜂もいない。蝉の声も聞こえない無音の世界。ただペンキのように赤いものが、木に、道路に、フロントガラスを割られた車のシートにぶち撒けられていた。


(逃げよう)


 ここに留まるのは危険だ。何かがそう告げる。幸い、子供の頃から逃げるのは得意だった。


 オレは【黒のスマホ】を握り締め、その場から離れた。

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【警告】地球はアップデートします。消滅か存続か、人類を試験します 橘直輝 @tatibananaoki

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