戦場の現実

 米軍が上陸して来たのはそのほんの数日後。

主な役割は後方支援と言えど、ろくな訓練も受けないままいきなり戦場へ駆り出されるなんて聞いていなかった。

困惑する僕らに、それでも上官は任務を怒鳴りつける。

初仕事は伝令……司令支部から各地に散開して戦っている部隊へ、情報を届けに行くのだ。

夜は灯りを付けたら敵に位置が割れてしまうので、ランプを点けて備忘録を書くことはできない。

僕と剛士の二人組は言われたことを一生懸命頭に擦り込んでから、伝達先へ向かった。


 暗い林の中、辛うじて地図を見ながら進んでいると、茂みから音がした。

頼れるガキ大将だった剛士ですら、このときは僕と肩をくっつけて縮み上がる。

結果から言うとそれはハブだった。

ハブは刺激しなければ咬んで来ない、大丈夫だ。

すっかり肝が冷えてしまった僕たちは一息吐こうと、傍に見えた小さな泉に近付いた。

剛士が顔を洗おうと水をすくうと、


「何か……汚いな。脂みたいなのが浮いてる」


と言った。

確かに、水面はやたらと月光を反射し、虹色にギタギタ輝いている。

不思議に思って辺りを散策すると、程無くして答えが見つかった。

味方が何人も水に浸っていたのだ。

最初はそれが人間だと認識できなくて、でも、死んだ人間はこんな風になるのかと思うとすぐに背筋が凍り付いた。

また、迂闊にウロウロしたのがよくなかったのだろう。

僕らはその人たちを仕留めたであろう米兵に見つかった。

姿は見えずとも怒号が響いて来る。

英語で


「居たぞ!」


という感じだろうか。

今度は肝が冷えるどころではない……脳が事態を理解するよりも先に心臓が信じられない程重くなり、「死にたくない」以外考えられなくなった。

続け様に機関銃の音が僕と剛士を追い立てる。

死に物狂いで逃げた。

弾が服を掠めたような気もしたが、逃げて逃げて逃げまくった。

はぐれなかったのが不思議な程、無我夢中に。

息絶え絶えになって銃声がしなくなった頃には、伝令の内容など頭から吹き飛んでいた。



 一応、伝達先の部隊の下に辿り着きはした。


「鉄血勤皇隊所属、藤本剛士であります! 司令支部より伝令です!」


背筋を伸ばしてハキハキ喋る剛士だったが、


「よし。内容を伝えよ」


と言われても


「……は、恥ずかしながら! 忘れてしまいました!」


正直に打ち明ける他無かった。


「今何と言った?」

「恥ずかしながら、内容を忘れてしまいました。申し訳ありません!」


すかさず、僕も一緒に頭を下げる。


「馬鹿者!! 年少だからといって米兵に怖気付いたか! 直ちに出直して来い!」

「「はい!」」


向こうも戦闘に忙しかったおかげで、説教は短く済み、平手打ちも一発だけだった。



 ところが、再び訪れたときには誰の姿も無く、焼け跡が広がっていた。


「浩介。ここで……間違い無い、よな?」

「う、うん。あ、靴だ」


僕は土に埋もれかけた発見物を拾い上げると、想像以上に重かった……中身・・が入っていたからである。


「う、うあ゙ぁぁぁぁぁぁッ!!!」


僕は思わず、それを放り出して腰を抜かした。




 ちょっぴり勇ましい遠足気分でいた僕たちは、これっぽっちも現実を知らなかった。

アメリカの高性能な機関銃、鉄壁の戦車、砲弾の雨を降らす戦艦、一方的に襲って来る飛行機……日本は蹂躙されるのみ。

これは始めから勝ち目なんか無い、血みどろで往生際の悪い持久戦なんだ。

「我が国の軍隊は今日も快進撃を続けております」と毎日のように放送していたラジオも、嘘吐きだと悟った。

 その後、最初の司令本部・首里が陥落するまではあっという間に感じた。




 新たな司令本部が摩文仁に建った事に伴い、僕たちも上官に連れられて南下するのだけれど、この時点で日本兵は当初の半分以下になっていると噂に聞く。

伝令や補給、備品修理だけしておけば良かった僕たちも、いよいよ直接戦闘へ参加する事になってしまった。



 夜、蒸し暑い林を移動しているとき。

隊列の最後尾にて僕らはヒソヒソ話を始めた。


「ねぇ……僕らって結構雑に扱われてるよね」

「上官に聞こえるぞ」


と嗜める剛士も、落ち葉を踏み締める音に紛れて肯定的な反応を示した。


「でも、まぁ……言わんとしてる事は分かる」


一方、哉は否定的。


「俺たちはこれでも日本帝国陸軍の一兵卒さかい、いつまでも子供気分でおってもしゃあないやろ。上官かて忙しいんやし、軍隊なんてこんぐらい厳しくて当然や」

「いや、そうじゃなくて……何と言うか、歓迎されてない――」


突如、銃声が僕の言葉を遮った。

立て続けに味方らしき者の悲鳴。

勿論、銃声は一発きりで止んだりしない。


「ア、アメ公と鉢合わせたんだ!」


初任務のときみたく、心臓が押し潰れそうなくらい重くなった。

焦っている筈なのに、体は鈍く右往左往するのみ。


「物陰に隠れろーーッ‼︎」


上官の指示が耳に入って来て、ようやくまともに動けた。

僕と剛士はやぶの中に、哉は岩の裏に飛び込む。

慎重に辺りを確認すると、米兵らしき陰が想像以上に近い。


「応戦‼︎」


少し離れたところから、また上官の指示が飛んで来る。

間も無く、銃声が増えた。

僕も増やすのを手伝った。

闇雲に撃っても駄目だと分かっているけれど、震える指が勝手に引き金を引いてしまう。

怖い。

何が怖いのかも分からない。

全部が怖い?

とにかく怖い。

この怖さを追い払いたくて、バンバン撃った。


「え……もう弾切れ⁉︎」


慌てて再装填を行いつつも、僕は二人の様子を見た。

剛士はすぐ隣に居る。

暗いし遠いけれど、哉の影も健在だ。

しかし、銃を握っているようには見えない。

拳大の何かから金具を抜く動作でようやく分かった。


(手榴弾か)


しかし、投げつける際 岩陰から出過ぎたのが良くなかった。


「哉‼︎!」


哉は弾幕の餌食になり、悲鳴も無くコロッと倒れた。

僕の遅過ぎた叫びを聞いて、射撃に集中していた剛士もそちらを見る。

また、


「まだ生きてる! 助けに行かなきゃ!」


駆け寄ろうとする僕の足を掴んだ。


「止せ、浩介‼︎!」


盛大に転んで、直ちに


「何するんだよ!」


と怒鳴りかけた次の瞬間。

哉の手元に転がっていた投げ損ねの手榴弾が起爆した。

吹き飛んだ土砂が頭上から降り掛かり、口の中にも入って来た。

鉄っぽい香りとぬるい生肉のような味が鼻腔に張り付くような感覚がした。


「あ……あぅ………ッ」


このときの吐きたいような、泣きたいような衝動は忘れられない。


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