タンタカタン
@kohari_plum
第1話 第1章 桜の木のカラス
鳥が止まっていた。見たことが無いくらいの数の鳥が。
今、目の前の樹に止まっている鳥の、異常な数を目にしているので、厳密に言うと「見たことがない」ことにはならないのかもしれない。ただ彼は今まで生きてきた中で、一本の樹に百羽以上の鳥が止まっているのを見たことがなかった。時期は4月だが、今年は例年よりも寒さが長引いた。
そのせいかは知らないが、街の樹もまだ芽吹いてはいなかった。だから『アレは異常だ』とすぐに気付けたのかもしれない。
始業式終わり、部活動も一部を除いてやっていない日だからか、校内に残っている生徒の数もかなり少なかった。
傘音の高校にある桜の樹は、二棟ある内の東側校舎と校庭の間に植えられている。何期生目かの卒業生が贈呈したらしい。高校だとよくあるやつだ。そんな桜の樹は、近くで見ると小さな蕾が付き始めてはいるが、やはり遠目に見てもピンク色の綺麗な花が咲いているような段階ではなかった。ピンク色の花びらや蕾の代わりに、桜の樹が
「
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頬を伝う涙、滲む目を擦りながら、持っていたカバンの中にしまってあるのは箱ティッシュ。そこからちり紙を一枚取って、涙を拭いた。この時期は何となくだが、風が吹くと黄色い塊が宙を舞っている様に見える、ような気がする。
ズズッと鼻を啜る音がこれまた不快だ。
春は嫌いだ、もとい花粉は大嫌いだ。
去年もそうだった、この時期に何故始業式があるのか。一部の学生にとっては、通学に対するやる気を著しく損なう時期だと思う。現に僕の通学に対するやる気は、その進行速度に反比例して、底に着きそうなほど落ち込んでいた。
始業式開始時間は午前9時。その前の8時50分からは二学期最初のホームルームがある。10分間のホームルームで、出来ることは限られている。大体は「今年1年間、みんな仲良くしていきましょう」的な挨拶と、他愛の無い話を、10分間担任の先生がした後、体育館に移動して始業式が始まるだろう。
9時前までに教室へ入ることが出来れば、悪目立ちすることはないだろうなぁ。
そんなことを考えながら、僕は自転車を漕いでいた。現在の時刻は8時45分。僕が通う高校までは残り一キロ程と言ったところだ、急ごう。
僕は自転車のサドルからお尻を持ち上げ、立ち漕ぎの姿勢で自転車のスピードを加速させた。
結局、僕が学校に着いたのは他の生徒が席を立ち始めて、体育館に向かおうとしている頃だった。急いで自分の学生鞄を机に置き、ゾロゾロと教室を出る列に紛れ込み、そのまま体育館へと向かった。始業式が始まると、部活に所属している生徒以外は、生徒会役員くらいしか歌えないであろう校歌斉唱から始まり、あまり顔を見たことが無い校長先生の長い訓話、あまり関りを持つことが無い新任の教師を紹介する時間。少し飽きてきたと思ったら、各種部活動の表彰式と、自分には無縁の時間が始まった。
体育座りで、それを静かに聞いていた僕の意識は、その辺りで静かに途切れていった。
Zzz……。
次に僕が目を覚ました時には、他の生徒がゾロゾロと体育館を出ていこうとしている頃だった。ちなみに僕の額には、制服の上着に付いているボタンの跡がクッキリと残っていた。
『退屈』というのは、実は最も有効な睡眠導入剤なのではないだろうか。なんて事をまた考えながら僕も、学校に到着した時と同じように、ゾロゾロと歩く列に紛れ、体育館を後にした。
教室に戻った後は、帰りのホームルームが開かれた。それが終わると他の生徒達は、半日で終わる貴重な日を無駄にしないように、仲の良い友達とそれぞれ遊びに行く約束を口々に結んで、何人かでグループをそれぞれ作り教室の外に出て行った。
僕は明日から必要になる勉強道具一式(ノートやら筆記用具やら)を、一通り机にしまっていた時。
「あ、本……」
そういえば冬休み前まで読んでいた本が、読みかけたままになっていたのを思い出した。残りも十数ページで終わるはずだったので、読み切ってから帰ろうと思い、鞄を教室に置いたまま、僕は図書室に向かった。
図書室は教室棟とは反対側校舎の二階にある。一階にある渡り廊下から、もう1つの校舎へ向かい、そのまま近くの階段で二階へ上がり図書室に向かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
現在、時刻は16時。すっかり夕方だ。
読みかけていた本は一時間も掛からず読み終えたのだが、気になる本を数冊見つけてしまった。それが良くなかった。
「お昼ご飯、食べ損なったなぁ……」
自分がお昼ご飯を食べていないのを思い出すと、グ~っと間抜けな音でお腹が鳴った。
帰り道の途中で遅めの昼食で食べてしまうか――どこで食おうか、何を食おうかなど、遅めの昼食をどうしようか考えながら、鞄を取りに教室へ戻ろうとしていた。
教室側校舎に戻ろうと、一階の渡り廊下を歩いて数歩、校舎と校庭の間にある桜の樹が気になった。
それは漠然とした違和感だった。
最初は何がおかしいのか分からなかった。
ジーッと目を凝らし、少し遠くにある桜の木を見ていると、その異変に気付いた。
枝に付いている葉が全て黒く見える。傾いてきた夕日のせいで最初は影っているのかと思った。
ただ違った。数十羽、下手したら百羽以上かもしれない黒い鳥――カラスが桜の樹を埋め尽くすほどに止まっていた。
「なんだ、あれ……」
少し気味が悪かった。
ただ、人は一度興味を持つと、それを見過ごすのがすごく難しくなる。それが今までに見たことの無い事だと、更に難しい。
僕は警戒しながらも、桜の樹の下まで近付いてみることにした。
桜の樹から二百メートルくらい手前の位置で、木の下に人が立っているのに気付いた。さっきまでの警戒度を少し強め、眉間に少し皺を寄せ目を凝らしながら、さっきよりも少しだけゆっくりと歩き、僕は桜の木とその人影へと近づいて行った。
「ザザッ……か、よ……ザーッ……」
振り向く前に見えた、背中いっぱいに広がる艶のある黒く長い髪が印象的な女子生徒だった。
それをなびかせてこちらを振り向くと切れ長の瞳がこちらを見据えながら、ラジオノイズのような、変な音が重なって聞こえ、彼女の声を僕は聞き取ることが出来なかった。
「ごめん、聞き取れなくて……なんて言ったのかな?」
聞き返すことに少し申し訳なさを出しながら、もう一度尋ねる。
「だ、ザーッ……ザザザッ……ザーッ」
さっきよりも変な音は大きくなり、今度の返事はひとつも分からなかった。
口は動いているので話しているのは間違いないが、その声にはやはりラジオノイズが重なったように聞こえてしまう。
「えっと、あの……」
僕は聞き取れない言葉にどう返事をしようか考えて、動くことも、返事をすることもできず、そのまま少しの間フリーズしてしまっていた。
目の前の女性は眉毛をハの字に曲げ、少し困ったような表情をしていた。少しの沈黙の後、彼女は軽く会釈をして
「何だったんだ、一体……」
日も傾いてきた夕暮れ時、少しずつ陰ってきた桜の木を見上げながらボソッと独り言を呟いていた。
さっきまで桜の木を埋め尽くすほどのカラスは、いつ飛んで行ってしまったのか、一羽も見当たらなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の日、僕は教室に着いて席に座るなり、真後ろに座る男子生徒の方へ振り向いた。
「おはよう! 不躾で悪いんだけどさ、髪がめっちゃ長い女子生徒ってウチの学校にいるかな?」
名前が分からなかったので、まず印象に残った黒髪で探りをかける。
僕が通う高校の校則はそこまで厳しくなく、大半の女子生徒は高校デビュー以来、髪を染めている生徒が多かった――現に僕も暗めだが茶髪に染めている。
ただ、そんな少ない情報で唯一人の女子生徒を特定するのはやはり難しく、結構な時間が掛かってしまった。
その日の放課後まで掛けて、何とか彼女の名前と、その他の情報を色々聞き出すことが出来た。
『
まさかの同じ学年だった。
以下、名前が判明した後に聞き込みをした生徒から得られた情報だ。
生徒A「え、日申さん? 頼りになる人って感じかな、成績も良いよね」
生徒B「日申さんね、知ってるよ。生徒会に入ってて成績も良いし、色々と頼れるし、安心する存在って感じだよね」
生徒C「日申さんは身長172cm、体重52kg、誕生日は4月4日で生徒会所属、担当は書記です。去年の期末テストの順位は上から4番目で成績も優秀な女子生徒ですね」
最後の生徒だけ先生にチクっておいた。あの情報量は何か、ストーキング的な危うさを感じた。
僕は妃慈さんについて教えてくれた生徒に『ラジオノイズみたいな変な音』について――会話の時、何かノイズみたいな音が妃慈さんの声に重なって聞こえないか、それも質問してみた。
だが、全員口を揃えて「そんな事はない、普通に聞こえるよ」と、答えが返ってくるだけだった。
どうやらノイズ音が聞こえているのは僕だけみたいだ。
進展のないままその日は終了。僕は妃慈さんに、あの日の事を尋ねるため、直接会いに行くことにした。
本人がこの事態を把握しているのか、何か本人に異常はないのか、色々聞きたいことがあった。
妃慈さんの生徒会の仕事が忙しいのか、単に僕が人捜しが下手くそなのか、全く見掛けることすらもできないまま、そこから更に2日が経ってしまった。
妃慈さんは生徒会所属だと情報を貰っていたので、僕は生徒会室の前でひたすらに待つ作戦を取ることにした。
1年生の頃はまったく近寄らなかった生徒会室。
自分にはご縁はないと思っていたのに、まさか人探しで近寄ることになるとは思わなかったし、それが人を待ち伏せする為だとは、なおさら思わなかった。
最初の10分くらいは緊張からか、廊下の左右を見渡し、キョロキョロと怪しい挙動で待っていた。が、一向に現れない。
首を左右に振るのにも少し疲れ、注意力が切れきたくらいの頃、廊下の向こうから、書類の束を手に持った妃慈さんが歩いてくるのが見えた。
「妃慈さん……ですよね? 始業式の日ぶりかな、どうも」
妃慈さんが僕と10mくらい間隔を空けて立ち止まったので、そのタイミングで僕は挨拶した。
「あな、ザザッ……桜の木の下に、ザーッ……」
妃慈さんが口を動かして返答しているが、その声にはやはりノイズ音が重なって聞こえる。ノイズ音のせいで、妃慈さんの言っていることの大半が聞き取れない。
まぁ、こうなるだろうと思っていた。僕はそのまま鞄の中からノートとペンを取り出して『ごめん、あなたの声にノイズみたいのがかかって、よく聞き取れない。筆談でも良いかな?』と、走り書きでノートに起こし、それを見せた。
こちらに近付き、文章を目で追い読む妃慈さん。途中でハッとするような表情をしたかと思うと、持っていた書類の束を片方の手だけで持ち、空いた手で『ノートを貸して』とジェスチャーをしてきた。
僕が持っていたノートとペンを手渡すと、妃慈さんは書類の束の上にノートを置き、スラスラと文字を書いて僕に見せてきた。
『他の生徒にそんな事を言われたことはないけど、私の声だけなんですか?』
走り書きなのに字、綺麗だな。
そんな感想を心の中で呟きながら、妃慈さんの書いた字を読む。読み終えると、そのまま首を縦に振り肯定した。
僕はもう一度ノートとペンを貰って『ぼく以外の人に、ノイズが掛かっているとか言われたことはないですか?』と書いて見せた。
今度はノートとペンを受け取るまでもなく、妃慈さんは首を横に振って答えてくれた。
僕がどう質問したものかと考えていると、妃慈さんの方からザザザッと音がした。何かを喋ったんだろう。その後軽く会釈をして、妃慈さんは生徒会室に入って行ってしまった。
「さて、どうしたものかな」
本人に直接聞いても、心当たりはなさそうだった。
ただ、最初にノートを見せたとき、少し表情が変わっていたのが気になった。
唐突に『声にノイズが掛かっている様に聞こえる』なんて言われてビックリしただけかも知れないが、どうにも引っかかる。
「ま、明日また調べてみるか」
とりあえず、その日はそれだけにして帰宅することにした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
異変は次の日から起きた。
電柱の後ろから不自然に出る鞄の端。
『タッ、タッ、タッ……タッ、タッ、タタッ』
半歩ズレており、しかも時折歩調を合わせることをガン無視したような急ぎ足をする靴音。
僕が振り返ると、近くの壁から妃慈さんの顔だけが見える。
どうやら妃慈さんは、僕を尾行している(つもり)らしい。
尾行とは、相手にバレないよう後をつけて行動などを監視することを言う。
ここで一番重要なのは「バレてはいけない」ことだ。その点で言うと妃慈さんは、向いていない。
隠れるのも下手、歩調を合わせたりするのも下手。
あれは尾行とは言えない――ただ距離を置いて後ろを歩いている、という方が多分合っている。
登校中、学校の中、放課後、下校中。
僕が妃慈さんに直接コンタクトを取った日以降、授業以外で妃慈さんを見かけない時間はなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そんな下手っぴな尾行をされるようになって数日。
今日は雨だった。
一通りの授業を終えて放課後、今日は雨も降っているし、特別用事もなかったので、居残りせずに早めの帰路についていた。妃慈さんは今日も僕のことを尾行しているようだ、差している傘が丸見え。
そういえばだけど、妃慈さんはこの尾行を何の為にやっているんだろうか。変な質問をしたせいで、何か生徒会として監視対象とかになってしまったとかなのだろうか。
嫌だなぁ。
誤解だし、事情を説明しに言った方が良いのだろうか。
今パッと後ろを振り返って説明しようか。ただ、本人はこの尾行を『バレていない』と思ってやっているだろうし、何かこう、自尊心的な物を傷付けてしまったら申し訳ないし、悩みどころだ。
などと考えながら、雨が降る帰り道を歩いていた。
今日は雨なので、今朝は自転車ではなく徒歩で通学した。
だから普段よりも少し遠回りだ。普段は直接高校まで自転車を漕げば良いのだが、雨の日は一度駅まで歩き、そこからバスで高校の近くのバス停まで行き通学する。
今はその逆の道順を進んでいる。駅から家までの途中にある、大きな雑木林の斜面に沿った道を、傘を片手に歩いていた。
妃慈さんは反対側の歩道を数メートルの間隔を空けて。しっかり歩いてきている。
歩いて数分、やはり誤解は解いた方が良い。
そう思い、妃慈さんの方に振り返ろうとしたとき。
ゴゴゴゴゴッ……。
聞き慣れない音が聞こえてくる。それは僕の斜め上方向からだった。すごい大きく、地面から響くような音。
ハッと気付いて上を見たときには、もう遅かった。
土、石、岩、折れた木々、それと今も降っている雨水。それらがいっぺんに雑木林の上から斜面に沿って僕目掛けて覆い被さるように降ってきたのだ。
悲鳴を上げる間もなく、僕は土、石、岩、木々、雨水、それらが混ざった重い液体のような土砂に飲まれてしまった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
目の前で
すぐそばの雑木林を見ると、ショベルカーが土を掘り返したかのように、ごっそりとそこに生えていた木や草が消え――その下にある土や石、岩が露出していた。
雑木林の直ぐ下にある道路、そこには抉られた斜面に元々あったであろう木や土、石などが混ざり合って土砂となり、流れて小さな山を作っていた。
私の声にノイズが掛かっているように聞こえると言った人間が、
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