内閣府NTR事務局
外清内ダク
1.ちっとも寂しくないけれど
13人。13人だよ。なんなんだよ! ああ分かってる。偶然だよな。運命に理由なんか無い。でも問わずにはいられないんだ。とても偶然とは思えないんだ。誰かが四六時中俺の人生を監視して、逐一ちょっかいかけてんじゃないか? そんな妄想が止まらない。陰謀論に飲まれそうだよ。なぜ俺が? なぜ俺だけが? どうして他の誰かじゃなくて、よりにもよってこの俺だけがこんな目に!?
13人!! 中2のときの初恋の人から16年で13人。今まで付き合ってきた恋人たちを、俺は、ただ一人の例外さえなくみんな他の男に寝取られてきた。最近じゃもうパターンが読めすぎて、どんな魅力的な彼女ができても全然心が躍らないんだ。付き合い始めて
「冗談じゃねえよッ!」
居酒屋のカウンターに握り
「荒れていらっしゃいますね」
いきなり誰かが俺の隣に腰を下ろした。酒に濡れた目を向ければ、痩せた会社員風の男がそこにいる。眼鏡の奥にニコニコと見事な愛想笑いが貼り付いて、上等なスーツもよく手入れが行き届いてて。「有能」が服着て歩いてるみたいな奴だ。人当たりがよく、能弁で、何をするにも手際が良い、そんな感じの。
「誰でしたっけ……」
「はじめましてですよ、
……あ、店員さん、注文いいですか? えー、焼き鳥の盛り合わせと茄子の一本漬け。あとウーロン茶で」
藤原なる男から差し出された名刺を見て、俺は眉間に皺を寄せた。大層な肩書だ。『内閣府NTR事務局 藤原道弘』……
「内閣?」
「内閣府。その特別の機関でございまして」
「はあ、特別機関」
「いいえ、特別の機関です。国家行政組織法に基づく……ま、どうでもよろしい。花村サチさんを覚えてらっしゃいます?」
俺は思わず腰を浮かした。忘れるわけない。初恋の人だ。童貞を捧げた相手でもある。ちくしょう、いきなり名前を出すな! 思い出しちゃったじゃないか、あの子の世界一素敵な笑顔を! どうしてくれる! 目が熱い! 酒が入って感傷的になってるときに、よりにもよってなんてことを口走るんだよこの男!
「
「なんで?」
「ご興味は?」
「あるでしょ!」
「あなたと別れた後、新しい恋人と同じ神奈川県内の高校に進学。順調な交際のすえ21歳で学生結婚し、今は2児の母として子育てに奔走中」
「……そう」
「嬉しそうですね」
「えっ?」
「笑っておられます」
「そうかな……そうか。そうなのかも……」
「他の方々のことも知ってますよ。手帳にメモが……えー、斎藤ササラさんは起業なさいまして、好景気の波にうまく乗り、先日ついに東証プライム上場。後藤田アミさん、こちらは美術業界人の恋人の引き立てで現代アートで人気爆発、来月ニューヨークで個展だそうで。それから田辺ユリカさん……おや? この方は女性に寝取られたんですか?」
「え!? 『他に好きな人が』って、あれ女だったの!?」
「
「あの、質問していいっすか」
「もちろん」
「なんでお役所が俺の元カノのこと調べ尽くしてるんです?」
「さ、そこです。
あなたは女性と恋をするたび、必ず恋人を他の誰かに寝取られてしまう。
しかしあなたと別れた女性は、なぜかそのあと100%の確率で人並外れた幸福を手に入れるのです」
「……は?」
「先ほどお伝えしたでしょう? 財産ゼロからほんの10年でプライム上場。世界的アーティストとして活躍。ノーベル賞確実の大発見。どれもこれも常人にできることじゃない。最初の花村さんだってそうです。実は彼女のお子さんが、ちょっととんでもない天才児でしてね。来年から始動する国の飛び級プログラムで、8歳にして大学院修士課程に入学することが決まっている。
これは決して偶然ではない。なんならあなたが付き合ってきた13人、すべてお聞かせしても構いませんが?」
「ちょ、え、まって、なに? つまり……俺と付き合うと運が良くなる?」
「運だなんて曖昧なものではありません。因果整流子現象というそうです。
あなたが寝取られると、女性が幸せになる。それがこの宇宙の摂理。エネルギーが保存されたり、作用には反作用があったり、エントロピーが増大したりするのと同様に、あなたが寝取られた女性は必ず幸福になるのです。
まあ、最先端物理学の成果については専門家の先生にお聞きください。
「どういうことだよ!」
「あなたには我が国を発展させる力がある」
藤原は、あの完璧な微笑で俺の顔をのぞきこんだ。こいつが何を言わんとしているのか、もう俺にも分かっていた。冗談だろ。狂ってるのか。いや、狂ってるのはこの男じゃない。こんなメチャクチャな計画のために、本気で特別機関だか特別の機関だかを立ち上げてしまうこの国。いや、俺が生きてるこの世界そのものが、まるごと狂ってるとしか思えない。
だが藤原はハッキリと言った。悪びれもせず、お得な商談を持ちかけるビジネスマンそのものの口ぶりで。
「可能な限りたくさんの女性と付き合い、どんどん寝取られていただきたい。お相手は
*
こんな馬鹿げた仕事を引き受けたのは、びっくりするほど待遇が良かったからだ。年俸は平均年収の軽く3倍。しみったれのお役所にしてはずいぶん思い切った金額だと思う。そう、金に目がくらんだのさ。それだけだ。他に理由なんか無い。
お役所に呼び出され、細かな文字がみっちり詰まった契約書にサインして、4日後にはさっそく俺のところに『恋人』がやってきた。といっても別にお見合いとか紹介とかでなく、街で偶然出会った服屋の店員さんと、なんとなくいい感じになったってだけだ。でも、これがNTR事務局の差し金らしい。なんだっけ、因果……なんちゃら現象。あれの応用で、新しい恋人との偶然の出会いを必然的に起こせるんだそうだ。まあもうなんでもいいや。その女性は抜群に美人だったし、腰は細いしおっぱいはデカいし、なにより、「愛してる……」って情感を込めて俺を熱烈に抱き包んでくれた……
「とりあえず最低限1回はセックスしてくれ」ってのがNTR事務局から出された条件だったから、もちろん俺はやることをやった。気持ちよかったよ。本当に素敵な女性だった。俺は彼女に一万回もキスをした。首にも、鎖骨にも、二の腕にも、薬指にも、おへそにも、脇腹にも、ちょっと口に出すのがはばかられる素晴らしい所にも、持ちうる限りの愛を口づけの雨に変えて降り注がせた。その翌週、彼女は他の男とのセックスに溺れ、俺のことを忘れてしまった。
俺もすぐにその人を忘れた。また次の恋人がすぐに表れたからだ。新しい彼女はすごくおっちょこちょいで、何か一つ仕事をするたびにバカみたいなミスばっかりするんだけど、でもすべてに真剣な人だった。かわいい。守ってあげたい。俺は胸を熱くして、お姫様に仕える騎士のようにその子をエスコートした。彼女がベッドの中で涙目になって俺を見あげ、顔面を真っ赤にして「お尻叩いて」って懇願してきたときは驚いたけどな。もちろん望みどおりにしたよ。俺は騎士だもの。お姫様の命令は絶対だ。そうして3週間、ちょっぴり特殊な関係を続けた後、姫はもっと強い騎士と巡り合って姿を消した。
さあさあ、お次はどなた? なんかだんだん笑えてきたな。次なる女性は、いや、すごかった。すごい技術と積極性の持ち主で、俺は体力と気力のすべてを一滴残らず搾り取られてしまった。どうにもならないんだよ。二人きりになったらもう終わりだ。少しでも気を緩めたら即座に唇を奪われ、恐るべき指先の技でたちまち上り詰めさせられる。逃げられはしない。膝が震え、腰が砕け、立っていられなくなってしまう。結局5日間、俺と彼女はホテルから1歩も出ずにやり続けた。死ぬかと思った。実際ちょっと死んだんじゃないかな。俺の中の俺の一部が骨になって崩れ去ったみたいな気分だ。地獄のように気持ちよかったけどね。で、6日目の朝、ぜんぜん勃起しなくなった俺を残して彼女は部屋を出て行った。
一人でホテルの天井を見あげてたって、ちっとも寂しくないけれど。
こういうの、男の夢だよな! いろんな女の子をとっかえひっかえ。思うがままに肉体を味わい尽くして、飽きる暇もなくまた次の女だ。こんなに充実した性生活を送ってる男が、一体この世に何人いる? 俺はすごく幸せ者だ。そして俺と一時付き合うことで、彼女たちがもっと素晴らしい男と出会ってもっと幸福な人生を送れるようになるっていうなら、これはもうWin-Winって奴じゃなかろうか。誰も不幸にならない最高の仕事。こんな計画を立ててくれたNTR事務局には感謝してる。政府もたまにはいいことをするよな。
1年が過ぎた。2年が過ぎた。俺は数え切れないほどの女性とベッドと共にし、その全てを寝取られ続けた。何ヶ月かに一度、NTR事務局の藤原と顔を合わせて報告はしている。とはいえ、俺から何か言うまでもなく連中は全部把握してるみたいだった。俺と別れた女性たちのその後についてもしっかり調査しているらしい。
「興味あります?」
と聞かれたけど、今となっては
「もういいよ」
と、それだけだ。
いつしか俺は、女性を記憶することをやめた。覚えるどころか名前も聞かないし、ろくに顔すら見ようとしない。どうせ長くても数週間の付き合いだ。その後は一生会うことはない。目の前の女性が誰なのか、どんな人なのか、これからどんな人生を送るのか、よく考えてみれば俺にはぜんぜん関係がない。
俺って一体なんなんだろうな。
どっかで聞いた哲学だけど、人間っていうのはこの肉体一つでできているものじゃなくて、付き合ってきた他人や、関わってきた物事、過去の経験と未来に進むべき道、そういうのを全部ひっくるめて一個の存在であるらしい。とすると、好きになった女性と決して長く一緒にいられない運命の俺は、ものすごく小さな存在ってことにならないか? だって誰とも繋がりが無いんだもの。そんなことはない? 彼女たちの心の中で、きっと俺との思い出も活き続ける――? ほんとにそうか? そんな妄想と甘い期待が、何かの慰めになるとでも?
さらに数年が過ぎた。鏡を見れば、魚屋の乾きかけた
たぶんこんな生活を、俺は死ぬまで続けるんだろう。他にどうしようもないし、それでいいと思ってたんだ。
あの時、君に――出会ってしまうまでは。
(つづく)
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