美少女なら人生イージーモードって本当ですか?『友達』になってくれますか?

犬道(いぬみち)

異世界

 意識が覚醒し重い瞼を開くよりも先に、右手で枕の横に置いてあった携帯電話を掴む。


 5時30分、いつも通りアラームより早く目が覚めた。まだ強い眠気と気だるさを感じて二度寝を決める。だが、再び目を閉じ意識を失ったと瞬間に右手に掴んだままの 携帯電話が震え、意識が完全に覚醒した。


 「・・・」


 6時0分、30分程度の二度寝による効果はなく、眠気と気だるさは身体に纏わりついたままだった。


 (溜まってるアニメでも消化すればよかった)


 そう思いながら、布団からは抜け出さず横になったまま昨晩ベッド脇に置いた朝食の入ったビニールを開けて中身を取り出す。

 コンビニのパンケーキ、バターとマーガリンに引き立てられた生地とハチミツの甘味が幸せを与えてくれる筈だ。


 そう願いながらパンケーキを咀嚼したが、その願いは叶わなかった。きめの細かい生地が口の中の少ない唾液を吸い取り、舌にへばりついたからだ。

 不快感を気にせずに食べ進める。

 次第にパンケーキ生地独特の甘ったるさとハチミツに混ぜられた過剰な糖分が口いっぱいに広がり許容値を超えた甘味が脳に警告を与え、バターとマーガリンの油分が口内から鼻腔へ駆けあがり不快感を高めてくれる。


 昨晩は甘いものを食べたいと思ってパンケーキを買ったが、今朝の身体は甘いものを求めていなかったようだ。

 惣菜パンにしておけばよかったと後悔しながらパンケーキと唾液の混合物を飲み込むと、喉から食道を這いずり回るように駆け下りていく。

 混合物が胃に届くと同時に、嘔吐感を感じてえずいた。


 「くそっ」


 食道への逆流を感じてたまらず上体を起こして悪態をつき、半分以上残っているパンケーキを袋に戻してから、ベッドに放り投げた。

 朝から最悪な気分だ。それでも仕事を休むという選択肢はない。


 昨日はいつもより早く夜の9時には退社したため、今週中の必須タスクを滞りなく終わらせるためには少なくとも毎日4時間程度の残業を見込んでいた。最近も夜にトラブルの電話や土日出勤はあるが、夜勤は無いのだから少し前よりは仕事楽になっている筈なのだ。

 耐えられない訳がない。楽になっているのだから。


 それに、同僚達も似たような状況に置かれている。現在の部署は全員男、殆どが自分と同じ独身だった。


 「まだ、大丈夫...」


 そう自分に言い聞かせながらようやくベッドを抜け、電気もつけずに部屋を出てすぐ横の冷蔵庫からパック牛乳を取り出してそのままゴクゴクと飲む。牛乳は口や喉に残った不快感を取り除いてくれたが、身体を内側から冷やしてきた。

 12月なのだから温めてから飲めばよかった。しかし今更温める気にもならず、身体が求める水分をそのまま補給した。牛乳を冷蔵庫に戻した後、薄暗い自室に戻る。


 寝巻にしているよれよれのTシャツを脱ぎ、ワイシャツ、靴下、スラックス、ジャケット、靴下、コートを順番に身に着けていくと、一般的な社会人が完成した。冬はマスクを着けっぱなしなので、無精髭程度を剃る必要はないだろう。


 一通り朝のルーティンをこなしたが、身体のダルさは変わらずだった。ため息を吐く。

 スマホを覗くと6時30分を過ぎている。もう家を出なければ。今日は何もなければ終電前に帰宅し、少しでも早く寝たい。

 そう思い、空き缶で埋め尽くされたローテーブルから家の鍵の入ったキーケースを拾い上げ、ポケットに入れた。その際、ポケットに入れたままになっていた風邪防止のための――昨日使用したマスクを装着する。


 部屋から出て、再度洗面台の前に立つ。数か月切っていない伸び切った前髪に隠れて目が見えなかった。目も鼻も口も見えない姿に、思わず笑いが込み上げる。


 「ははっ、誰これ――」


 前髪は邪魔だったが、ワックスやジェルで整える事はできない。しばらく前に切らしてから買い直していない。


 いったい何時からこんなことを続けているのだろうか。大学を卒業して就職し、新人を脱して会社、社会に貢献しているという自負はある。

 だが、友人と遊ぶ暇も体力もなく、恋愛に勤しむ気力もない。ゲーム、アニメ、映画、音楽、旅行、趣味は色々とあった気はするが、最近は趣味に没頭した記憶がなかった。金に困ってはいないが、今の自分には満たされた感覚はない。


 ――不要な考えを巡らせて更に気分を暗くなった。


 頭を横に振り、気持ちを切り替え玄関に向かう。きっと、これからいつかまた、楽しいことがある筈だ。

 世間はクリスマスシーズンで、特に大学生や高校生は盛り上がっている時期だ。先日職場近くの高校を通りかかったとき、隣を歩く女の子の手を初々しく握る男の子を見た。

 ――自分が高校生の時は、そんな勇気はなかった。


 毎日の電車内でも、美少女とそれを囲う男を見かける。

 ――自分が大学生の時は、女性を取り合うような競争心はなかった。


 同僚の女性はいつの間にか結婚しており、先月から育休をとっている。

 ――自分が新人の時は、仕事を覚えることに精一杯だった。


 今年の新人に女性が1名居たが、先輩社員にアプローチされて付き合っているようだった。

 ――自分は恋愛をしていない。


 女は人生イージーモード、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 いや、女だからという事はない。美しく、若くある必要がある。何の変哲のない男と美少女であれば、与えられるものが違うことは間違いない。


 革靴を履く。

 しかし、確実ではなくとも同じ条件であれば男よりも女性の方が――、美しい方が優位ではないだろうか。例えば、セーラー服の似合う金髪碧眼の美少女で、身長は高すぎず低すぎず、スタイルもよく、よく通る声で。


 ――少なくとも、今の自分よりは。


 玄関のロックを外し、ドアノブを捻る。


 それは、なんとなくの妄想だった。少し現実逃避をしたかっただけだ。別に、本気で思っていた訳ではない。


 「もし、俺も美少女に生まれていればな――」


 ドアを開ける。室内より更に冷たい空気がむき出しの顔・・・・・・と、を撫でる。


 外に出る。薄暗い空が視界に入る。


 そして、いつも通りにアスファルトとコンクリートの建物が—―


 「?」


 なかった。


 あるのは、舗装されていない地面、木造の建物、石垣の壁。建造物は日本では見られないものだが、よく見覚えがある様式だった。


 しかし、それは映画で、ロールプレイングゲームで、そして中世ヨーロッパ風異世界転生で見た景色だった――。

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