第四幕 地ならし
38 ガルダリアの善意
ガツガツガツガツ。
バリムシャバリムシャ。
咀嚼音。
「これ旨いぞ、おっさん!」
「うむ、美味」
シルワア、フェリーは口にいっぱい食べ物を頬張りながら喋る。
「飲み込んでから、話してくれ。喉に詰まるぞ」
フェリーを諭しながら、シルワアの口元を拭く。
気分は親だ。外から見られてたら、そう見えるのかもしれない。
拭き終えて、自分の手元に置かれたスープを啜る。
ここはギルドマスターの部屋。
部屋の真ん中に置かれた接待用のテーブルとソファに座り、食事を取っている。
ダインに招待されてだ。
名目はちょっとした食事会兼ギルドカードについての報告だ。
食べ物は、一階にあるギルドのフードコートから買ってきたもの。
肉料理を中心に、テーブルへ並べられた料理達。
それらは全てフェリーやシルワアの胃袋へと流れていき、その端に置かれたサラダやスープはボクの方へと回ってくる。
胃もたれしやすい体のボクにとっては、ありがたい。
「参ったな。まさかこんなに食うとは思ってもみなかった」それを見て、ダインは眉苦笑する。
彼は財布をひもじそうに確認する。
大量に置かれた料理。
これら全て、ダインの自腹である。
「これで足りると良いけれど。シルワア、まだ食べるだろうから」
「マジかよ……まだ軽くなるのか、俺の財布」手で額を覆うダイン。
「普段彼女、猪をほぼ丸々食べるからね」それを苦笑いしながら見る。
「ハイエルフ。エネルギー、いっぱい使う」
「燃費の悪いハイオク車みてえだな。ハイエルフだけに」
フェリーの言葉に「どういう意味?」と首を傾げるシルワア。
ハイオクも、レギュラーも、そもそも自動車自体がこの世界にない為、それを説明するのは難しいし、理解する方はもっと大変だろう。
ダインは諦めたように財布をポケットに仕舞うと、近くのステーキをナイフで丁寧に切り、口に運ぶ。
体格や適当な性格の彼のイメージに合わない食べ方だ。品性が伺える。
そう思ったが、英雄という身分を隠していることを思い出し、後から納得する。
「それでどうだい、アンちゃん。依頼を体験してみた感想は」
「いや、大変だったけれど、楽しかったよ。他では得られない経験ばかりで」
「正直な感想は?」見透かしたような笑みを浮かべて聞く。
「本当にキツイな。自分にはあまり向いてない」その返しに、正直に答えた。
「まあ、だろうな。アンちゃん、ひょろいもん」
「まあ、な。少し鍛えないと駄目かもしれん」
手をグーパーして、自分の非力さをアピールする。
握り締めたときの拳の軽さたるや、だ。
自分が生きていた元居た世界では、メンタルさへ良ければ何とかなったが、こちらでは肉体もついてこれないと駄目だ。
それを実感できただけでも、依頼をやる価値はあっただろう。
「俺の街で過ごしてみては、どうだった?」
「飯旨いぞ」と間に入るフェリー。
「面白いもの、沢山。あと安い」続いて言うシルワア。
「アンちゃんは?」
「ボクは……そうだな。もっと魔術が普及してると思った、かな。漠然と魔術っていうのは、誰でも使える便利な代物だと思ってたから」
これはダアクックの街の印象というよりは、この世界に対して抱いたものだろう。
ファンタジーな世界と聞くと、自分の知らない法則やルールが
けれど実際はそれほど常軌を逸したものはなく、自分の知る世界を基盤として回っていた。
期待外れ、とは少し違う。自分の期待していた魔法的なものはあったし、実際に使うことができたのだからだ。ドラゴンやゴブリン、スライムなんかもいた。
むしろ期待を超えてきてくれたと言っても良い。
これはきっと安心という言葉が正しいのだろう。
馴染めないのではないか、という不安がそれなりに解消されたから。
それから来る脱力感だ。
「ああ、それと技術というのかな? 公共設備が整っていたのが印象的だったね。ああいうのは、イメージだけれど魔術が流用されてるのかい?」
「いや、全て人が敷いたインフラだ。何も特別なものは使ってないぜ。ま、効率を考えて魔術込みの作業はしたが、なくても可能だ。後は根気と資金だけだ」
「意外だね。最先端な街と聞いたけれど」
「魔術っていうのはどうしてもハードルが高いからな。技術の方が利便性と汎用性に富んでいる」
親しみやすい口調に知性が混じる。
ガルダリアの側面は出ているのだろう。
「その感覚は、なんだか分かる気がする。魔術って習ってみて分かって来たけれど、アレは知識に加えて才能が必要だから」
「そうなんだよなあ。そこがネックだ。知識に関してだったらこちらの努力次第で、どうにか均等に上げることができる。学校だったりな。だが、魔術は才だ。知識プラス才能の学問だ。それに夢のないことを言うが、あったとしても技術との差は僅差でしかない。よほど突出した才を持ち合わせていない限りな」
本当に夢のないことを言ってくれる。
そう思った。
「突出した才能っていうのは、チヨのばあさんみたいにか?」フェリーが言う。
「あの人は、最たる例だな。四賢者の一人だから」
「お、おー、なんだが凄そうに聞こえる」
有名な魔術師とリアック君から聞いてはいたが、そんな仰々しい二つ名があったのか、あのおばあちゃん。
「突出した才というのはな、劇薬なんだよ。頼りになるし、とんでもない成果を上げてくれる。だが同時に頼り過ぎてしまう。無意識にな」
ダインは酒を口に含む。
「そして劇薬には副作用があるものだ。他の人間の教育をないがしろにして、全体の効率が落ちたり、突出した才のそいつありきの運営方針になったりする。そいつがいなくなった後だったりを考えると、反動がある。だからといって個人がどうこうできるもんでもない。俺一人がそいつに頼らなくとも、周りは違うから」
「理解できない訳じゃないね」
「別に突出した才を持つ人材が嫌いって訳じゃない。全部が全部、今みたいになるとも限らないからな」
「熱弁してるところを見ると、もしかして、そういう経験があったのかい?」
「過去形ではなく現在進行形だ。ガルダリアという存在が劇薬だからな。俺、知られてないと思うけれど、英雄なもんで」
英雄としての力だけで街を回すのではなく、ダアクックに住む人間達が運営する。
ダアクックという街は、魔族との冷戦が敗れたとき、最前線になると聞く。
要塞としての役割があるのだ。
自分がいなくなったとしても、それが運営できるよう、英雄という力に頼らない体制を目標にしているのだろう。英雄と言えど、いつかは老いるだろうし、肉体の限界も来るのだから。
彼の視点は、今のダアクックだけでなく、未来のダアクックも見ていた。
組織の将来性を憂う彼の眼差しは、普段ちゃらんぽらんな姿ばかり見ているせいもあって、酷く聡明に見えた。目にそういうフィルターが掛かっているのだろう。
けれど英雄としては、正しい在り方だ。
だから、ボクはあの問いを投げることにした。
「ダイン。君にとって善意とは何だい?」
「それは、英雄としての心構えってことか?」
「いや、そういう縛りはない。ただ単純に聞いてみたかったんだ」
「善意、ねえ。考えたことがねえ……は嘘だな。さあて、なんと答えるのが正解かな?」
ダインは天井を仰いで考える。
短い沈黙の後、語り出す。
「善意とは、自分の理想を通す為に、最も有効な手段だ」
「理想を通す手段?」
「無償の献身というのは存在しない。無償に見えるのは、受けた本人達の想像力が欠如しているだけだ。利益の想像を欠いて、盲目的に信仰しているだけだ。だが、大抵、その先が存在する。賞賛や周囲からの評価、そういうものだ。それらは後になって、自分の理想を叶える為の足掛かりになる」
「打算的だね」
「そう聞こえるかもしれないし、実際にそうだ。少なくとも俺はそうだ。中には利益でやっているんじゃない、と言う奴もいて、そういうのを『善人』と周囲は呼ぶが、俺から言わせてみれば、周囲の評価に振り回されているだけ、乗りこなせていないように見える」
ああ、彼の善意は理想、つまり目的の為の手段であり、仮定という解釈なのか。
それは「僕」が否定したかった善意の在り方そのものだった。
善意とは理性の発露。欲望とは結び付かない。それが「僕」の定義だ。
その定義に則るなら、彼のそれは善意ではない。
けれど、「僕」と「ボク」はある意味で独立した存在だ。
だから、彼のそれを否定したいとは思わなかった。
人の在り方として、英雄としての立ち回りとして、それは正しい世渡りの仕方だ。こういう人間が成功を治めるのだ。
自身の欲望を正確に把握しているところだけを見れば、とても理性的に映る。
ただ欲望に殉じるのか、否か。
たったそれだけの差である。
そう、理性でごまかす。
(そんなものが善意なものか!!)
「僕」という人格が表面化しないように。
(ダイン、お前は獣だ! 欲に振り回される獣だ! そんなもの、人としての在り方じゃない!!)
これは中々厄介だ。
普段指を指して責めてくることしかしない影だというのに、今日は珍しく癇癪を起している。
ボクの内側を散らかす。
激情を、なんとか抑え込む。
原始的な人格を、抑え込む。
「少し棘がある言い方だったか?」
反応がないからか、少し心配になって、ボクの顔を覗き込むダイン。
「……いや、少し頭が回ってないだけ。久しぶりにお酒を飲んだから」
すぐに笑顔を作る。
落ち着け。
深呼吸だ。
しばらくすれば、落ち着くはずだろう……。
「ぎゃあああああああああ!!」
突然、フェリーが視界の中に飛び込んで来る。
まるで何かに投げ飛ばされたみたいに。
というか、投げ飛ばされていた。シルワアに。
「ごふっ⁉ ぐへぇ!!」
フェリーの着地地点にはダイン。
潰すように落ちてくる。
実際にダインは下敷きになっていた。
「何してんだ⁉」フェリーの尻から声がする。
「お皿に残ってた肉取ったら『それは私の。勝手に食べた』ってキレて、投げ飛ばされた……めっちゃ怪力だった」
シルワアの方を見る。
彼女は黙々と肉料理を食べていた。
無表情ではあったが、僅かに眉がつり上がっているように見えた。
錯覚かもしれない。印象が先行してそう見えているだけ、かもしれない。
「エネルギーの消費が早いってのは、筋肉量が凄いってことか。納得だ!!」
尻に敷かれた英雄はモゴモゴと考察する。
その滑稽な姿を見て、気持ちが晴れやかになっていた。
スカッとしたのだ。内なる自分が。
どうやら『僕』は、少し性格が悪いらしい。
「ありがとうな、フェリー」
「今オレ、感謝されるところあったか?」
「早く退いてあげなさい」紛らわすように言う。
「おっと、悪い悪い」
フェリーが立ち上がると、ダインがよろよろと上半身を起こす。
「とんだ災難だぜ。……フェリー、お前のケツって案外柔らかいんだな」
「やっだぁ! 何この人、気持ち悪い!!」
尻を隠しながら叫ぶ。
その姿を見て「がっはっはっは」とダインは笑った。
やがて笑い終えると、コップに入っていた酒を飲み干した。
「さて、飯もあらかた食っただろう。そろそろ、本題に入ろうか」
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