06 すり合わせと刷り込み

 焚き木が弾ける音。

 暗い森。少し湿気が混ざった空気と、満点の星空。

 すうすうと聞こえるシルワアの寝息を聞きながら、ボクはフェリーにこれまでの経緯を語っていた。


「そっか。おっさんはそんな経緯でこの世界に来たのか」


「話す機会はいっぱいあったんだけどね。何かとバタバタしていたから。それに記憶が少し不鮮明な箇所があるから整理したかった、というのもある」


「しっかし、不法投棄とはなあ。何というか、人の尊厳を無視するような仕打ちだな。実際、空から捨てられたように降って来たしな、おっさん」


 空から降って来た。

 彼の言葉は比喩でもなんでもなく、言葉通りの意味である。


 ボクが異世界に来た途端、空中に投げ出されたのだ。

 別の世界から移動してきて、その先が空の上だなんて、誰が想像できるというのだ。


 世界に来て早々に学んだのは、魔術でもなく、ファンタジーな世界観でもなく、重力の有無だった。

 誰も重力がないなんて心配はしないから、地上に出して欲しかったよ、犬上。


 あの空中落下は、車に撥ねられるよりも質が悪い。

 言ってしまえば、パラシュート無しのスカイダイビングだ。車の追突は一瞬だが、アレは滞空時間があるから、死を感じてからすぐに逝けない。

 死ぬまでの感覚を吟味する余裕がある。

 そんなもの、味わいたくはない。


「あれは……もう二度と経験したくはないな」


「オレの上に着地してなかったら、まあ死んでたな」


「そうか。ボクがこの世界に来てからずっとなんだね、フェリーとの付き合いは」


 彼との出会いはこの世界に来てすぐのことだ。

 ボクが落下で死ななかったことにも関係している。


 というのも、着地地点にたまたま巨大な狼が寝ていて、それをクッションにしたお陰でこうして生きているのだ。

 それが彼、フェリーとの出会いだ。


 決して良い出会いではない。

 唐突に降って来て、クッション替わりにされたのだ。フェリーは憤慨し、襲われそうになった。

 けれどボクの顔を見て日本人だと気づいたらしく、彼は驚いた様子で話し掛けてきた。


「アンタ、もしかして日本人か?」


「え……、急になんだ⁉ まあそうだが……」


 巨大な顔を見上げながら言うと、彼の表情はパッと明るくなる。


「やっぱり! 実はオレも元日本人なんだ! 驚いただろう?」


「いや、驚いたが……どういう状況だ?」


「まあ、異世界に来て同郷の人間に会っちまうことに対して、驚くなってのも無理な話か。滅多にあることじゃないだろうから」


 理解を示すように頷くフェリーだったが……。


「共感しているようで悪いが、そっちじゃなくて、ボクが驚いたのは狼が喋っている方になんだ」


「そっちかよ」


 それがボクとフェリーの最初の会話である。

 出会いがどうあれ、同郷の仲ということもあり、あっという間に打ち解けた。

 ……なのだが、そのせいか大事な箇所を何個かすっ飛ばしてしまった部分があった。

 この時間は、その埋め合わせでもある。

 

「それで異世界転生をしている先駆者のオレが、人里まで案内しようってにことなったんだが……」


「道を知らないときた。森を彷徨ってたら偶然、シルワアに会えたから良いものの、彼女に出会えなかったらどうするつもりだったのさ」


「まあ、一ヶ月くらい歩いてたら着いてたろうぜ、その内さ」


「呑気なこった」


 まるで一日のような感覚で一ヶ月と言ってくれる。

 フェンリルという生き物は、かなりの長寿だと本人から聞いた。

 人と比べ、時間の感覚がおかしいのだとか。

 時計の秒針が日が経つ毎にズレていくように、彼の感覚も、一〇〇年というサイクルの中でズレていったのだろう。


「それでいったら、オレだっておっさんに文句があるぜ?」


「運動不足とかは無しにしてくれよ?」


「いや、そんなことじゃない。シルワアについてだ」


「彼女がどうした?」


「彼女に異世界から来たって話しただろ? シルワア、困ってたぞ」


 ああ、そのことか。

 以前シルワアがボクに「どこから来た?」と尋ねてくることがあった。

 その時、異世界から来たと言ったのだ。

 そのことを、彼は指摘しているのだろう。


「駄目だったのか?」


「オレ達はそういうコンテンツが溢れていたから難なく理解もできるし、受け入れられるけど、時代的にも難しいと思うぞ」


「そういうもんなのか。……よく分からんな」ボクは肩を竦める。


 正直なとこと、異世界と言われて今もピンと来ていない。

 コンテンツが溢れていたからといって、触れているかは別問題だ。情報を軽く撫でた程度の知識しかない。それでもどうにかなっているから、案外伝わるものなのかと思った。


「奇想天外なことを突然言い出してきたらどう思う? 信じられないだろう?」


「ええっと、つまりタイムトラベルトの話を聞くセールスマンみたいな感覚かい?」


「何故藤子F不二雄先生の作品の中でもコアなファンしか知らいないような『SF異色短編』に出てくる、一ヶ月前にタイムトラベルできるベルト『タイム・トラベルト』で例えようとしたんだ⁉ オレが分かったからよかったものの、ほとんどの人間に伝わらんわっ!!」


「マイナーだったか……」


「ドラえもんのタイムマシンくらいで全然よかったよ!」


「な、なるほど……。まあ、でも何となくニュアンスは伝わった、と思う」


 異世界転生をタイムマシンに置き換えて考えてみよう。

 タイムマシンというのは常識的に考えると不可能に見えるし、実在しているかも怪しい。


 信じてもらうには、しっかりとした根拠なり、証拠なりを見せてもらわなくては信じられないし、もらえない。

 異世界転生も、転移もそういう類なのだろう。


 もし伝えるなら、そうしたものを提示できなくては駄目だ。

 彼はきっと、そう言いたいのだ。

 とりあえずそのように解釈して飲み込んだ。


 けれどフェリーは「ほんとに理解したか?」と念押ししてくる。

 それほど念押しするものなのか? ボクはしっかり、重要性を理解してるとも。

 けれど、あまりしつこく言われるのは面倒だったので、話題を変えることにした。


「ところで、お前はどんな風に異世界に来たんだ?」


「え? あー、そういえば話してなかったな」


 思い出すように上を向くフェリー。

 何気に尋ねたことはなかった。

 興味がなかったという訳ではない。


 けれど、きっと、何かしら事件なり、事故というのに巻き込まれたのではないかと、勝手に想像して触れづらくしていた部分というのが、あったのだとと思う。


「オレもおっさんと同じように車の事故でここに来たんだ。その後はあんまり覚えていない。死んだ実感とか感触も、おっさんみたいにはないんだ。ただ一つ覚えているのは、誰かに話しかけられたこと、かな……」


「話しかけられた?」


「なんか『役割を果たしなさい』がどうのこうのって言ってた気がする。それもまあ、一〇〇年も前のことだから、ちょっと怪しい部分ではあるんだけれど」


「さり気なく一〇〇年前って言っちゃうのがホント凄いな。ファンタジーだよ。年功序列で考えたら、ボクはフェリーに敬語を使った方が良いのかもしれない」


「やめてくれよ! 正直あまり実感がないし、心は高校生のままだ。この体になってから、時間の流れがとんでもなく早く感じるし、実感ないままおじいちゃんなんて言われたら、オレどんな顔すれば良いんだよ」


 凄い共感できてしまう。そうなんだよ。歳を取ってないつもりでも、鏡見たら老けてるんだよな、自分の顔。


 しかし共感したら怒りそうだ。

 変な地雷を踏む前に、とっとと話を切り上げてしまおう。


「シルワアも寝てるし、そろそろボク達も寝るか」


「そうだな。起きるの遅いと顔に水掛けられるし」


 ボクは、焚火に太い木を何本かくべた後、フェリー、シルワア、ボクと川の字になって寝転がった。




 布団もない、板もない、屋根すらない森の中で。

 外套に包まりながら、天上を眺め、眠気が来るのを待つ。

 都会の夜よりも静かで、キラキラしていて、寝るには少し眩しすぎる。

 瞼を閉じても、星の光はボクの目に焼き付いていて、ぴかぴか光ってる。


 だからボクは瞳を内側へと向ける。

 暗い暗い、鈍色の内側へと。

 浮かび上がるのは、昔の思い出。

 後輩ちゃんの生意気な顔や、仕事終わりの電車で対岸に座っているおばさんの靴。

 家までの帰路、玄関、布団、天井。


 朧げな空。

 甲高い悲鳴。

 車の金切音。

 赤信号。

 べちゃり。

 赤。

 

 ドオオオオオオオオオオン……。


 何かがぶつかるような音がする。

 大きなものが勢いよくぶつかるような衝突音。


 ドオオオオオオオオオオン———……。



 それは次第大きくなる。

 その音に、体が強張るのを感じる。

 背中と頭に痛みが走ったような気がした。

 事故による幻痛だ。



 ドオオオオオオオオオオオオオオオン———……。



 やがて幻覚を見る。

 目の前に車が迫りくる幻覚を。


『分かっているのか。お前がどうして生まれたのか』


 不意に声がした。

 視線は動かせない。

 金縛りにあったかのように。

 けれど目の端に、赤い影が見える。

 君は誰だ?



「……っ!」


 何か、遠くで聞こえる。

 声は遠いが、今までの音に比べ、明瞭。


「…………きろっ!」


 聞き覚えのある、声だ。

 この声は……。


「おっさん、起きろっ!!」


 ようやくボクは、目を覚ました。




「はあぁっ!! ああ……!!」


 がばっと飛び起きる。

 広がる視界は赤ではなく、青空と鬱蒼とした森。

 心臓がバクバクとうるさい。冷たい汗が背中を伝う。


 悪夢を見た。

 こうも気分の悪い夢は久しい。

 内容はあまり覚えていないが、不快感は鮮明だ。


「……大丈夫か、おっさん」


「ああ、ちょっと……夢を見てただけ。それで、なんでそんな急いでるんだ?」


 フェリーはというと昨日の肉を背負っていて、シルワアは火の後始末を終えていた。

 夢を見ていたとはいえ、自分は寝坊を三五年間で一度もしたことがないという自負がある。

 だからボクが起きるのが遅かったのではなく、彼等が早起きしたのだ。

 シルワアはともかく、フェリーが起きているのは珍しい。


「シスイ、鈍い。音うるさい。耳、使えない?」


 シルワアは耳を指差しながら言う。

 音……?

 耳を澄ます。


 ドオオオオオオオオオオオン———!!


 ドオオオオオオオオオオオオオオン———!!


 耳を澄ます必要もないくらい、大きな音。

 地鳴りのような音が響いている。夢の中でも似たような音がしていた。

 どうやらさっきの夢は、現実と地続きになっていたようだ。


「この音は何だ……⁉」


「多分、大きい生き物。でも、私、知らない」

 

「それを確認しに行くところだ。スンスン……匂いからして、大体の場所は分かった。二人共、オレについてこい」


 何が何だか分からないまま、ボクは彼らの背中を追った。

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