04 不良品と呼ばれるなら、いっそ産業廃棄物でありたい
気が付くと、星が降り注ぐような夜空の下にいた。
満天の星空だというのに微塵も心は踊らない。
その光が、自分を照らす為のスポットライトではないことを知っているからだ。
まるで他者を本当の意味で理解しようとしなかった、いやできなかった自分に対してのしっぺ返しのように見える。
地面には冷たい水が敷かれて、音もなく流れている。
冷たいけれど、それ以上に自分が冷たい。
ああ、そうか。
僕はもう……。
考えることが億劫だった。
それくらいに疲れていた。
それくらいに僕は、過酷な環境だったのだろうか?
今はもう、思い出せない……。
そんな思考もぼやけ始める。
大きな流れの中に僕という人間が統合されていく。
やけに眠い。
心地よい気分だ。
ああ、ようやく眠れる……。
穏やかな死というのは、死んだ後に来るのか。
そう漠然と考えながら。
僕は川の流れに身を任せた。
◆ ◆ ◆
ノイズ。
『どうして』
◆ ◆ ◆
目が覚めると、体が勝手に進んでいた。
歩いているわけじゃない。
荷台のようなもので押されている。
星降る夜空と波一つ立たない水面のような床。
景色は良いが何もない。
言ってしまえば砂漠と同義だ。
けれど行く当てがあるように迷いなく前へ、前へと進んでいく。
思考は明瞭だった。
何が起きているか、辺りを見回すと後ろに見知らぬ男がボクの乗る荷台を押していた。
「アンタは誰だ?」
「目を覚ましたか」
男はこちらを見ずに、そう答えた。
年季が入った声は、ボクと同じくらいの年齢だろうか。
服装は白衣を羽織り、その下にはシャツとジーパンという、まるでプライベートの学者のような装いだ。その様子から何となくこの男は何でも知っていそうな、そんな予感がした。
「ここはどこなんだ?」
「ここは星と星の境、境界線のようなものだ」
「星っていうのは天体の星か?」
「違う。これらは世界の群生だ。別の世界と言い換えても良い」
「別の世界か、よく分からんな。それで結局、ここはどういう場所なんだ?」
「ここは星と星の境、境界線のようなものだ」
「アンタは同じことしか話せない、オイッス村の民なのか?」
「二〇一一年放送の連続テレビドラマ『勇者ヨシヒコと魔王の城』第五話『オイッス村』に出てくる住民ではない。ツッコミが分かりづらい例えを出すな。何故ドラゴンクエストではなく、そのパロディ作品でツッコミをしようと思ったんだ。理解に苦しむ」
「そこまで的確なツッコミが来るとは思わなかったよ。ミステリアスな印象が一変して友達になれそうな親近感さえ感じちゃったよ、ボク」
返ってこないであろうと高を括ったボケに、まさかツッコミが、しかも求めていた形で来てくれるなんて、思いもしなかった。
それだけで友情が芽生えそうになる。
きっとボクが一方的に、だけれど。
そんな名も知らぬ友人は、荷台の手すりをトントンと叩く。
イライラしているというよりは、どう説明したものかと言葉を選んでいるように見えた。
「そうだな。星とは、お前の世界で言うところの異世界という奴だ。あらゆる法則、文明、歴史、生物、環境が酷似しているようで、そうでない。そんな場所だ」
男は胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「そして星は、互いが干渉しないように一定の距離を保てるように磁場のようなものを発生させている。その磁場でできた空間を私達は歩いている」
「異世界ねえ」
徐に空を仰ぐ。
この一つ一つが別の世界。そういわれてもスケールが大き過ぎて驚き難いというか、実感が湧かない。
そもそもな話、自分が死んでいることすらまだよく分かっていないのだから。
「あまり見ない方が良い。あの星の光は膨大な世界の情報体が放つ輝きだ。直視すると、自己の存在がオーバーフローするぞ」
「早く言えよ!」
「まあ、それほど問題はなだろうがな。とうにお前は死んでいる」
死んでいる。
そうか、やはり死んでいるのか。
自覚はあった。記憶を探ると、そうとしか考えれないからだ。
しかし直に言われると、それなりにショックだった。
「一応参考までに聞くけれど、どんな感じだったんだ? ボクが死んだ瞬間っていうか、その後は」
「壊れた人形みたいに所々がひしゃげていたぞ。強く頭を打ったからか、少し形がおかしくなっていたし、目玉というのも……」
「いや、もう良い。もう十分理解できた……想像したくない状態ということを理解したから、そのくらいにしておいてくれ」
相当酷い死に方をしたようだ。
壊れた人形みたいにひしゃげてるってどんな状態だ。何となく想像できてしまう塩梅の表現で嫌だ。男の言葉からして、目玉はきっと妖怪の親父さんみたいになってしまったのだろう。
ショッキングではあったが、彼の話のおかげで自分が死んでいるということは分かった。受け入れるというのは別にしてだが。
けれど死んでしまったというのなら、その後はどうなるのだろうか?
不慮の事故で死んだ、死んでしまったボクというのは、このまま運ばれて天国やら、輪廻転生やらをするのだろうか?
正直キリスト教徒でもないし、仏教徒でもないボクというのは一体全体どちらに行くのか、最大の疑問だ。
「お前はこれから、異世界に行くことになる」
「異世界……異世界に行くっていうのは、俗に言う異世界転移って奴になるのか?」
異世界転移。
正直ボクにはあまり馴染みがない言葉ではある。
けれどボクの後輩ちゃんが、よく楽しそうに話していたのを覚えている。
確かトラック事故に遭って、別の世界に移動するというジャンルのことを指す言葉だったか。
なるほど、今のボクの状況にピッタリな言葉なのかもしれない。
「いや、お前の場合は異世界不法投棄になる」
「まるでボクのことを、遠巻きにゴミ扱いされているみたいに聞こえるじゃないか」
「実際そうだ」
「最低だなっ!」
「分類で言うのなら産業廃棄物だな」
「ボクはゴミの最上級みたいな存在なのか?」
気だるげ言う男。面倒臭そうな顔を見ると、本当にゴミだと思っていたらしい。
男は一応釈明するように、言葉を付け足した。
「こちらとしても不慮の事故だった。許してくれ、なんて言うつもりは毛頭ない。恨むなら恨んでくれて構わない。こちらの、というよりは私の不手際だからね」
「アンタの不手際だったのかよ、ふざけるな。開き直るのが清々しい行いだと思って良いのは中学生までだぞ」
「しかし、こうなってしまったからには仕方がないのだ。元の位置に戻すと矛盾が発生し、世界の均衡を崩すきっかけに成りうる。だからこうして異世界に不法投棄するのだ」
「『するのだ』って使命感があるような物言いをされても、アンタの不手際が起こしたことだからな。かっこよく言われても、ボクとしては未だ釈然とてないぞ」
「文句はあるだろう。お前の罵詈雑言を聞くのが当事者としての責任の取り方だと、私は思っている」
つまりボクは、この男が世界を弄ったかなんだかで出た不具合から生まれた「トラックによる事故」という名の不良品を掴まされた、可哀そうな客ということなのか?
いやゴミって言われているところを見ると、不具合が事故で、自分が不良品という方が正しいのかもしれない。
そう考えてみると、不良品よりも産業廃棄物の方が聞こえは良いのだろう。
考えたことはなかったが、意外と良いな、産業廃棄物。語感が気持ち良い。
「その為、お前という存在データを、周辺にいた人間や関係のある人間の記憶から取り払う……お掃除する必要がある」
「ボクの存在が産業廃棄物だからってニュアンスを合わせなくて良い。気を遣ったのかもしれないが、ボクの存在を消すことを掃除と表現することで、むしろ人でなし感が二割増しだよ」
そもそも記憶を消すってそんな簡単にできることなのか?
それに、自分が死んだだけでそれほど世界に影響があるのだろうか?
そういう疑問がふと湧いてくる。
「一応参考までに聞くが、矛盾があった場合どうなるんだ?」
「それは、自分が生き返るという仮定か?」
コクリと頷く。
「世界というのは自己修復能力がある。もしお前が事故に遭わず、この先の未来で誰かに大きな影響を与えるとしよう。そういう役目がお前にあったと仮定しよう。そんなお前が死んでしまった場合、世界は整合性を取ろうとする。その重要な影響だけを切り取り、貼り付け、結果だけを同じにする。別の人間がお前の役割を引き継ぐように修正するだろう。もしお前にそんな役目があったのなら、多分、もう既に修復は始まっているだろう」
男は手摺に一定のリズムを刻む。
「そういう法則があるというのを踏まえてお前の問いを考えると、問題がいくつかあるな」
「いくつもあるのかい?」
「ああ。一つは世界の再生力の話だ。既にイレギュラーな問題の修復に当たっている世界を人間に置き換えるとすると、体に大きな穴が空いている状態だ。重症で危険な状態だ。現在整合性は、それを糸で縫合し、傷をくっつけようとしている」
「世界を生き物のように言うね。ガイア理論がベースにあるのかな?」
「そう考えて良い。そして、お前の言う生き返るというのは、傷がくっついていない状態で抜糸して、血液型の合わない臓器をぶち込むようなものだ。下手をすれば死んでしまう。世界が破綻する恐れがある。だから生き返るというのは難しいし、危険だ」
「他人からボクの記憶を消すというのは、どういう意味がある?」
「記憶を消すというのは止血のようなものだ。世界の負担を軽減する効果がある」
抜糸や縫合、止血というワードを聞いていると、後ろにいる男の印象が学者から医者に変わって見える。
聴診器でも首からかければ完璧だろう。
「なら、二つ目は?」
「二つ目はコストの話だ。人からお前の記憶を取り除く為に必要な労力……いや、この言い方では私の怠慢に聞こえるな。概念や法則を運用する純粋なエネルギー、とでも言うべきか。その必要量を一〇としよう。人を復活させるのに必要なエネルギーは一万だ。死者の復活という、完全に消失したものを復元するということは、相応の対価が要求される訳だ」
比較する数字の単位の差が突飛だからか、とても幼稚に聞こえた。
「これは、お前に分かりやすく伝える為に出した抽象的な数字だ。数字のせいで安直に聞こえるかもしれないが、実際は複雑な手順や手間がある。しかし、随分と明瞭で、簡単な比較だということは伝わっただろう?」男は言う。
「随分と酷い比較の間違いだよ。先程までボクが轢かれたことの責任がどうの、なんて言っていた人間から出る言葉とは思えない。人の命を損得でしか語れないのか?」
「お前に対する責任よりも、世界に対しての情が勝る」
優先順位の問題だと、彼は言った。
合理的だが、残酷だ。
「なら、こういうのはどうだい? ボクが死んでしまう前に事故を未然に防ぐというのは?」
「まるで問題そのものをちゃぶ台返し、いや、ゴミ箱をひっくり返したようなことを言う」
「そのゴミに関連した表現をやめろ」
「……。まあ、死者蘇生という問題よりは、幾分か現実的かもしれないが、これもコストの問題だ。死者蘇生を一万ほどのコストだとすると、過去に遡るのは五千といったところか。未だ人類はその方法を知らないからだ。見つけることができたなら話は変わるがね。だが、現時点において、それは見つけられていないし、それほどのエネルギーを使う必要性は感じられない」
「そうか、それは……とても残念だ」
「エネルギーがあったとて、リスクがない訳じゃない。下手をすれば、世界そのものが矛盾で崩壊しかねないからな。お前が大した存在でなければそうはならないが、兆しさえあればドカンだ。だがある意味、究極的な自己肯定が叶うかもしれない。自分の存在が世界を揺るがす程に重要だったんだ、とね。しかし、そんなものを、お前は望んでいないだろう?」
皮肉の後ろに同情が顔を出していた。
彼なりの慰めの言葉なのかもしれない。
「そうだね、望んではいないさ。とりあえず世界が破綻してしまうような可能性を秘めた存在まで昇格したというべきか、降格してしまったというべきか、そんなボクを異世界に左遷せざるを得ないことまでは理解した」
自分がいた、という記憶が消えてしまうのは寂しい。
けれどそれを防ぐことは、可能であるが現実的ではなく、できたとしてもリスクがあり、自己中心的な考えで実行すれば、末恐ろしい結果を招くことになるかもしれない。
世界の崩壊という、漠然としているが本能レベルで危機感が働く結果を、だ。
そんな悪魔の証明はしたくない。
可能性がゼロか数パーセントなら、誰だってゼロを選ぶだろう。
そういう簡単な重さ、天秤の話である。
合理的で、残酷な天秤の話だ。
「ただ、そんなボクという存在を受け入れてくれる場所というのは、そうホイホイとあるものなのか?」
「前例がある世界に、今向かっている。世界にはそれぞれ個性があるものだ。法則も似通りがちだが同じじゃない。受け入れる場所も、探せばあったりもする。その世界はお前の元居た世界と酷似しているが、独自の生態系があり、魔術という、お前の世界になかった法が敷かれた場所だ。そちらの世界の言い様に合わせるなら、典型的なファンタジー世界だろう」
「魔術ねえ」
今の夢がない、荒んで干からびた現代人がその言葉を聞いたら、一定数の人間が救われそうな、そんな言葉に聞こえた。
きっと心のオアシスになるだろうさ。
自分もその例に漏れず、かなり期待感を寄せているのが心が踊っている様子から察せる。
火や水を出したりすることができるのだろうか? 氷が出せたら冷たい飲み物には事欠かないだろう。などなど。
なんだか、派手な爆発や戦いというよりは利便性を期待している所が何とも夢のないと感じる。
それでも、もし戦いみたいなことがあったら、自分は魔法でドンパチやるのが性に合ってるだろう。
なんて考えているということは、やはり自分もそれなりに童心が残っているのだと、そう思ってしまった。
沈黙とささやかな雑談を繰り返す。
その反復の末、やがて眼の前には巨大な星が見えて来た。
緑と青と紫の光を放つ、美しい球体。きっとあの星がボクの終着なのだろう。
「そういえば、聞いておきたかったことが一つあるんだが、後輩曰く異世界ファンタジーなるものとうのは何か、こう特別な力だったり、アイテムっていうのが貰える風潮があるらしいんだが、今回そういうものはあったりするのか?」
「120ゴールドとたいまつ、鍵ならくれてやっても良いが……」
「確かにお前は『ドラクエのパロディ作品のネタでボケるな』とは言ったけれど、だからといって初代ドラゴンクエストの王様が勇者に与えるアイテムのケチ臭さって奴を、令和の若者が理解できるっていう考えも、ボクのツッコミと同じように改めた方が良い。何もないってことを、これほど説明的に伝えなくちゃならなくなってしまうのだからなっ!」
「そもそも前提が違う。……ああ、ツッコミの話ではなくて、能力やアイテムについて話だ。そもそもお前は不法投棄される身。その荷物を増やす訳にはいかないだろう?」
「まあ、そりゃもっともな意見だ。じゃあ、せめて何かアドバイス的なものは貰えたりしないか? それだったら質量的には増えないだろう?」
少し考える素振りを見せる男。
長くもなく、けれど短くもない沈黙。
そしてようやく口を開くと「分かった」と答える。
「では、お前の助言を与える。自分の体を見てみなさい」
体を見るとはどういうことだろうか?
疑問に思いながらボクは自分の体を見た。
白と黒が蠢くような鈍色。
その体には肌はなく、爪や毛もなく、ただの人の形をした影のような姿。
黒と白が体の中でゆっくりと流動している様は、気色の悪い蟲が蠢いているようにも、音もなく落ちていく深い穴のようにも映る。
「これでお前は自分自身の形を知ったことになる。何を持っていて、持っていないかということを。鮮明に、明確に知ることになる。それが、お前を導いてくれるだろうさ」
「さも良いこと言ったように聞こえるが、ボクからすれば微塵も理解できていないんだが。もう少し具体的に何が分かるのかを教えてくれよ」
「そんな暇はもうない」
文句を言い切る前に男は強く荷台を押した。
「私はここまでだ。お前は捨てられるのだから、流れてきたことが無駄にならぬよう、派手なことはせず、せいぜい平凡に生きてくれ。これはシンプルな助言だ」
「元より平凡だよ、ボクは」
荷台は摩擦を忘れたようにどんどんと加速していき、それに伴い視界が霧のように白く霞んで見えなくなる。
そんな中、ボクは声を振り絞って叫んだ。
「まだ言いたいことはあったけれどありがとな、ここまで送ってくれて! で、結局アンタの名前はなんて言うんだッ!」
不法投棄される立場として「ありがとう」という言葉はなんか引っかかるけれど、それでもこの言葉が一番最初に浮かんだ。
ならきっとボクは感謝したいのだろう。
何に対してかはまだ分からないけれど、感謝したいのだろう。
声が遠のく。
視界も意識もホワイトアウトしていく中で、遠のく影が振り返ったような気がした。
「
呟くように、けれど鮮明に聞こえた声を最後に、犬上と名乗る男の気配は消える。
やがてボクの意識も白い霧へと落ちていく。
これがボクの最初の記録。
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