第8話 快適な生活とお呼びでない客

この国に来て初めて警戒せずに過ごせるからか、

あっという間に一か月が過ぎていた。


池の魚に餌をやっていたら、後ろから声をかけられた。

振り向いたらルシアン様だった。仕事の休憩時間なのかな。


「ニネット、ここで暮らすのに不便なことはないか?」


「特にないですけど……本当に学園に行かなくて良かったのですか?」


学園に行かなくてほっとしていたけれど、

一か月も遊んで暮らしていると不安になってきた。

ルシアン様の言葉に甘えて、貴族として何もしなくていいんだろうか。


「学園に何か用があるのか?」


「えっと、勉強ですかね?」


用があるわけじゃないけど、勉強しないことは気になる。

王子妃教育はつまらなかったけれど、学園で学ぶのは嫌いじゃなかった。


「なら、本邸にも図書室があるし、勉強ならパトが教えられるぞ」


「本当ですか?」


「ああ。俺も学園に入るまではパトに教えてもらっていた。

 学園で教わることなら余裕で教えられる」


また手を引かれてルシアン様に連れて行かれる。

この人は私が転ぶとでも思っているのか、すぐに手つなぐ。

こんな風に気を使われたことはなくて、どうしていいのかわからなくて困る。


案内された図書室は円形で、渦が巻いているように本棚が並んでいた。

奥に進むにつれて昔の本になっているそうだ。


「ここで好きな本を選んだら執務室に来るといい」


「執務室?」


「こっちだ」


図書室の隣の部屋、ドアの向こうの広さに口を開けたまま固まってしまう。

遥か上にガラスの天井。そして、ど真ん中に大きな木。

天井を突き抜けて、木が生えている。


執務室なのに木が生えているのはどういうことかと思うが、

部屋の隅の方には応接セットや執務机が置いてある。


「何ここ……すごい」


「気に入ったか?初代の公爵が精霊の愛し子だったんだ。

 仕事をする時に精霊に邪魔されないように、

 執務室の中に精霊の遊び場を作ったと言われている」


「邪魔されないように……なるほど」


そう言われれば、勉強中はよく髪を引っ張られる。

遊んでほしいからなのはわかるが、集中したいときは邪魔だと感じる。


私についていた精霊たちも大きな木を見て、

そちらに遊びに行ってしまった。


「俺とパトはここで仕事をしている。

 わからないことがあればいつでも聞いていい。

 ニネットの机もこの部屋に用意しよう」


「ありがとうございます……」


王宮では冷たそうにも見えたけれど、ルシアン様は優しい。

どうして女嫌いだなんて言われているんだろう。


さっそく図書室から本を持ってきて、ソファに座って読み始める。

わからないことがあれば、パトに教えてもらう。

その間もルシアン様が仕事をしているのが見えた。


ルシアン様の父、公爵は領地にいると聞いているが、

公爵令息のルシアン様でもそんなに忙しいなんて。

この国の貴族はみんな腐っていると思っていたけれど、そうじゃないみたい。




夜になって眠る前に、夜着にガウンを羽織ってテラスにでる。

テラスから見える庭には光が浮かび上がる。

精霊たちが夜の暗闇を楽しむように飛び回っている。

なんて綺麗な景色なんだろう。


こんなに楽しく暮らすのが初めてで、気持ちが落ち着かない。

この国に入った日から、ずっと悲しんでいた。

母様と離れ、一人で耐えていた。

こんな穏やかな気持ちで精霊を眺める日が来るなんて、

思いもしなかった。


「そんな恰好でどうしたんだ?」


「ルシアン様?どうして?」


「テラスは俺の部屋にもつながってる。

 人の気配がしたから出てきたんだ」


ルシアン様は夜着ではなかった。

まだ仕事をしていたのだろうか。


「何かあったのか?」


「いえ、落ち着かなかったんです。

 こんなに穏やかに暮らすのが初めてで、いいのかなって」


「不安なのか?」


不安、というのとは少し違う気がした。


「どうしてルシアン様はこんなによくしてくれるのですか?」


「それは……お祖母様が精霊の愛し子だったんだ」


「え?」


「この国は精霊の愛し子が見つかると王家が囲ってしまう。

 祖母は男爵家の生まれだったんだが、幼いうちに王族に引き取られ、

 王女として公爵家に嫁いできた」


「お祖母様が……」


「公爵家に嫁いだ後も、何かと呼び出されていたそうだ。

 お祖母様は嫌がっていたよ。

 この国のために精霊の力を使いたくないって。

 だけど、陛下の命令には逆らえないと言っていた」


「……」


私だけじゃないとは思っていた。

私を捕まえてから、侯爵家の養女にするまでの判断が早かったから。

精霊教会のやりかたに慣れているんだと感じた。


「だから、ニネットを見た時に保護しなきゃいけないと思った」


「保護って」


「初めて会った時、ニネットが鳥かごに入っているように見えた。

 精霊も一緒に閉じ込められて、苦しそうだった」


「閉じ込められて……」


それは間違いじゃない。

自由を奪われ、母様を人質にされ、

いつまで私はここにいなきゃいけないんだろう。


「……ニネットは好きにしていい。

 まだ子どもなんだから」


「子どもって……もう十七歳ですけど」


「俺から見たら子どもだよ」


「ルシアン様って何歳なんですか?」


あまりにも子ども扱いするから聞いてみたら、

ルシアン様にくすりと笑われる。


「どうして笑ったのですか?」


「ようやく俺に興味が出てきたのかと思ってな」


「……」


ここにきて一か月にもなるのに、ルシアン様の年齢を知らなかった。

それが気まずくて黙ったら、頭をなでられる。


「二十六歳だよ。ニネットの九歳年上だ。

 子ども扱いするのも仕方ないだろう?」


「それはそうですけど」


九歳も違うのか。それは子ども扱いされても仕方ないけれど、

なんだかおもしろくない。


「今はまだ自由にしていていい。

 今まで子どもらしく生きる時間を奪われていただろう。

 俺との結婚を考えるのは、その後でいいよ」


「……はい」


結婚する気はあるんだ。

それを聞いて、私のために自由にしていいと言われた気がした。


ここにきて、嫌だったことは一つもなかった。

使用人頭のパトも侍女としてついてくれたミリーも。

他の使用人たちも優しかった。


それもルシアン様がそうするように指示してくれたから。


「ルシアン様と婚約して良かったです。

 国王はできれば違う人と婚約してほしそうでしたね」


「ジラール公爵家に力を持たせたくないんだよ」


「精霊の力で何かすると?」


「ジラール公爵家がこれ以上の力を持ったら離脱すると思っているんだ。

 それに、王家はニネットの力を自分たちの物にしたいんだ。

 だが、今のジラール公爵家は王家の言いなりにはならない。

 ニネットも王家のために精霊を使いたくないだろう?」


「……いいのですか?」


「ニネット自身が望むなら精霊の力を使うことは止めない。

 だけど、この国のために精霊術を使うことはしなくていい」


この国の貴族は精霊術を使うのが当たり前だと思って育っている。

なのに、ルシアン様はこの国のために使わなくていいと言った。


また少し、ルシアン様を信じてもいいと思えた。





次の日、執務室でルシアン様に勉強を教えてもらっていると、


チリリーン


大きなベルの音がした。


「呼び鈴だ。渡り廊下で誰かが呼んでいる」


少しして、確認しにいったパトが戻ってきた。


「ルシアン様、来客のようです」


「先触れもなく?」


「はい。バシュロ侯爵家のオデット様です」


「オデットが?どうして」


もう縁は切れたと思ったのに、どうしてオデットがここまで。


「ニネット、会わなくてもいいよ。

 とりあえず先触れもなく会うことはしないと追い返してくれ」


「かしこまりました」


それが当然というようにパトはにっこり笑って部屋から出ていく。


「何をしに来たんだろう……」


「パトが用件は聞きだしてくれるはずだ。

 ここで落ち着いてお茶でも飲んで待とう」


「……はい」




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