第3話
「むかし、むかし。あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯していると
おばあさんがその桃を家に持ち帰り、食べようと割ってみたところ、桃の中から元気な男の子が飛び出してきました。子供のいなかったおじいさんとおばあさんは大喜び。男の子に桃太郎と名付けて大切に育てました」
と、話したところで志穂は口をつぐんだ。クレイズが震えていることに気が付いたのだ。どうしたのだろうか、続きを話してもいいのだろうかと困っていると――。
「モモとはなんだ。食べようとしたということは食べ物なのだな?」
クレイズが低く、押し殺した声で尋ねた。言葉自体は通じているけれど名詞が一致するわけではないらしい。
「えっと……甘くて、柔らかい果物……です」
「甘くて柔らかい果物……パシカのようなものだろうか」
〝パシカ〟を知らないのだから何とも言えないのだけれど、クレイズの話を聞くかぎり月とすっぽんほど違うものではなさそうだ。せいぜい月と太陽、すっぽんとミシシッピアカミミガメくらいの違いだろう。
「お前たちは皆、そのモモとやらから生まれるのか。志穂もモモから生まれたのか? それとも他の果物から……ウシュウか! いや、お前の顔はアウラっぽい顔だ! アウラはわかるか!?」
「い、いえ……」
「緑色の丸くて酸っぱい果物だ!」
「緑色……酸っぱい……」
ライムのようなものだろうかと考えて志穂は困り顔になった。クレイズの言う〝アウラ〟がライムのような果物だとしてライムっぽい顔とはどんな顔だろう。
気にはなるけれどそれよりも先に訂正しないといけないことがある。
「桃太郎は特別です。普通の人間はお母さんのお腹で育って、赤ちゃんとして小さな体で生まれてきます。私もそうです」
「なんだ、そうなのか!」
志穂の説明を聞くなりクレイズは盛大に安堵の息をついた。
「志穂たちニンゲンは木に成るのかと思ったではないか。想像するだけでも怖ろしい!」
「えっと……怖ろしい、ですか?」
「木に成るなんてトトントみたいではないか。そうか、そうか。ニンゲンも母のお腹の中で育ち、生まれてくるのか。それならば私たちと同じだな」
クレイズが豪快に笑う声が部屋に響いた。すっかり安心したようで志穂の背中を上機嫌でぽんぼんと叩いている。
クレイズが言った〝トトント〟とはなんなのか。何か怖ろしいものらしいということだけはわかったけれど志穂はそれ以上のことをクレイズに尋ねようとはしなかった。
「モモタロウは特別な存在だからモモから生まれたのだな。なるほど。それならば、この世界にも似たような物語がある。クリンケを倒した英雄ケトンは岩から生まれたとされているからな! よし、納得した! さぁ、志穂。続きを聞かせよ!」
〝クリンケ〟に〝ケトン〟――聞いたことのない単語がまた出てきたけれど、これも尋ねようとはしなかった。
得体の知れない穴や、その穴から落ちてきた
小さく息を吸い込んで物語の続きを話し始める。
「成長して青年になった桃太郎は鬼ヶ島に鬼退治に行くことになりました。桃太郎はおばあさんが作ってくれたきび団子を持って村を出発しました」
「何故、オニを退治せねばならんのだ」
クレイズに尋ねられて志穂は目をしばたたかせた。そういえばどうしてだっただろうか。鬼は悪いもの、怖いもの、倒すべきもの……というイメージが定着していて退治されるに至った経緯がはっきりと思い出せない。
「えっと……確か、村を襲って食べ物やお酒や財宝を奪ったり、人間を食べたりした……から?」
「ニンゲン……つまり志穂の同族をか。なるほど。それは一刻も早く対処しなければならんな」
物語だということを忘れているんじゃないかと思うほどクレイズは真剣な声で言う。まるで幼い子供に絵本を読み聞かせているみたいだと志穂は口元を緩めた。
そして、また物語の続きを話し始める。
「鬼ヶ島へと向かう道中、桃太郎は犬、サル、キジに出会いました。……犬、サル、キジというのは私の世界にいる生き物です」
「なるほど!」
「犬、サル、キジは桃太郎に言いました。桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つ、私にくださいな。きび団子を欲しがる犬、サル、キジに桃太郎は言いました。鬼退治について来るのならきび団子をやろう。犬、サル、キジはきび団子をもらい、桃太郎の家来になりました」
「志穂、キビダンゴとはなんだ?」
「え、えっと……キビという植物で作ったお団子です。私の国のお菓子で、甘くてもちもちとした食感の……旦那様?」
志穂の背中に添えられたクレイズの手がまたもやぷるぷると震え出した。今度は何が気になったのだろう。何を怖がっているのだろう。続きを話していいものかと迷っていると――。
「鬼は志穂の同族を食らう怖ろしい存在なのだろう? イヌ、サル、キジは鬼よりも強いのか? 圧倒的な強さを誇るのか?」
クレイズは震える声で尋ねた。
「そんなことは……ないと思います」
「ならば、鬼退治に同行することを了承してまでも欲しいものが菓子とはどういうことだ!?」
志穂の答えにベッドから飛び起きたクレイズは肩をつかみ、がくがくと揺さぶり始めた。
「志穂、お前がいた世界はそんなに貧しいのか! 飢えているのか! お前がそんなにガリガリに痩せているのも食べる物がなかったからなのか!」
「旦那様、目が……目がまわり、ま……」
「安心しろ、我が領土は土壌にも天候にも働き手にも恵まれておる! お前がいた世界のように食べ物の心配をせずとも良い! お前一人、やすやすと養える! たくさん食べよ! もっと肉をつけよ! そんなやせ細っていては……!」
「だ、だんな……さ、ま……」
クレイズに肩を掴まれ前後左右に揺さぶられて志穂は目を白黒させた。志穂の弱々しい訴えにクレイズはハッと手を離す。
「す、すまない……つい……」
そう言いながらぽん、ぽん……と頭を撫で、クレイズは再び志穂を抱えてベッドに横になった。志穂も大人しくクレイズの腕に頭を預けた。
しばらくきちんと寝ていなかったせいだろうか。それともちゃんと食べていなかったせいだろうか。もともと三半規管が弱くて車酔いをしやすい方だったけれど、今日は特に頭がぐるぐるする。
「そんなに……心配しないでください」
父と二人で暮らしていた頃には感じなかったけれど白衣の男は言っていた。地球は消耗しつつあると。研究室ではよくわからない缶詰やどろどろの流動食の研究もしていて、志穂も試食と称して食べさせられた。
クレイズが心配するようなことはない……とは言えないかもしれないけれど心配をかけたくもない。
だから――。
「多分、おばあさんが作ったきび団子が特別に美味しそうだったんですよ」
嘘だと見破られないよう、顔を見られないよう、クレイズの胸に額を寄せて、志穂はそっと目を閉じた。クレイズの体が微かに強張った気がした。
「……それはそれで心配だがな」
でも、すぐに志穂の背中をぽん、ぽん……と、あやすように叩き始めた。
「そのキビダンゴとやら。興奮作用や幻覚作用のある依存性の高い何かが混ざっているのではないか? あるいは、桃太郎のおばあさんは精神魔法を得意とする魔法使いという可能性も……どちらにしろ、桃太郎のおばあさんには注意を払っておくべきだな。間違いなく重要人物。もしや、黒幕はおばあさんか……!」
興奮作用や幻覚作用のある依存性の高い何かに精神魔法――。
ハードボイルドでファンタジーな展開予想だ。ただ、残念なことにこの先の展開でおばあさんの出番はほとんどない。
「桃太郎と、きび団子をもらった犬、サル、キジは船で鬼ヶ島へと向かいました」
ちょっと話しにくいなと思いながら志穂は続きを話し始めた。
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