辿りて至る

鈴ノ木 鈴ノ子

至る道

 出張で訪れた街はさほどの喧騒もなく、初めての印象としては住みやすい街なのだろうと感じた。

 東京で生まれ育ち、都心のマンションで暮らしてきた私にとっては庶民的で居心地がよい。タワーマンションに住んでいる奴なんてと学生時代にはやっかみを聞いたりもしたが、祖父が裸一貫で事業を起こして父と母が継続的に守り抜いた努力の結果だった。私と言えばその後釜として日々の仕事に打ち込み、経営者の息子という冷たい視線を浴びながら過ごしている。

 勉強も仕事もできて当たり前、この程度のことが何故できないのかという世界が周りには常に溢れていて、それに抗うように突き進んで生きてきた。

 母も父もそれほどに教育熱心ではなかったが、その取り巻きで寄生する親類縁者がそう影愚痴を叩いては、幼い頃から私を追い立てた。

 まぁ、すべてが悪いと言う訳でもなかったので、それはそれでいいのだけれど。


「夕食どうしようかなぁ・・‥‥」


 知らない街で簡単に済ませようとすれば大手の見慣れた看板などで食べてしまうのも良い、けれどこの時、私は店選びに対して何故かはなはだ戸惑っていた。

 営業成績の芳しくない地方の営業所に本社の部長として訪問しては視察し、現在の状況と今後の展望をデータで確認してディスカッションもする。そのまま営業所の大きな取引先にもお伺いして一緒に頭を下げて回る、こんなことを着任して1年間ほど続けている。「地方まで出かけてなんと無駄なことを」と陰口を叩かれても、やめるつもりはなかった。両親はしなかったが、祖父はそうやって一代で会社を築き上げたのだ。

 そしてその祖父から度々聞いたことがこの原動力ともなっている。

 祖父の人生は住み慣れた土地をダム開発で出ざるを得なくなり、ちょうど20代の働き盛りであったことから東京に出た、そして当時の言い方で「一旗揚げた」のだ。その旗は軌道に乗り現在まで数多くの風を受けながらもなんとか靡いている。


 幼少期、引退して体を壊し寝たきりとなった祖父は小さな私が部屋へ遊びに行く度に、ダム湖の底に沈んだ集落の写真を見せては、あそこにはこれが、ここにはあれが、ようここで遊んだなど数多くの事を楽しそうに話してくれ、商才を持って鳴らした巧みな話術と共に幼い私をも虜にしてくれた。同郷の出で幼馴染、そして珍しい恋愛結婚をした祖母は、一緒に話を聞きながら祖父が言い間違いをしていたり、勘違いしていたりすると、鋭く指摘してそれがまた絶妙で面白可笑しいものだった。


「いいか、雅弘、もし、お爺ちゃんの会社を継ぐなら、これだけは覚えておけ、社員はな、兵隊なんだ」

「兵隊?軍隊の兵隊のこと?」

「そうだ、お爺ちゃんのお父さんは軍人でな、このことを教えてもらった。だから、雅弘にも覚えておいて欲しい」


 この言葉のあとには本当に真剣な目と鋭い視線が私に向けられ、私はソレに従って話を聞くために姿勢を正すことが多かった。


「働くというのはな、戦争に行くようなもんだ。そして働いてくれている人はな、戦場に居る。少しの失敗なら怪我をするだけだが、本当の失敗をしたときは死んでしまう」

「敵に殺されちゃうの?」

「いいや、一生懸命にやるから自分で自分を殺してしまうんだ、最悪、命がなくなったりすることもある。だが、一番悪いことはな、心が死んでしまうことだ。そうなったら、取り返しがつかない。心が死ぬと嘘をつくしかない、本当のことが言えなくなる。そうなる前に偉い人はそこにいって話を聞いて一緒に解決するんだ。どんなことでもだ。だから、高い金が貰える。給与ってのは苦労賃だ、高い金を貰うならたくさん苦労せにゃならん」

「難しい……」

「えらいぞ、そうだ、難しいんだ。分かったつもりになっちゃかん。そうだな。人を大切にして、そして自分も大切にしろ、大切の本当の意味はこれから分かるだろうが、自分が大切にできん奴に他人を大切にはできん」

「うん」

「もう一つある。お婆ちゃんの料理の味を忘れちゃらんぞ」

「お婆ちゃんのご飯の味?」

「そうだ、お婆ちゃんの料理は大切な味なんだ。大きくなってお婆ちゃんと同じ味を作れる人がいたらな、決して離すなよ」

「離すって?」

「お爺ちゃんは難しい話ばかりして、雅弘がかわいそうですよ」


 ちょうど祖父が話を止めるのはそのあたりで、祖母が小言を言うのもそのあたりだった。

 だから、積極的に動くことにしている。まぁ、前半分の理由がそれで、後ろ半分の理由は椅子に長く座っていることができない性分も影響しているだろう。

 貫禄がついたのか年齢は高く見られがちだが、三十路手前のたぶん、若者であるけれど、まぁ、大学の同期などからは、じいちゃんとあだ名をつけられてしまうほどに、妙に古臭い考えの人間であることは確かだ。


 駅内通路の橋で立ち止まった私は夕食のことを考えてスマートフォンの地図アプリをタップした。


「たまには行き当たりばったりもいいか……」


 近隣の飲食店と打ち込み、出てきたリストをゆっくりと見つめてはピンと感が働くような店を探していると、ふと小さな小料理屋が目に留まった。


【小料理屋 子狐】と


 可愛らしい名前に魅かれる、評価は数字だけだがそれほど悪くはない。そのまま悩むこともなく行先を設定し、その指示に従うままにゆっくりと歩みを進めたのだった。

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