Number 015「教えて! パパ!」



「ゼェ、ゼェ……! っ、考えるコトが……考えるコトが多い……!」


 空が白みはじめた明け方。

 雪華宮。

 俺は息を切らしながら、自身の私室で倒れ込んでいた。

 仰向けに転がり、胸が大きく上下するのを自覚しながら、見上げるのは硝子細工の嵌め込まれた天井である。

 雪華宮は白銀姫に相応しき離宮として造られた背景があるため、ところどころで透明感を感じさせる趣向が凝らされている。

 まぁ、そんなコトはどうでもいい。

 死ぬかと思ったけど、どうにかこうにか無事に後宮を脱出できた。


「ハァ、ハァ……あー、クソ。途中で変な女官に助けられなかったら、マジでヤバかった……」


 後宮の壁は高く分厚く。

 中に居るのは尋常人だけであるはずにもかかわらず、明らかに超人を意識した堅固さだった。

 挙げ句、こちとら水蝶宮を逃げ出してからはひたすらにクライミング可能な壁を探して駆け回ったというのに、どの壁面もツルツル磨き抜かれていて取っ掛りのとの字も無い始末。

 よくよく見れば僅かに反り立つようにも設計されていて、こりゃいかんと。

 俺が再び薮に潜り込んで身を隠すコトを思案したその時。


 ──そこの下女。何か困り事かの? 妾が助けてやろうか。

 ──っ!

 ──ああ、逃げようとしなくても良い。妾は後宮のお助け女官。


 後宮で何か困っている者がいれば、それを助けるのが趣味の女ぞよ? と。

 現れたのは鳳国では珍しい金髪の女性で、自称の通りたしかに女官らしい出で立ちではあったものの、細めの目つきや妙な色香から、一目で胡散臭さの塊だと思った。


 だいたい、後宮のお助け女官ってなんだよ。


 キツネ顔の美女。

 不意をつくように声をかけられたコトもあって、俺は当然警戒した。

 後宮に超人はいなくても、紅玉のような妖術師はいる可能性がある。

 さては妙ちきりんな超常現象の使い手か?

 不自然なまでに薄い気配を不審に思い、すぐに疑った。

 すると、キツネ女は艶然と微笑み……


 ──壁を超えたいかえ? であれば、妾が羽衣の術をかけてやろう。

 ──……羽衣の術?

 ──少しの時間、そなたに伸し掛かっている〝重さ〟を軽減する術よ。


 端的に言えば、跳躍力が増して体が身軽になる。


 ──天女のように宙を舞えるぞよ?

 ──……妖しい。悪いが、素直に信じれません。

 ──すまん。もうかけた。

 ──え。

 ──では、高らかに舞うが良い。妾は鳥が、鳥籠から自由に飛び立つ姿が好きなのよ。

 ──ちょ、ちょちょっ!?


 そして、俺は一定時間、宙を飛んだ。

 後宮の壁を難なく越えられるくらいの高さまで。

 術の効果時間は本当にごく僅かで、越えたと思った瞬間には即座に地面に落下したが。

 ともあれ、今さら落下ダメージくらい空燕先生のシゴキに比べれば大したものではない。


「まぁ、かなり痛いのに変わりはないんだけど……」


 結果的には助けられた。

 後宮のお助け女官、いったい何者だったのだろうか?

 古めかしい口調とキツネっぽい細面。

 金髪という珍しい頭髪。

 天女の羽衣を連想させる術の行使。

 中華風ファンタジー世界であんな如何にもな属性を見せつけられてしまうと、想像するのは悪名高き妲己だっきとかの妖怪である。


(人間やめちゃってる人間が多すぎて、つい忘れそうになってたけど)


 この世界、普通に人外もいるからな。

 魑魅魍魎に妖怪変化。

 陰惨な事件が起こりやすい場所には、必ずと言っていいほどホラーが付きものでもある。

 それに、狐狸野干の巣窟である宮中が、本当にそれらの巣窟だったとして、何の不思議があるのだろうか?

 俺からしたら、どいつもこいつもバケモノと変わらない。


(というか、むしろ本当にバケモノであってくれた方が気もいくらか楽になるぜ)


 ああ、コイツらやっぱり人間じゃなかったんだな……って。

 一人間として、ホッと胸を撫で下ろせる。

 と、それはさておいて。


「さすがに疲れた」


 ゴロン、と床に転がり白眼を剥く。

 最近、いろいろ精神的に参ってくると、眼球があらぬ方向を向いて意識が真っ白になるのがデフォルトになって来た。

 自分でも気絶寸前なのだと理解はしている。

 が、だからといって簡単に意識は手放せない。

 根性で調息を回し、意識を保つ。

 床に寝転がっていると、気づきたくない足音にも敏感に気がついてしまうからな……


(この足音は、天萬テンマン……)


 恐らく、昨夜の成果を確認するためオークは真っ先に俺の様子を見に来たのだろう。徹夜明けの早朝にアレと会うとか超しんどい。

 しかし、ヤツと会うなら弱ったところは見せたくない。

 最低限の身なりを整え、皇太子らしい威厳は少しでも取り繕わないとダメだ。

 床でグデッと倒れ込んで芋虫のように呻き声をあげる銀髪銀瞳白眼剥きショタとか、どう考えても皇族の所作じゃないからな。


「やれやれ」


 上体を起こして襟を正し、いつものように椅子に腰掛ける。

 とか何とかやっていると、そら、今日もバケモノとご対面だ。

 

 バッターーーーンッ!!


 勢いよくドアが開けられて、出てくるのは国一番(暫定)の醜男。


「殿下ァァァァッ! おはようございまぁぁぁぁぁぁすッ!! 昨夜はよく眠れましたかなぁァァァァァァァ!?」

「…………」


 ツバがべちゃぴちゃ顔にかかった。

 ……神よ、何ゆえ斯くも厳しき試練をお与えになられるのですか?

 ゴシゴシと袖で拭いて、深呼吸して気を鎮める。

 今朝は紅玉はいないらしい。

 皮肉的な挨拶はとりあえずスルーするとして、


「右丞相。ちょうど良かった」

「──ムッ!?」

「今度の狩猟会、日取りはいつだったかな?」

「明明後日ですが、それが!?」

「いやなに。ちょっと渡りをつけて来てくれないかと思って」

「ほほぅッ!?」


 天萬テンマンはやはり、昨夜の詳細についてはある程度抑えてから来たのだろう。

 俺が開口一番、敢えて興味を惹く一言を放ってやると、当初の用件を引っ込めこちらの話を聞く姿勢に入った。

 自分が歓迎されないコトを知っていて、にもかかわらず俺が「ちょうど良かった」と発したコトで、強い関心を抱いた顔だった。

 まぁ、俺もたまには誰かの意表を突かないとな?


「御料での次の狩猟会、俺は父と話がしたい」

「! 陛下は殿下に供回りを許しておいでではありませんが?」

「別に一緒に狩りがしたいワケじゃないさ。ただ少し、二人で話せる時間が欲しいだけでな」

「なるほど。なるほどなるほどなるほど? 後宮に潜入したばかりだというのに、なかなか剛毅なお考えです……」

「で、できるか? できないか?」

「無論! 是か否かと問われれば是でしかありませんとも! しかしィ? いったい如何なるよしでしょうか!?」


 オークの目が、暗に告げる。


 〝オマエと鳳皇の仲は親密とは呼べない。なのに、今さら何の用があって会話を望む? 下手な用件なら不興を買うだけだぞ?〟


 その視線を真っ向から睨み返し、俺は覚悟の上だと態度で表した。

 たしかに、俺が気栓体質者で武才に恵まれていないコトが明らかになってからは、バカゴリラから俺への関心はほとんどゼロに近い。

 恒例の御料狩猟会でも行動を伴にしたのは最初の一回だけで、後は形ばかりの参加を義務付けられただけ。

 軟弱者に用は無いと、あからさまに接触の機会を失った。

 けれど、今の俺ならバカゴリラも少しは時間を取ってくれるはずだ。


(いや。俺がアイツにそうさせる……!)


 必ず時間を取らせる。


「理由は単純だ。分からないコトは全部、パッパに教えてもらうんだよッ!」

「ん──んん──?」


 断言に、天萬テンマンは訝しげな顔つきになって首を傾げた。

 カツ家の長からしてみれば、自身が傀儡にしている男。それこそが鳳皇。

 またの名を乱交好きの脳筋である。

 だから、何を訊くにしたところで、あんな男の口からはロクな情報は返ってこない。

 オークの視点では、俺はまさに無駄骨を折ろうとしているように見えたに違いなかった。


(フン。無理もないぜ)


 しかしながら、天萬テンマンは知らない。

 いや、あるいは忘れてしまっていて失念している。

 どんなに権力を握って、どんなにこの国を手中に収めていても。

 カツ天萬テンマンは皇族ではないし、タツ暁明ギョウメイにしたって貴士族の域を出ない。


 身分社会の不文律!


 翻って、皇族は腐っても皇族だ。


(俺の勘違いじゃなきゃ、ゴリラは意外と情報通なんだよ……たぶん)


 一抹の不安はあるが、過去、幾度となく教えてもらった情報がある。

 万・亜門やら何やら、俺があらかじめ知っていたのはゴリラ経由の情報があったからだからな。

 バカでもゴリラでも、皇族ならではのシークレットネットワークがあると俺は見ている。


「つーワケで、渡りだけつけといてくれよ」

「まぁ……その程度であれば構いませんか。天萬テンマン、承知!」


 抱拳による礼を取り、オークは肩透かしを食らった顔で頷いた。

 よし。これで明明後日は、久しぶりに親子水入らずの時間である。

 皇族の視点で見た宮中の動勢など含めて、結局どこの誰が今回の事件の黒幕なのか。

 バカゴリラの意見であっても、一考の余地はあると信じたい俺なのであった。


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