Number 012「後宮潜入大作戦」
鳳国を実質的に支配している二人の男。
右丞相──
左丞相──
この二者はどちらも癌である。
鳳国という大帝国にとっては、まさしく獅子身中の虫であり。
どちらも皇帝を完全な傀儡とし、いずれは自分たちこそが……と目論んで止まない奸臣中の奸臣。奸臣オブザイヤー。
狐狸野干の巣窟にして伏魔殿たる宮中では、俺はもちろん多くの者にとって、警戒を怠るべきではない存在である。
そうだな。
天萬がキモデブハゲオヤジの豚猿だとしたら、獺・暁明はヒョロガリメガネの蜘蛛蛇ってところだろうか。
色白で痩躯で、手足が異様に長い。
それでいて目は細く、蛇のようにイヤらしい笑顔を常に貼り付けている。
オークのように分厚い天萬と比べると、一見はかなりひ弱そうに見えるが油断してはいけない。
獺・暁明は鳳国の警吏、軍事を掌中に収める武門の統括者だ。
天萬が内政……どちらかと言えば伝統行事や祭事、土木・灌漑・治水などの方面で強権を握っている一方で、鳳国左丞相は将軍などの高位武官とも親しく、圧倒的な武威で以って影からこの国を蝕んでいる。
鳳国に蔓延る幾つもの犯罪組織。
その中でも殺人道場などは、必ずどこかで暁明に繋がっているらしい。以前ゴリラがそう言ってた。
なので、〈暗翳蛇道宗〉を使って俺の暗殺を企ているのが彼の蜘蛛蛇こと獺・暁明だったとしても、不自然なところはまったくない。
正直、俺としてはこの国じゃ誰でも黒幕になり得ると思っているので、どんな名前が出てきたところで「薄々そうじゃないかとは思ってたよチクショウが!」となるのだが、なるほど獺・暁明。
表向きは天萬勢力の一員になる俺を害するとなれば、対抗勢力に相応しい名前はやはりそれなりのビッグネームとなるか。説得力が違うぜ。
というワケで反撃タイム。
俺は現在、後宮に潜入しています。
そして、いきなりで申し訳ないんですが死にそうです。
「クセモノォッ!」
「男子禁制の後宮に入り込むとは、死罪は免れぬぞ匹夫めがッ!」
「ええい、探せ探せぇ!」
(終わった…………)
藪の中で息を潜めながら、すっかり騒ぎになってしまった後宮の中で思わず涙をポロリ。
女の園、バカゴリラのハーレム。
忍び込むとなれば、こうなるコトは初めから分かり切っていた。
しかし、それでも為さねばならぬと苦渋を呑んだのが一昨日のコト。
後悔頻りで仕方がないが、地位薄弱な銀髪銀瞳の皇太子に使える手札は少ない。
この場ではただ天萬を呪うコトだけが、唯一の慰めである。
つまり、何がどうしてこんな状況になったかと言うと……
時は二日前に遡る。
────────────
────────
────
──
「──で、反撃とは申しますが」
「あん?」
「殿下は具体的に、如何な手段をお考えなのですかなァ!? 何も無いのであれば、ここは天萬にひとつ妙案があるのですがッ!」
「おお、さすがは天萬様!」
クイズ大会の後、空燕先生に髪の毛を抜かれた天萬はサスサスと頭皮を摩りつつ、スッと雰囲気を変えた。
遊びに付き合うのはおしまい。
趣味に浸るのもこれまで。
座興を一頻り楽しみ終われば、残るのは冷徹で狡猾な野心家の顔である。
アクの強い言動は依然としてそのままでも、天萬の目には一転して油断のならない光が宿っていた。
野心の火だ。
「……妙案って何だよ」
「左丞相の目的は先ほども述べました通り、自身の養女である楊・綺蝶に子を産ませ、新たな皇太子を儲けるコトです!」
「だから?」
「であれば、事は実に簡単な話ではありませんかなァ?」
天萬は俺の耳元に顔を寄せ、恐ろしい陰謀を囁いた。
紅玉がいる手前、敢えてヒソヒソ話が必要だったのだとは理解したが、天萬の息が顔にかかる。
それもまた、実に恐ろしい鳥肌ものだった。
知ってか知らずか、天萬は無駄にウィスパーなボイスで……
「──後宮にいる楊・綺蝶を、殺してしまえばよいのです」
「ッ!」
「もっとも!」
慄いた俺からニヤリと距離を開け、天萬はそこで嘲笑うように肩を竦めた。
空燕先生がぴくり、と眉を動かしたのは、超人的な聴力で声が聞こえてしまったからかもしれない。
それもどこまで計算の内なのか、天萬は舌で唇を湿らせながら、
「もっとも、殿下には無理な話でしょう! 左丞相が動いたのは、楊・綺蝶に懐妊の兆しを見たからかもしれません! 身重の可能性がある女人を宮廷のいざこざに巻き込むのは、お母君を亡くしている殿下にとっても望ましい話ではないと天萬は察しまする!」
「……ペラペラと、よく回る」
巻き込むどころか、もっと直裁的に殺害を教唆した口で天萬は嘯くばかりだった。
悪辣な本性から漏れ出る腐敗の瘴気。
薄汚くて臭い口から飛び出てくるのは、蛆虫の集った言葉だけだ。
生理的嫌悪感と不快感から、つい怒鳴りたい気分に駆られた。
が、俺は懸命に堪えて続きを促した。
「で? じゃあ実際には、どうしろって?」
「警告くらいに留めておきましょう! 後宮に忍び込み、楊・綺蝶の枕元にでも短刀を突き刺しておけばよろしい!」
「バカじゃねぇの?」
後宮に忍び込んで暗殺まがいの騒動を起こすなど、事が明るみなれば待っているのは極刑だ。
しかも、狙う標的がバカゴリラのお気に入りである三貴妃の一人となれば、たとえ実の子どもであっても恩赦の可能性は無いだろう。
俺の命と違って、三貴妃の命は重い。
危険な犯行に命を懸けてくれる忠実な人間も、俺の周囲にはいない。
「まさか、右丞相がじきじきに手でも貸してくれるのか?」
「いえいえ!」
天萬も連座のリスクは御免被ると。
実際にそういう話になったら、如何様にもやり過ごし方はあるくせに首を大きく横に振った。
──では、コイツは俺に何を提案しているのか?
胡乱な眼差しで「ハァ〜ン?」と睨みつけていると、オークは「オッホッ!」と悦びかけた直後にすぐさま咳払いし言った。
「ンッ、ンン! 後宮には殿下が忍び込めばよろしいのです!」
「──は?」
「髪も染めて
「おお、それはたしかに……!」
「──いやいや、いやいやいやいやいや。ちょっと待て。ちょっと待て!」
「きっと可愛らしすぎて、今上陛下のお目に留まればお声を賜る可能性もありましょう……!」
「ふざけんなバカ!」
なんで俺が、そんな地獄みたいな展開に突入しなきゃならんのか!
銀髪銀瞳の皇太子は、美貌だけが取り柄?
だからって、さすがに性別の差は誤魔化せないだろうが……!
「俺は男だぞ! いくらなんでも無理がある!」
「いえいえ。幸い殿下はまだ幼い。ほんの少し整えてしまえば、きっと最高ですとも!」
「──ハ!? まさかテメっ、さては俺を女装させたいだけだな!?」
「とぉぉンでもございませんッッ!! これもすべては天萬からの真心と忠心と受け取っていただければ……! 紅玉」
「ハッ! では殿下。失礼して」
「私は何も見てないし聞かなかったコトにします」
「先生ェェェェェェェェェェェェ──!!!!」
──
────
────────
────────────
と、そんな成り行きで。
今はまだ天萬に良いように操られるしかない俺は、あれよあれよと言う間に後宮に潜入する流れになったのだった。
空燕先生も雇用主の不興をあれ以上買うのは、マズイと思ったのだろう。
見捨てられた時は泣いたが、無理をさせてしまったのは俺なので仕方がない。
髪は炭で黒染めし、衣装は下女の一般的なそれで華麗に変身。
年齢的に侍女に扮するのは無理があったため、下働きの奉公丁稚のような
とはいえ、顔の高貴さは誤魔化せないので、設定的には豪農の娘といった感じであるが。
(いつか革命が起きたら、下人に変装できるようにとは考えてたけど……)
よもや、女装が先だとは思わなかった。
しかも、思っている以上に上手く潜入に成功したし。
途中でロリコンの宦官に目をつけられなければ、最後まで騒ぎが起こるコトは無かっただろう。
(クソが!)
チンコ切ってても性犯罪は起き得る。
具体的な詳細は一刻も早く忘れたいので割愛させてもらうが、ロリコン犯罪者って本当キメェ。
殴り飛ばしてしまったせいで男だとバレたし、どうせなら骨の一つか二つ折っておくべきだったかもしれない。
あいにく、今は俺の方がピンチだけど……
(どうしよう。大変なコトになっちゃったな)
ヤバすぎて一周回り冷静になって来た。
後宮は今、右に左に上に下に、どんどん騒ぎが大きくなって女たちが薙刀とか携え始めている。
どさくさに紛れて上級妃の居住区画っぽいところに飛び込んではみたが、後宮って意外と警備体制がすごいんだなぁ……
庭園の藪中でジッとしつつ、どっから来たかももう分からねえや、と一人笑った。
──殿下の逃げ足なら、仮にバレたところで難なく塀を越えられるでしょう!
(なんて天萬は言ってたけど)
塀の高さは城壁並だった。
夜まで隠れて無事に塀まで走れたとしても、飛び越えるのは100%無理である。
(それこそ、超人として目覚めでもしない限りは)
潜入する時は天萬の手引きでスムーズに済んだが、脱出は難易度が違う。
とはいえ、ここまで騒ぎが大きくなってしまうと、逆に目的を果たさずに逃げ帰るのも馬鹿馬鹿しい。
楊・綺蝶の枕元に短刀を突き刺す。
そんな暗殺まがいの凶行を実施するのではなく、俺は今日、楊・綺蝶に手紙を届けに来たのである。
手紙の内容はこうだ。
〝危険──警戒を〟
天萬からあんなコトを聞かされて、楊・綺蝶の身に危険が迫っていないとは思えない。
あのドグサレオークは、俺を使って裏でどんな陰謀を働かせているのか分かったもんじゃないからな。
あらかじめ渡されていた短刀なんか、宦官の懐に忍ばせて捨てた。
そのせいでロリコンに絡まれてこんなコトになってしまったんだが、ともあれ警告というなら手紙でも目的は達せられる。
差出人不明の手紙。
書かれてる内容は警戒を促すもの。
(ついでに、予定外ではあったけど実際にこうして騒ぎがあれば、一定の信憑性も出る)
自分の命を狙っている者がいるのかもしれない。
そんな疑念を与えられれば、楊・綺蝶は必ず養父である獺・暁明に連絡を送るだろう。
スネに傷持つ左丞相には、何かしらの作用が働くに違いない。
俺にとって良い方に転ぶか悪い方に転ぶか、それは結果が出てみないコトには何とも分からない話だけど。
(枕元に短刀を突き刺すとかさぁ……)
仮に楊・綺蝶が本当に妊婦だったとしたら、ストレスすぎて大変である。
ショックも大きいだろうし、ここは手紙くらいが良さげな塩梅だと俺は思うね。
と、そんなふうに思索に耽っていると──
「姫様! 表に出てはダメです!」
「あら、どうして?」
「まだ詳細は分かっておりませんが、なんでも賊が入り込んだとか……!」
「どこに潜んでいるやら分かりませぬっ、奥のお部屋で、しばし身の安全を……!」
「そうなの? でも、少しくらいは外の空気を吸わせて? ここは水蝶宮だもの。皆がいれば、私は安心だわ」
「「ひ、姫様……!」」
楊・綺蝶がそこにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます