第13話. 幸せと新たな決意
シアの唇はふんわりと柔らかい。味なんてしないはずだが、どこかほんのり甘さを感じる。シュガーパウダーがかけられたブリオッシュのような感覚だ。甘くて柔らかくて、優しい温かみがあって、脳が溶けるほどに心地良い。
風がかすかに吹き、木の葉が掠れる音が聞こえる。どこかの木の上で小鳥がさえずる声が聞こえる。シアの髪がサラサラと音を立てる。俺とシア以外の人間の時間が静止し、この世にただ二人だけになったような気さえする。
たった数秒で、何年もの時間が経ったかのようだ。
プハッ──
「ち……違う……違うからね」
「何が違うの」
「うるさいっ! ……何でもない」
シアは自分からキスして来たのに、すごく動揺している。普段はかっこいいシアが、今は普通の少女のように可愛らしい。
シアはそっぽを向いて、照れを隠しているように見える。
「……黄色だ。私のファーストキスだよ。これ以上の価値のあるものは存在しないでしょ」
「シア、もう一回してよ」
「だめ、それは贅沢すぎる。もっと贅沢が似合う男になったらまたしてあげるかもね」
シアは俺を起こして太ももの上に俺を、シアと同じ方に向けて座らせた。そのまま俺の胸に両手を回してぎゅっと抱きしめた。
「最近ね、あなたの近くにいるとすごく安心する。3年前に出会った頃はすぐに泣いて、私を頼ってくるだけの坊やだと思ってたのに」
「坊やって。あの時だって俺は17歳だったのに」
「坊やだったでしょ? まぁあれはあれで可愛かったけどね」
シアはレクロマの右肩に顎を置いてさらに強く抱きしめてきた。
「もう少しこうしていさせて」
どれくらい時間が経ったのかな。シアに抱きしめられるととても安心する。耳元でシアの寝息が聞こえる。シアは寝ているみたいだ。寝る必要はないって言ってたけど、やっぱり寝るのは生きている実感なのかな……
シアは俺をよく撫でるけど、俺だってシアのことを撫でたい。シアに触りたいのに俺からは触れない。それが、こんなにもどかしいなんて。でも、今はすっごく幸せだ。ずっとこのままこの空間が永遠に続けば……。俺も眠くなってきたな。俺も少し眠ろう。
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目を開けると、目の前に見覚えのある村がある。
ここは、俺の故郷のセレニオ村だ。またあの夢……
レクロマが見回すと、何も起こっていないことに違和感を感じた。
いつもと違う。いつもは村に紫色の霧が満ちていた、酷い悲痛の叫びが聞こえていた。こんなの、初めてだ。幸せだった頃の平和なセレニオ村の夢なんて。
「あっ、レクロマ。何してるの」
水色のポニーテールの女の子が話しかけてきた。幼馴染だったリレイだ。
いつかの俺はどこにいるんだ。辺りを見渡してみても、俺はいない。
「どうしたの? 何か探してるの?」
「えっ……」
この世界の俺じゃなくてこの俺に話しかけてるのか。夢の中では、俺は見てるだけで誰にも見えていなかったのに。
「何でもないよ。久しぶりだね、リレイ」
「何言ってるの。さっきもメルちゃんと一緒に川で遊んでたでしょ」
「そ……そうだったね。俺、おかしいね。疲れてるのかな……」
「今日は家に帰って寝た方が良いよ。また明日遊ぼうね」
レクロマが振り返って手を振ると、リレイは手を振り返してきた。
「そうだね……。じゃあね、リレイ」
家に行けば家族が集まっているはずだ。あの幸せだった頃の生活があるはずだ。
リレイはずっと手を俺に向かって笑顔で手を振っていたが、俺が家の扉に手をかけながらリレイの方を向くと、急に真顔になる瞬間が見えた。
中に入ると、そこにはいつかの日常があった。父さんは椅子に座って本を読んでいる。母さんは台所に立ってご飯の支度をしている。メルは台に立って母さんの料理を見ている。
懐かしいな。ヴァレリアがあんなことをしなければずっと近くにあったはずのものだ。
「おかえり、遅かったね」
「ただいま、母さん」
レクロマが椅子に座ると、メルが椅子の近くまで走り寄ってきた。メルの頭をなでてやると、嬉しそうに笑った。溢れそうになった涙をぐっと堪える。
「お兄ちゃん、すごく嬉しそう。何かあったの?」
「何よりも大切な人たちに再会できたからかな……。それに、大切な人にキスされたんだ。今、すごく幸せだよ」
メルたちの目はまるで死んだように、光が消えた。
「ふぅん。幸せなんだ」
母さんが急に振り返った。不気味なほど単調に話してくる。
「えっ?」
「レクロマは苦しむ私たちを置いて逃げた。何もしてくれなかった。それなのに、自分だけ幸せになろうとするの?」
「お兄ちゃんは私たちの墓も作ってくれなかった。私たちから目を背けて、事実を受け止めようとしない。だから、そんな浮ついたことを言ってられるんでしょ」
「レクロマ、俺はメルと一緒にいるように言った。何かあるかもしれなかったから、2人だけでも逃げられるように。なのにお前がメルをすぐに連れて逃げなかったからメルは死んだ。お前が殺したんだよ」
「ちっ……違う。俺は……俺は……」
レクロマは椅子から転げ落ちて、頭を抱えてうずくまった。
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家の中にはいつの間にか紫色の霧が満ちて、3人は倒れ、すでに死んでいた。
「俺は幸せになんてなっちゃいけない。何もできなかったあの時の責任を取らなきゃいけない。父さん、母さん、メル、リレイ……ごめん。俺が必ず……俺が必ずみんなの仇を取るから」
レクロマは動かなくなったメルの体を強く抱きしめている。
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