ダンジョンが重すぎる

藤原くう

第1話

 俺は逃げていた。


 背後から迫る、巨大なものから必死に。


 ただひたすらに走る俺を、道行くやつらが二度見してきやがる。


「今の見た?」


佐藤海人さとうかいとよねっ!?」


 そんな黄色い言葉とともに、パシャリとシャッター音も聞こえてきた。


 のんきなもんだ。


 今ごろ、俺の写真をSNSに乗っけて、バズってるに違いない。


『行方不明の英雄を見つけちゃった!』


 そんな感じのタイトルで。


 自分で言うのもなんだが、俺は英雄ってやつらしい。


 そんなつもりはまったくなかった。全世界に現れたダンジョンを攻略してたら、結果的に世界を救うことになったってだけで。


 そりゃ、俺だって最後くらいはカッコつけたかったさ。SNSでラスダンからの景色ってやつをみんなに自慢したかった……!


 だが、できなかった。


 たった今、追いかけてきてるやつのせいで。


 よからぬものを感じて振り返れば、空間にシャボン玉のような揺らぎが生じていた。


 ダンジョンの中でモンスターがポップするときみたいに。


 この世界に、ダンジョンが出現するときみたいに。


 ダンジョンアラートが鳴りひびくと同時に、揺らぎの中から、にゅっと何かが飛びだした。


 ヒトであり、そうではない存在。


 そいつは、ヒトにしてはあまりにも巨大すぎた。10階建てのビルをゆうに超える巨体が、光から現れ、道路へ着地。


 ずうんと地面が揺れて、アスファルトの破片がいあがる。


 飛び交う悲鳴。


 逃げまどう人々の向こうに立つ巨人は、ゴツゴツとしており、肩は山脈のように尖っていた。


 業火のようなが、俺のことだけをじっと見つめていた。


 その巨人の腕が、俺へと伸びてくる。


 腕の先端は触手のようにうごめき、俺を包みこまんと手ぐすね引いていた。


「あっぶね!」


 ぎはらうようにやってきた腕をすんでのところで回避し、路地裏へと入りこむ。


 直後、背後でずしんと大きな衝突音。


 見れば、巨人の腕が建物と建物の間につっかえている。触手のような先端が、恨みがましく震えていた。


 いつ動き出すともしれない腕をにらみつつ、俺はスマホに手を伸ばす。


 先ほどダンジョンアラートを吐き出したスマホは、今もなお振動していた。


 行方不明になっていた数か月、たまりにたまった通知が雪崩なだれみたいに押し寄せているんだ。


 ダンジョンアラートは赤く点滅しつづけている。


 ダンジョンアラート。


 ダンジョンが現れたという警告。


 その赤い光を見てるだけで、ため息がれてくる。


 事情を知ってるだけに申し訳ない気持ちになるね。


「ラビュリー、もうやめにしないか」


 俺は、その子の名を口にする。


 ぴたり。自販機の下に落ちたお金を拾うように動いていた腕が、止まった。


 次の瞬間には、腕は光となって、女の子になっていた。


「逃げるのをやめてくれたら、いつでもやめたげるよ?」


 ラビュリーがにっこり笑って、そう言った。






 ラビュリー。


 俺の相棒であり、戦友。


 ダンジョン攻略は俺一人がやったことだと思われてるみたいだが、そうじゃない。


 俺なんて、刺身の横に置かれてるツマとかタンポポに近かった。


 いなくたってダンジョンは攻略されてただろうな。


 微笑みながら近づいてくる、この女の子ひとりに。


「ちがうよ」


「なにが違うんだよ。お前の力だったら、地球くらい簡単に真っ二つだろ」


「もうっ。そんなバカぢからみたいに言わないで。あの山をつぶすくらいだってば」


 ラビュリーが指さす先には富士山があった。


 あんなもんを両断できるってんだから、ラビュリーはおそろしい。俺なんか、ケーキだって切り分けられるかわかんないぞ。


 なんて言えば、ラビュリーがいたずらっぽく笑った。


「バケモノって思った?」


 ラビュリーは、胸元のまっかなリボンをいじくりながら言う。


 コイツが着てるのは、紺色のセーラー服。でも、JKじゃなかったはずだ。少なくとも、俺の好きな服がセーラーだと知るまでは、ジーンズに胸が強調されるほどぴっちりとしたシャツだったし。


 なにより、ラビュリーと出会ったのはダンジョンだし。


 ――なんて考えてるうちに、ラビュリーが俺のことをのぞきこんできていた。


「ねえどうなの……?」


「だまってたら、ヒトだ」


 顔が近かった。互いの息が相手にぶつかって、跳ね返ってくるくらいには。


 ラビュリーの愛らしい顔が、よく見えた。


 ヒトにしか見えない。そうじゃないとしたら、神の創造物か?


 薄い唇が、上機嫌な弧を描く。


「そっかあ。でも、それじゃまだ足りないかな」


「……どう扱ってほしいんだよ」


伴侶はんりょとかっ」


「…………」


 何言ってんだコイツ。


「あ、奥さん、妻、王道の彼女とかも捨てがたいなあ。でも、やっぱ呼び捨てがいいなっ」


「ラビュリー」


 ラビュリーが後ずさる。それから天を見上げて、何かをブツブツ繰り返し呟く。


「海人が名前を呼んでくれた海人が名前を呼んでくれた海人が名前を呼んでくれた……」


 壊れたラジオみたいになっちゃった。


 そんなラビュリーの真っ白なほほにはしゅが差し、目はキラキラ輝いている。小さな体はぴくぴく痙攣けいれんしていて、異常だと教えてくれた。


「だ、大丈夫か?」


「昇天するかと思ったあ」


 なんてラビュリーが上気しながらいうもんだから、思わずツバを飲みこんでしまった。その姿はさながら湯上り美人といったところか。


 ラビュリーが息をつく。


「……ますます海人のことが好きになっちゃった」


 どうしてくれるのさ、とラビュリーがおなかを突っついてくる。


「責任取ってよねっ」


「なんで俺が」


「そりゃあ、海人が魅力的なのが悪いんだもん」


 口を尖らせたラビュリー。次の瞬間には、ふわりと抱きつかれている。


 彼女のムチのような手足が、俺の体にまとわりついてきて、俺はどうすることもできない。


 これじゃ逃げられないじゃんか。


「お前はヘビかよっ」


「ちがいますーダンジョンそのものですー」


 そうだった。


 コイツはダンジョンである。


 ふにょんとやわらかなくてあたたかなものが背中に押し付けられる。ラビュリーが動くたび、それもふにゅふにゅ形を変える。


 女性が持っているおおきくて丸いやつ。男の子が好きなアレ――頭によぎりそうになって、慌ててデリート。


「想像しちゃったの……?」


「し、してねえし!」


「いいんだよ。どんどん妄想しても。その代わり――」


 ラビュリーの深い息づかいが、首を駆けあがって、耳元へと到達する。


 食いつかれてしまいそうなほどの至近距離で、俺はラビュリーのささやきを聞く。


「――死ぬまでいっしょのダンジョンに入ってくれる?」

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