油色の雫の降りしきる町

一式鍵

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 キラキラと降るそれらは、紡錘ぼうすい形に世界をゆがめる。それらは水滴とも違う何かで、しかし巨大な水滴ともとれるような何か。それは七色に光を反射して、しかしどうやっても触れることは叶わない。虹のようにつかみ所がなく、一方で、その原理は未だ判明していないもの。


 それはある日突然、そろそろと降るようになった。雨――とは違う。晴れた日に限って降るもの――でもない。それはいついかなる時にも降るし、いついかなる時でも降っているわけではない。そんな紡錘形で虹色の何かが降っているのは、どうやら僕らの町だけらしかった。


 油色の町——誰かがそう揶揄やゆしているのをSNSで見た。山奥の田舎町、物理的にも電子的にも隔絶されているはずの僕らの町の情報は、何故かたちまちのうちにネットの海を駆け巡り、拡散した。そしてリアルな人々は、こんな超級の田舎町に集束してきた。どこを見ても見知らぬ地名の書かれたナンバーの付いた車であふれていた。


 そうか、情報が拡散すればするほど、人々は集束するんだ――ある日、僕はそんなことに気がついた。


 情報なんてどこでどう見たって変わるものでもないだろうに、なぜか人々はその顔面の前面についている二つの球体でそれを見たがる。まるでその網膜に捕らえたものは、すべからく真実たるべしとでも信じてでもいるようだった。「見る」ことによってそれを特別なものにしようとでもしているようだった。


 それはとても滑稽で——彼らが注目する町の住人である僕らからしてみれば——転じて哀れだ。


 でもそんな滑稽な人たちのおかげで、僕らの町は一躍世界でも知れ渡るようになった。僕らの町が海を渡るだなんて、正直想定外だったよ。だけど、不思議なことに、誰も僕たちの町の名前を。SNSでの記載はなぜか「N町」に統一されていたけれど、N町なんて町はもちろん存在しないし、そもそも僕らの町の名前は「N」で始まらない。


 僕らの町はドーナツの穴のようなもので、他に依存することで初めて存在を主張できるような、そんな辺鄙へんぴな町だ。しかし、穴がなければ、ドーナツは一般的に認知される、そう、にはならない。


 だから、僕らは僕らというの存在によって、この地球の総てを、のある部分のその意味や役割というものを明確に定義する役割を担っているなんてことにもなるだろう。だって、僕らの※町がなければ、僕らの※町に群がる人々も、情報を拡散した人たちも、全く意味のない存在になってしまうからだ。彼らは僕ら※町の存在によって存在し、ゆえに観測され得る。


 ええと、難しかったかな。


 そうだね、つまり、彼らが僕らの※町を観測した瞬間から、彼らは僕ら※町の観測なしには存在し得なくなる。彼らが僕らを観測したは拡散した情報が証言してくれる。


 だけど、僕らが存在しなければ——※町が彼らを彼らと定義しなければ——彼らという情報の一部は確実に、世界から欠落してしまう。彼らは不良セクタを持った不良な情報ということになり、つまり、世界というやつからは観測できなくなってしまうというわけだ。


 このころになると、僕は僕らの町——油色の町に降るものの正体に気付き始める。


 それはなのだ。超ひもスーパーストリングス理論で定義される小さく丸まった高次元の。それがなぜここまで巨大に見えるのか、いや、そもそも僕ら三次元あるいは四次元にむモノによって観測可能になったのかはわからない。ともかくそれは僕らの町にだけ降り、そして僕らもまたその油色の紡錘形のものと同義になった。


 ここに、今まさに僕の目の前でひたひたと降りしきる虹色で紡錘形をした油のようなものは、まぎれもなく高次元の何かだった。GUT大統一理論がそっくりそのまま目の前でQED証明完了できる代物だ。


 否、違う。重力、電磁気力、強い力、弱い力。それら四つの力のうち、重力だけがなぜかくも弱いのかすら——その一方でなぜ重力は光速をも超えた影響力を持つのか、この紡錘形で虹色をしたものは証明しるのだ。


 ああ、残念。


 僕は学者ではないからこれは受け売りだ。油色の町、僕らの町、N町あらため※町。いつからあったのか、僕は知らない。僕らがいつから観測され始めたのか、僕は覚えていない。けれど、僕らの※町は人々により観測され、に拡散された。僕らは世界のあらゆる所に存在を許され、あらゆるところで観測された。


 ※町はあらゆる所に存在した。電脳の海、人々の意識、そしてその二つの目玉で捉える景色、それらほとんどありとあらゆる場所に観測され、存在を認知された。僕らの町、※町は光のようなものだった。闇の中にある意識を照らす光のようなもので、ゆえに僕らの※町を人々はこぞって電子的に拡散した。そして僕らへと物理的に引き寄せられてきた。キャンプファイアにそそぎ込まれる蛾のように。燃えた羽をばたつかせる蛾のように、それは哀れで滑稽で不気味な眺めだった。


 ※町はありとあらゆる意識によって観測を許され、それゆえに存在した。存在していたから観測されたのか。観測されたから生まれたのか。それは僕なんかにはわからないし、今となっては無用の議論だ。


 僕らは山奥から海を割り、宇宙から彼らを呼び、大地の縁から彼らに向けて目覚めのラッパを吹き鳴らす。僕ら※町の住人はそのためだけに、ドーナツを確かにドーナツだと証明するためだけに存在する。そして、ドーナツをドーナツたらしめるために存在している。


 彼らが存在している限り、たとえそのドーナツの一部が切れたとしても、彼らのほんの一部でも存在し続ける限り、僕らはであり続ける。僕らが彼らという存在を証言するのだ。僕らの油色の※町は、こうして光の速度を超えて拡散していく。無限に伝播し、無限に拡大していく。


 僕ら※町という虹色のしずくの降る町は、今日もこうして観測主体がある限り、宇宙を超えて伝わっていく。


 そもそも僕らはどこで生まれたのか。いつから存在しているのか。というより僕は誰なのか。物理学者ではないことだけは確かだけど、それ以外の何者でもあり得るとも言える。うん、そう、僕は何なんだろう?


 今となってはこの※町についても、僕自身についても、起源オリジンを辿ることはできない。僕らが本体オリジナルであることすら、僕ら自身を含め、誰にも証明することはできない。そして今、僕らはどこにいるのか。いや、僕がどこにいるのか。僕自身には証明できないけど、きっとどこかにがあって、僕はその中にいるに違いない。僕が始祖オリジナルであるかどうかなんて問題じゃない。


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 今——僕は、きみの中に※町をつくった。


 きみは僕ら※町を観測した。


 そうだよ。


 きみはもう、僕ら※町の観測なしには存在できなくなった。


 君は金輪際、僕ら※町を忘れることはできない。


 きみがきみであり続けたいのならば。


 残念ながら、もう※町はきみの中で拡散されてしまったんだ。

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