第5話 死体の身元

 とりあえず、

「殺人事件」

 ということは間違いないので、

「本来であれば、犯罪に、軽い重いというのがあるというのはおかしなことである」

 のだが、

「凶悪犯」

 ということであり、しかも、そこに、

「偽装工作めいたもの」

 つまり、

「死体損壊」

 という事実がある以上、それが、

「何かの隠蔽なのか?」

 あるいは、

「事件の動機が復讐であり、その恨みが高じての死体損壊なのか?」

 ということも分からない。

 とにかく、どちらにしても、

「死体を損壊させる」

 ということは、それだけでも、

「刑は重くなる」

 というものだ。

 そんなリスクを犯してまで死体を損壊させるだけの何かの理由があるということは、

「それだけ、計画された犯罪なのか、それとも、心理的に許せない何か、動機という意味で、尋常な犯罪ではない」

 ということになるであろう。

 それを考えると、

「殺人事件の方が、最重要解決事件だ」

 といってもいいだろう。

 まずは、捜査員総出で、付近の聞き込み捜査が行われた。

 さらに、それと同時に、

「行方不明者」

 ということで、

「ここ半年前蔵から少しさかのぼったところで、捜索願が出ていないかどうかの捜査も並行して行われていた」

 ちなみに、鑑識から分かったこととして、

「死体は、腐乱状態から言って、約半年くらいまでに殺されたのだろうという見解であった」

 そして、

「死因は、刺殺。肋骨のあたりに、鋭利な刃物で正面から心臓をえぐられたのではないか?」

 ということで、

「即死だったと思われる」

 ということであった。

 さらに、死体は男であるということも分かっている。腐乱はしていたが、ギリギリ男性器の跡が残っているということで、そちらは判明したのだった。

「これで被害者は、男性に絞ることができる」

 ということであった。

 そして、身長も太太170cm前後ということで、それだけでも、男性だといえるだろう

 しかも、靴を履いたまま埋められており、そのサイズは、25cmと、

「男性と考えるのが妥当である」

 ということであった。

 捜査本部の人員としては、今のところ、どちらの事件も、同じくらいの人員配置であったが、基本は、

「殺人事件の方が最優先」

 ということで、

 警察も、威信をかけてということで、科学捜査にも必死になっているのであった。

 頭蓋骨が残っているということで、

「復顔」

 というのも行われた。

 しかし、当時の技術では、まだまだハッキリと顔が判明するだけのものはなく、今の時代のような、

「グラフィック技術もほとんどない時代だったので、大学の研究所で、石膏像による、復顔というものが行われる程度だった」

 これが、もっとハッキリとした状態であれば、公開捜査ということで、全国のマスゴミを使うこともできたであろうが、

 実際にはそこまでの捜査ができるわけもなく、とりあえずは、

「行方不明者との照合」

 というものを、地道に行っていくしかなかったのだ。

 それも、身元がハッキリ分からないということで、まるで、

「砂漠で砂金を探すようなものだ」

 といってもいいだろう。

 ただ、一つ考えられるということで、この事件が、

「保険金詐欺」

 というようなものではないということは分かり切っているといってもいい。

 なぜなら、保険金詐欺を行うのであれば、

「本人が死んだ」

 という事実をでっちあげなければいけない。

「本人は本当は生きていて、まるで死んだかのように装うことで、保険金をだまし取る」

 というのが、

「保険金詐欺である。

 この場合は、そもそも、

「被害者が誰か分からない」

 という時点で、詐欺になるものではないということだろう。

 しかも、

「顔のない死体のトリック」

 を利用するというのであれば、

「被害者と、加害者が入れ替わる」

 という公式がある。

 というものが、

「顔のない死体」

 というものを、犯罪とリックに使うというメリットがここにあるということであった。

 つまり、

「死んだ人を本当は加害者なのに、死んだことにして完全犯罪をもくろむ」

 ということであっただろう。

 しかし、時効がまだあった時代ではあるが、

「死んだことになったとしても、15年間、誰にも正体がバレてはいけない」

 ということになる。

 これは、下手をすると、

「死ぬよりもつらいことなのかも知れない」

 といえるだろう。

 基本的に、

「死んだことにする」

 ということは、

「人権も何もない」

 ということになるので、

「半年でも、普通ならできるはずのないことである」

 といえるだろう。

 戸籍もないわけで、死んだことになっているわけだから、下手をすれば、

「お金を持っていたとしても、使えない場合が多い」

 ということになる。

 特に、高価な買い物などは絶対にできない。

「生きていくための必需品を持つことができない」

 といってもいいだろう。

 何といっても、

「住む家を借りることができない」

 死んだ人間に、

「不動産契約ができるわけもないわけだ」

 ただ、この場合は、不動産契約をする人間が別にいれば、その人が契約だけをして、自分が住むこともできるだろう。

 しかし、その契約をするという人間がどこにいるというのだろう。

 そんなことをして、その人には、

「百害あって一利なし」

 ということで、

 何といっても、死んだはずの人間のかわりに契約をするというだけでも、犯罪であるが、それが、他の、殺人事件などの凶悪事件が絡んでいるとすれば、

「誰がそんな事件の片棒を担ぐ」

 というものであろうか。

 よほどの弱みを握られているか何かでもない限り、ありえることではないだろう。

 そして、もう一つ、

「これは、住居問題よりも、もっと大きな問題であるが、住居問題であれば、最悪、ホームレスになる」

 という手もあるだろう。

 それこそ、幕末の京都で命を狙われていた長州藩士の桂小五郎が、

「諜報活動を兼ねて、ホームレスのような恰好をして、橋の下などで、他のホームレス連中と暮らしていた」

 という話の現代版ともいえるだろう。

 だから、本当に切羽詰まれば、できなくもないだろう。

 しかし、もっと切実なのは、

「健康保険」

 という問題である。

 というよりも、

「保険が利かない」

 というだけであれば、

「金さえあれば切り抜けられるであろうが、普通の病院であれば、当然身元を明かさないと、治療は受けられない」

 ということになる。

 身元が分からない場合は、警察が捜査するのは当たり前で、

「何かの事件が絡んでいるかも?」

 ということになるからだ。

 しかも、健康保険がないともなると、さらに深刻で、普通の病院の医者であれば、警察への通報事案ということになるだろう。

 しかし、いつの時代も、

「法の抜け道」

 というのはあるもので、そういう

「訳アリ患者」

 というものを専門で治療する、

「闇世界の医者」

 というのも存在する。

 まるで、やくざの顧問弁護士のようだが、この医者は、たとえば、

「やくざの抗争において、銃で撃たれたり、包丁で刺されたりした時に、大っぴらにできない状態の患者を運びこむという

「闇医者」

 というものである。

 昔であれば、

「落とし前をつける」

 ということで、やくざなどがよくやることとして、

「小指をつめる」

 という、儀式があったが、当然、

「指を飛ばす」

 というわけだから、激痛が走り、すぐに治療をしないと、破傷風になったりして、

「命の危険」

 というものがあるというのも無理もないことであろう。

 そうなった時、治療する医者の存在があるからこそ、

「死んだことにする」

 ということが可能なのかも知れない。

 ただ、それを考えた時、

「バックにやくざの組織が絡んでいる」

 ということになるだろう。

 死んだことにした当人が、

「やくざと関係があるのか?」

 それとも、

「金だけのつながり」

 ということで、犯人との

「契約」

 ということなのかということで、死体損壊が行われた場合、

「死んだことにする」

 ということを企んでいるということであれば、

「やくざのような組織がバックで暗躍している」

 あるいは、

「闇医者の存在」

 ということが、かかわってきている可能性があることから、そちら側から、捜査をするということも考えられる。

 ただ、そうなると、

「近いうちに、被害者が誰であるか?」

 ということが、ある程度特定されなければいけない。

 逆にある程度特定されるということになると、その裏には、

「何かのトリックが存在している」

 ということになるであろう。

 それを考えると、

「殺人事件というものは、進展すればするほど、解決に近づいているとは一概には言えないのかも知れない」

 ともいえるのではないだろうか?

「そこに、計画された犯罪が蠢いているとすれば、捜査員も、それなりの考えを持って捜査に当たらないといけないだろう」

 ということになるのであった。

 そこで、

「腐乱死体殺人事件」

 の捜査に当たっている、伊集院刑事は、捜査本部の、桜井警部の指示によって、

「やくざ関係」

 と、

「裏の闇医者」

 の捜索を行うことにした。

「まるぼー関係の課」

 の人にも相談しながら、捜査を行うことにしたが、あまりいい顔はされなかった。

 どうしても、いろいろ内偵行動を行っている関係上、いくら同じ警察組織とはいえ、

「いや、同じ警察だからこそ、横のつながりが嫌だった」

 といってもいいだろう。

 これが別の所轄であれば、いわゆる、

「縄張り争い」

 ということだ。

 特に、内偵捜査中に、他の部署の連中が、いくら殺人事件の捜査だとは言っても、自分たちが、危険を犯してまで行っている捜査が水泡に帰してしまうと、たまったものではないだろう。

 それを考えると、

「そりゃあ、なかなか教えてくれないよな」

 ということも、伊集院刑事には分かっていたが、それも仕方がないということになるであろう。

 それでも、障害がありながら、何とか捜査を続けていたが、どうも、それらの関係から、被害者が誰なのか、浮かんでくるということはなかったのだ。

 並行して行っていた、

「捜索願」

 というものに関しても、上がっているものはなかった。

 いろいろ調べてみたが、調査する中で浮かび上がってきたものとして、これと言ったものはなかった。

 年齢や背格好などから、該当者はいなくもなかったが、どれも、

「殺される」

 というようなことはないようで、ただ、それでも、

「失踪する」

 ということは、表には見えていない何かがあっての失踪であるから、まったく無視することもできないというものだ。

 何といっても、警察というところは、

「何か事件が起こらなければ、動こうとはしない」 

 今の時代であれば、

「ストーカー問題」

 などで、よく言われているが、この時代は、まだ、

「ストーカー問題」

 であったり、

「個人情報保護」

 などという問題もなかったのだが、

「警察が何もしてくれない」

 ということは、今に始まったことではなかったということである。

 特に、

「失踪届」

 といわれる、

「捜索願」

 というのは、

「読んで字のごとく」

 といえばいいのか、本当に、

「願い」

 でしかなく。実際に警察は、

「事件性がない限り、捜査はしない」

 ということだ。

 たぶん、届出人が、失踪した人に対して、

「自殺する可能性があるから、急いで探してくれ」

 といったとしても、一応警察も、

「できるだけのことはしましょう」

 と口ではいっても、全国の警察に協力を促す程度で、それ以上のことはしないだろう。

 自分の署で起こった、

「失踪事件」

 であっても、その程度のことである。

 それを、

「自分たちには関係がない」

 と思っている別の署の失踪事件を、誰が真剣に捜査するというのか、それこそ、派出所の掲示板に写真を飾る程度のことであろう。

 だから、捜索願から捜査するというのは、なかなか難しい。

 数が多いわりには、真剣に捜査もしていないので、それこそ、すべてを、一から捜査し直すということになり、まったくもって、信憑性があるとは限らないものに、どこまで時間を掛けられるかということである。

 殴打事件の方にも人員を割かれている以上、捜査員にも限りがある。

 伊集院刑事は、自分が捜査にあたる範囲を考えても、捜索願だけに時間を取られるわけにはいかないというのが実情だ。

 分かっていることではあったが、どこまでできるかというのは、時間の問題も含めると、

「時間だけを浪費して、結果、何も分からなかった」

 ということになりかねない」

 ただ、これは、

「警察の仕事あるある」

 なのではないだろうか?

 特にこの時代というと、

「昭和の捜査」

 といってもいい時代で、

「足を使ってなんぼ」

 といわれる時代である。

 一生懸命に捜査をしたとしても、結果は、何も分からないということから、結局、

「お宮入り」

 という事件の多さが、それを物語っていることだろう。

 今回の事件は、とにかく分からないことが多すぎる。

 何といっても、

「殴打事件」

 から始まって、一人が殴られ、それで終われば普通の傷害罪ということで捜査ができるのだが、その殴ったと思われる人間が、そこから少し離れたところで、今度は自分が殴られている。

 しかも、その凶器は、殴られた本人が持っていて、しかも、

「他の人を殴った」

 と思われる凶器が使われていた。

 ルミノール反応から、

「同じ凶器に間違いない」

 ということになっていることから、事件が不可解さを醸し出しているのだった。

 しかも、

「最初の被害者は、一部の記憶が失われている」

 そして、

「加害者であり、次の瞬間、今度は自分が被害者となった」

 という人は、まだまだ病院で意識が戻っていない状態である。

 さらに、その意識不明の男性は、これも、

「身元が分かるものは、ことごとく抜かれている」

 というではないか、

「いずれは分かることになるのだろうが、今分かっては困るというのが、犯人の心理なのであろうか?」

 ということである。

 さらに、もう一つの不思議なことは、

「なぜ、この男に対して、とどめを刺していないのだろうか?」

 ということである。

「犯人は、相手が死んだと思ったのだろうか?」

 ということであるが、もし、男の意識が戻れば、犯人を見ていたとして、そうなると、犯人もすぐに捕まることになる。

 被害者は、

「後ろから不意打ちを食らったかのようだ」

 という医者の見解だったので、犯人も、

「自分が誰なのか、見られたということは意識していないだろう」

 ということであれば、

「傷つけることが目的で、何も殺そうとまでは考えていなかった」

 ということになるだろう。

 そして、一番の関心点は、

「この二人の男性に、どんな関係があるというのだろうか?」

 ということであった。

 この二人が知り合いだったりすれば、そこから、真犯人が浮かび上がってくるかも知れない。

 そして、今回見つかった、

「腐乱死体」

 の身元も、ひょっとすると、殴打された二人の男性の関係性から見えてくるものもあるかも知れない。

 この殴打事件と、腐乱死体との事件は、

「一見何も関係ない、ただの偶然」

 と思われるが、どうしても、手放しに、

「そうだ」

 とは言い切れないところがあると、捜査本部は考えている。

 特に、

「腐乱死体捜査」

 の方で、その思いが強いという感じがする。

 というのは、

「腐乱死体は、顔のない死体といわれるように、身元を分からなくするかのように、顔はめちゃくちゃに傷つけられていて、しかも、身体の特徴のある部分をすべて傷つけられている」

 ということである。

 しかも、問題は、

「発見された時期」

 ということにある。

 そもそも、これが、

「顔のない死体のトリック」

 を模したものだとすれば、

「少なくとも、完全に白骨になってしまったのであれば、まったく傷つけた意味がない」

 というものだ。

 だが、白骨であれば、その時点で、

「顔のない死体のトリック」

 というのは完成しているわけであり、もし、この時期が、

「わざとである」

 ということであれば、

「犯人は、捜査陣に、これが顔のない死体のトリックを模した犯行なのではないだろうか?」

 ということを連想させるために、引率しているかのようではないだろうか?

 もちろん、

「考えすぎ」

 ということであろうが、そうなると、殴打事件の方で、

「身元が分かるものを、すべて抜き取っている」

 というのも、偶然ということなのか?

 と考えられるというものだ。

 被害者としては、確かに意識を失ってはいるが、死んでいるわけではないので、身元は意識が戻ればすぐに分かるというものだ。

 それなのに、犯人は、

「とどめを刺していない」

 ということになると、

「身元がバレる」

 ということは、それほど問題ではなく、

「すぐにバレるのは困る」

 という程度のことだったのではないだろうか?

 それを考えると、

「警察というものが、どういう捜査をするのかということを、犯人側がある程度分かっていて、犯罪計画も、そこから練られたものだとすると。警察は、すっかり、犯人に手玉に取られている」

 といってもいいだろう。

 特に警察というのは、

「組織捜査」

 が重要であり、それができなければ、

「捜査から外される」

 ということになる。

 下手をすれば、

「始末書者だ」

 といってもいいだろう。

 昔の刑事ドラマなどでは、

「始末書の数が、俺の勲章」

 とでも言わんばかりの、

「アウトローな刑事」

 つまり、

「はぐれ刑事」

 などという名前の種類の刑事ドラマもあったくらいであった。

 昭和の頃は、結構そういう刑事もいたようだが、どんどんと少なくなってくる。

 平成になってからは、刑事ドラマも様変わりし、

「一人の刑事のアウトローさを描くというよりも、警察組織というものへの反発から、一人の刑事が葛藤しながら、警察組織に抵抗を試みるということであったりした」

 しかし、

「結局は、どうにもならない現実がある」

 ということを描くしかないのが、その頃のドラマであり、恋愛ドラマにしても、警察、医療もののドラマにしても、

「最後には、現実を直視しないといけない」

 ということになるというドラマ制作だったりしたのであった。

 今回の事件というものをいかに考えるかというと、

「どうにも、探偵小説のネタになりそうな謎であったり、疑問点が、てんこ盛りになっている」

 といってもいいだろう。

 そんなことを考えて捜査していると、

「ふとした偶然で、身元が判明し、事件も、急転直下」

 ということになるのだが、果たして今回の事件もそうなるのだろうか?

 一つ問題となったのが、

「半年前の銀行強盗事件」

 というものであった。

 銀行強盗が入ったが、そこで人質が取られたりなどと、一応の大事件であったが、実際に、犠牲者が出ることも、盗まれた鐘もそこまで大きなものではなかったことから、

「そこまで大きな事件ではないな」

 と捜査員に感じさせた。

 刑事の悪い癖なのかも知れないが、どうしても、被害状況から、事件の重さを判断するようになっていることで、当時は、

「大事件」

 ということであったが、実際には、そこまでのことはなく、

「次第に忘れられる」

 ということになった。

 ただ、強盗犯は、なぜか、忽然と消えてしまったのだ。

 何やら、被害は大したことがなかったのだが、逃走経路はしっかりしていたようで、まるで神隠しにあったように、犯人は消えてしまったのだ。

 捜査員の中には、

「銀行強盗自体が、フェイクではないか?」

 と思っている人もいた。

 それは、

「探偵小説のファン」

 のような人で、

「目的は他にあったのではないか?」

 と思っていたが、それを公然としていえるわけもなく、それを言ってしまうと、それこそ、

「警察官として、恥ずかしくはないのか?」

 といわれることであろう。

 何しろ、

「警察の捜査は、理屈ではなく、足で地道に稼いだ証拠を組み立てるkとが、警察の仕事であり、一番美しい」

 という、一種の、

「耽美主義的な考え方」

 があるというものではないだろうか。

 そういう意味で、

「銀行強盗事件」

 というのは、発生してから数日くらいは、

「センセーショナルな事件」

 ということで、皆の記憶にはあったが、警察もそれなりに捜査もしていた。

 しかし、どうしても、大げさなわりには、誰も殺されたり、ケガすらさせられていない状態で、しかも、

「被害額も大したことはない」

 ということになると、誰もがそして、警察までもが、事件を次第に風化させていくのだった。

 それこそ、

「人のうわさも七十五日」

 といわれるが、それどころか、

「数日だった」

 ということだ。

 それを考えると、誰も、この事件を連想しなかったのも当たり前というものだが、

「探偵小説のファン」

 ということで、銀行強盗自体を、

「フェイクだ」

 と思っていた捜査員は、すぐに、今回の腐乱死体事件と、その時の、

「銀行強盗事件」

 を結び付けて考えていた。

 しかし、それを上司に具申するようなことは、できる状況ではなかった。

 その刑事は、最近、派出所勤務から、刑事課に上がってきたばかりの、いわゆる、

「ぺいぺい」

 といってもいいくらいで、

「警察の上下関係から考えると、どうせ、まともに相手になんかしてもらえない」

 と思うと、

「誰が教えてやるか」

 というくらいにしか思っていないのだ。

「最後に真相が分かって、その時初めて、自分たちの愚かさに気づけばいいんだ」

 と思っていたことだろう。

 ただ、その刑事は、ちょうどその時、伊集院刑事と組んで、

「腐乱死体も身元を捜査する」

 という任務に就いたのだ。

 本当は、他の人が捜査の任務に就いていたが、その人が、今度は別の事件で他の課の応援ということになったので、繰り上がりのような形で、その刑事が、伊集院刑事と一緒に捜査をすることになったのであった。

 彼は名前を。

「佐久本刑事」

 という。

 まだ、二十代前半という若い刑事で、今度の捜査には、ある程度張り切っていたのだ。

 そこで、

「差し出がましいようですが」

 ということで、自分の考えを伊集院刑事に打ち明けた。

 それを聞いた伊集院刑事は、

「ほう、それはなかなか面白い発想だな」

 ということで乗り気になってくれた。

 佐久本刑事は、半分有頂天になり、まるで、

「探偵小説を読んでいる」

 というような内容を、伊集院刑事に、話したのであった。


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