短編小説:やばい!遅刻!

@didi3

やばい!遅刻!

「よし、準備完了!」

制服の襟元を直しながら、彩花は玄関に向かった。時間は8時10分。8時30分の朝の会に出席するには少し余裕がある――はずだった。


だが、玄関の前で立ち止まる。右足の靴下は置いてあるが、左足が見当たらない。


「え?……どこ行ったの?」


リビングを覗いてみても見当たらない。自分の部屋に戻り、ベッドの下、机の上、洗濯カゴの中まで探すが、どこにもない。制服のスカートを翻しながら家中を駆け回るうちに、じわりと焦りが募っていく。


「あーもう、どうしてこんなときに限って!」


次に向かったのは母親の部屋のクローゼット。もしかしたら紛れ込んだかも、と一縷の望みをかけて引き出しを開けたが、ここも空振り。


「どこ、どこなのよ……!」


半泣きになりながらふと父親の部屋に目を向ける。普段は絶対に入らないが、この際そんなことは言っていられない。勢いよくタンスを開けると、そこには父親のパンツがぎっしりと詰まっている。そして――その中に紛れ込んでいる、見覚えのある靴下が。


「なんでこんなところにあるの!」


取り出して急いで履き、時計を確認する。8時15分。家を出なければ間に合わない時間だ。


「やばい、マジで遅れる!」


バッグをつかみ、玄関を飛び出した。




走り慣れた道を駆け抜ける途中、路地裏で小さなすすり泣きの声が聞こえた。


「……ん?」


一瞬立ち止まると、近くの塀の脇に小さな子供がうずくまって泣いている。幼稚園児くらいだろうか。彩花は迷った。


「……急がないと遅れる……けど……」


通り過ぎようとしたが、泣き声がどうしても耳に残る。見捨てるわけにはいかないと、近づいて声をかけた。


「どうしたの? 大丈夫?」


子供は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、震えながら答えた。


「……お母さん、どこか行っちゃった……」


その言葉を聞いて、彩花は思わずため息をついた。交番に連れて行けば安心だろうが、時間がない。このまま走り抜けてしまおうか……。


だが、目の前で泣きじゃくる子供の姿を見て、そんな選択肢は取れなかった。


「よし、じゃあお姉ちゃんと交番行こう!」


手をつないで一緒に歩き出したが、子供の足取りは遅い。焦る気持ちを抑えながら、なるべく明るい声で話しかけた。


「お母さんの名前、わかる?」

「……たかこ……」

「じゃあ、すぐに会えるからね!」


交番に到着すると、警察官に事情を説明した。警官が穏やかに子供をなだめる姿を見て、彩花はようやく安心して走り出した。


「やばい!遅刻する!」


学校に到着し、いつもの裏門に向かった彩花。だが、目に入ったのは頑丈に閉ざされた鉄の門だった。鍵がかかっており、誰もいない。


「えっ、何これ!?」


門を揺さぶってみてもびくともしない。普段ならここが開いているはずだが、今日はどうやら違うらしい。


「なんで今日に限って……!」


時計を見ると、針は8時29分。あと1分で遅刻判定だ。急いで裏門から正門までぐるりと回ることを決意し、全力で走り出した。


学校の敷地を半周する道は長く、正門が見えてきたときには息が切れていた。正門をくぐると、そこにも人の気配はない。


「どうして誰もいないの?」


冷や汗が背中を流れ、心臓がドキドキと鳴り響く。全速力で校舎に向かい、靴を履き替える間も惜しんで教室へ向かった。


教室のドアを勢いよく開けると、そこは静まり返っていた。机と椅子が整然と並ぶ中、誰もいない。


「え……? 一番乗り?」


息を切らしながら教室に入り、窓の外を見ても校庭にも誰の姿も見えない。妙な違和感が背中を包み込む。


そのとき、担任の先生がのんびりした足取りで教室に入ってきた。


「おや、彩花さん? 何してるの?」


「えっ、何って……学校に来たんですけど?」


先生は苦笑しながら、黒板の端を指差した。赤いチョークで書かれた文字が目に入る。


「本日休校」


一瞬、何が起こっているのか理解できなかった。だが、言葉がじわじわと頭に染み込んでくる。


「え……休校……?」


先生が続けた。

「昨日、連絡網でお知らせしたよね。校内点検のため休校って。」


彩花はがっくりと膝をついた。


「……二度寝してればよかった……」


虚しい朝の空気が、教室を静かに包み込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編小説:やばい!遅刻! @didi3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ