第32話 罰が当たったのか

「私ね、婚約したんだ」


 それは進路の最終決定が差し迫った、卒業まであと半年ほどの頃だった。学園のピロティスペースで魔術師団の入団試験に向けて特訓の打ち合わせをしていたときに、ラリアから爆弾発言が落とされた。

「え……エリックと……?」

「うん、そうなの。少し前から打診されてて、もう少し先でもいいかな、と思ってたんだけどね。魔術師の登録をするときに、ファーストネームや住所の変更を済ませておかないと二度手間になるって、エリックに言われてなるほど~って。だから式というか、お披露目パーティーは卒業してからになるけど、結婚証明書はそのうち申請に行くの」


「あ……」

 (……あの野郎!)

 

 最近忙しいのかラリアの側にいないことが多くて、清々していたというのに。まさか裏で動き回っていたなんて小賢しい! あの男はラリアの考えや行動を手に取るように理解しているから、他にも尤もらしい理由をつけて結婚にこじつけたのか。いつかの同級生の予想が大当たりしてしまった。


「……学校を作りたいって。子供たちに教える夢はどうするの?」

 まさかの言葉に声が震えてしまう。いくらエリックの執着が凄かろうと、卒業と並行して結婚までこぎつけるなんて思いもよらなかったのだ。結婚をしてラリアが伯爵夫人になってしまったら、ササルタに連れていくことが難しくなる。

「諦めたわけじゃないよ!留学先でも色々勉強になったし」

「だったら……っ!」

 そう言いかけてエリックが急いだ理由が脳裏に浮かんだ。もしかしたら第二王子側が何かアクションを起こしてきたのならば、突然の婚約も納得できる。王子様と婚約が成立してしまえば覆すことは難しいだろうし、こうして気安く話すことすらできなくなるだろう。考えようによっては、寧ろエリックで良かったのかもしれない。

「ケイシー?」

「ラリアはエリックのこと好き?」

「えっ!? そりゃあもちろん好きよ。じゃなきゃ、さすがに結婚を決めないわ」

 ほんのりと頬を染めてはいるものの、想像通りの軽い返答に少しだけ同情してしまったのは、普段からエリックのじっとりとした、うっとおしい愛を見せつけられているからかもしれない。それでもラリアにそう言ってもらえるなんて羨ましすぎるが。

「ずるい。エリックはいつもラリアに一番近いんだもん。僕が先に出会いたかった」

「何言ってるのよ。魔術師団に入団すれば、ケイシーとはこれからもずっと一緒じゃない」

「それは、そうだけど。でも寂しい」

 隣に座るラリアの腕に絡みつく。柔らかな香り同様の優しい気配が大好きだ。そして、そんなラリアが不憫になる。自分のせいじゃないのに、やりたいことすらままならないなんて。

 

「そんな顔しないで。できれば祝って欲しいわ」

 微笑むラリアに胸が苦しくなる。そりゃそうだ。ブンブンと首を振って思考を切り替えた。僕こそラリアにそんな顔させたかったわけじゃない! ……ラリアが幸せならいいんだ。

「おめでとう! エリックを尻に敷いてこき使ってあげてよね!」

「ふふ、ありがとう。ここだけの話、婚約の相談を持ち掛けられたとき、あのエリックがすごく緊張してて挙動不審だったのよ」

「アイツでも緊張することあるんだ? 見てみたかったなぁ~」

 そりゃ、そうか。エリックはそのためにこれまで生きてきたまである。どうせ断られたとしても諦めるわけないし、何通りも他の手を考えているはずだけれど。

「心配しないで。結婚したからってそんなに変わらないわよ。エリックったらその時以外はいつもと変わらない様子だったもの。私のこと大切に思ってくれているのは分かるけど、女として、というより人生のパートナーとして選んでくれたんだと思う。今までもずっと一緒だったから気兼ねしないし。それにエリックが私相手に恋愛感情を抱くなんて考えられないでしょ?」


 はぁ??


 喉まで出かかった声を飲み込んだ。嫌われるのを恐れるあまり親友に徹したエリックの勝利というか敗北というか。これはラリアの鈍感さも相まっているけれど、さすがに不憫になった。が、ざまぁみろとも思う。ラリアに執着の一片でも見せて怖がられればいい。そうすればササルタにも連れて行きやすいから。


「だったら魔術師としても伯爵夫人としても、落ち着いたらまた夢に向けて頑張ろうよ」

「そうね! まだまだ人生はこれからだもの。それまでに子供の魔力に対する教育についても勉強しておくわ。昔、エリックにもこの夢を話したことがあるけど、多分忘れているみたいで。いつもケイシーが気に掛けてくれるの、すごく嬉しいんだから!」

 それは忘れているわけではなくて、忘れさせたいのでは? けれどラリアの言葉にニンマリと口角が上がる。手の届かない所に行ってしまうかもしれないという恐れもあったのだろうし、ラリアを手に入れることばかりにかまけて、彼女の内面を疎かにした罰だ。ならば僕はそこを突いてやる。

「じゃあまずは目先の入団試験、頑張ろうね!」


――そうしてラリアはホルスト伯爵夫人になった。卒業後に行われた結婚のお披露目パーティーでのドレス姿は女神もかくやだった。

 ラリアを見つめるエリックの瞳は溶けそうなくらいに甘いのに、彼女が視線を向けると普通に戻る。長年の癖はなかなか抜けないのかもしれないが、囃し立てられても誓いの場以外ではキス一つしなかった。その姿を見せたくなかった可能性も否定できないが、ラリアにちょっぴり寂しそうな表情をさせたのは苛立ちを覚えた。

 

 男として隣に立ちたい気持ちがなくなったわけじゃないが、彼女の夢を手助けしてあげられるのは自分だけだという優越感のおかげで嫉妬心を覆い隠した。いつか来る日のために。


 結婚してからもエリックは相変わらずだったけれど、ラリアもいつも通りだった。さすがにもっとベタベタするかと思いきや何も変わっていなかった。接触も最低限だし、甘い雰囲気にもならない。間に挟まれて気まずくなりたくないと思っていたのに肩透かしだ。本当に結婚したんだろうかと思うが、ラリアのファミリネームがそれを物語っている。

 だったら案外早く、ラリアはエリックの元を離れることができるかもしれない。そうすればこっちのもんだ。


――それなのにまさか、ラリアがササルタに行くのを断るだなんて。ここ数年の記憶がラリアにないのをいいことに、断ったことをなかったことにして強行突破させようとした罰が当たったのかもしれない。


   * * *

 

 王子様とエリックのせいでお茶会の空気は最悪だけれど、我関せずと美味しいお茶とお菓子を味わっていると、防御魔法の対象者の揺らぎを感じ取った。ラリアだ。どうも様子がおかしい。立ち上がろうとした瞬間、同時に気付いたエリックが手を伸ばした。座ったまま倒れそうだったラリアには防御が効いているからダメージはないが、寸でのところでエリックが抱き留めて安堵の息を漏らす。真っ青な顔で目を瞑っているラリア。あの日のことが蘇った。

 

 ラリアの隊の後方支援である僕は、隊員を庇って倒れた彼女に真っ先にと駆けつけることができた。無意識にもラリアの状態を冷静に確認して、最適かつ最速で治癒魔法を施せた自分を褒めてあげたい。魔獣を仕留め終えたあと、すぐに駆け寄ってきたエリックにラリアを預けると、一気に動悸が激しくなり手が震え出した。今まで何度だって危険な目に遭ったり、怪我人の治療に当たったりしたけれど、あんなに怖い思いをしたのは初めてだ。

 

 それからもラリアは一向に目覚めなかった。見舞いに行けば、さすがに憔悴した様子のエリックから初めて礼を言われた。お陰で最悪の状態にならずにすんだ、と。

「当然でしょ! っていか、ちゃんと食べて寝なさいよ。ラリアは大丈夫なんだから」

と、いつもの調子で返したけど、明らかに無理をしているエリックの様子を心配してしまうくらいには、奴にも絆されている自分に驚いた。

 

 ラリアには超高級で高度な医療スライムが使われて驚いたけれど、エリックならあり得る。時間は掛かるがじっくりと治療するのだろう。それにその間はラリアに誰も寄せ付けずに独り占めできるから。全くあの男は歪んでいる。やっぱりラリアを自由にしてあげなければ。

 第二王子の側近からササルタ行きの件で、ラリアが目覚めたら説得して欲しい。こちらにはそれなりに用意がある、と連絡があったのは、それから少し経ってからだった。


 漸く会えたラリアは学生時代に戻ったようだった。けれどもエリックと世間話をする僕に対する態度に感じた違和感。記憶に問題があると分かるまで時間はかからなかった。伊達に長い間ラリアと一緒に過ごしていない。


 エリックと結婚生活の記憶がないはずのラリアは凄く幸せそうで、エリックが好きだと言わんばかりの表情や態度だったのだ。怪我をする前のラリアよりもずっと。一体これはどういうことなのだろう。もしかしてラリアはエリックと離れて自由になりたくないのだろうか? それを企んだ僕は捨てられる? いや、そんなまさか。でも実際どっちのラリアも渡航する意思はなかったのだから。

 

 焦りにも似た感情でラリアにササルタ行きを迫ってしまった僕のせいだ。それによってエリックと王子が衝突して、またラリアが苦しむなんて。

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