造形(つく)られる、私という他人
白明(ハクメイ)
造形《つく》られる、私という他人
世界は虚構に満ちている。午前二時、
画面に流れるYouTuberの奇行を親指で消し、樹はスマホをベッドに放り投げた。先日SNSには、大金が稼げると発信するインフルエンサーに多額の課金をするも、相手はいつの間にか消え、泣き寝入りをしたと呟くアカウントを目にした。さらに、いつ購入したかもわからない商品が、大量に配送される、いつ購入したかも分からない商品。た、なんてコメントもあった。今日もSNSには誠実な夫(誠実な夫:傍点)に「他に子供がいる」と打ち明けられたサレ妻の罵詈雑言で溢れてが流れている。空っぽになったペットボトルを樹は苦々しく握りつぶした。
電源を入れると、PCを立ち上げデザインソフトを開く。デスクトップPCは、まるで仕事をすることを拒否するかのように排気口から唸り声を上げる。樹の仕事はAIデザイナー。AIを使い画像や動画などのデザインを作成し、対価を得るというもの。ネット上で完結する仕事にもここ数年でどうにか馴染んできたように感じる。
デザイン、文章、絵画、写真や映画さえも今となってはAIを使えば容易に、且つ速やかに製作がされるようになった。もともと文章や絵を書くことに慣れていないとしても、AIを使えば人を惹きつける美麗なものモノが出来上がる。樹もはじめてAIデザインに触れたときには、その精巧さに驚いたものだ。
有名なクリエイター達は、AIに仕事を奪われることはなかったものの、方向性を変える者達も少なくなかった。AI作家、AI画家、AI監督、AIデザイナーなどその職種はさまざまな分野に広がっていった。
「え? AIフードクリエイター? 実際には何をしているの?」
樹は聞き慣れない仕事をしている男に質問を投げかける。
「まあ、今の時代AIを使えばなんでも作れるんだよ。それこそ野菜だって肉だってなんでもござれだよ」
彼の返答を聞くと仕事とは一体なんであるのかと樹は考えさせられてしまう。AIを利用しているのか、支配されているのか曖昧になっている世界。そこでのクリエイターの存在意義はティッシュ一枚程の厚さすらなかった。
樹は、元は服飾デザイナーだった。会社では、デザイン部門を牽引するデザイナー。しかし、自他共に認めるライバルがいた。同じデザイン部門のケイだ。
美しさは真理であり、絶対の正義。美しくないものモノは、その存在すら許せない。そんな言葉にすることも憚られるような容姿至上主義に染まり切ってを心の真ん中にズドンと置き、樹は生きてきた。
この考えのおかげで小さな不格好さえも樹にとっては心の致命傷になる。デザインを依頼された取引先との話し合いでも妥協ができず、問題を起こした。
「でも、このワンピースが一番美しいのは伸縮しないこの素材を使った場合なんです!」
「そうは言ったって金がないんだ。商売なんだからさ。君だってわかっているだろう? これは仕事なんだよ」
樹の美しさ、完璧への執着は、ときに暴走し、融通の利かない取引先にこちらから辞退の連絡を入れるよりも先に三行半を叩きつけられたこともある。
そんな樹にライバルが声をかける。
「あんた、そんなにクソ真面目な性格だから、美味しい契約を落とすのよ」
樹の失敗を笑いながらいじり飛ばす言葉が飛んできた。
「うるさいわね。私はあんたみたいにテキトーじゃないのよ」
じゃれるように樹は言葉の主に文句をいう。同期のケイだ。よく言えば自由。悪く言えばテキトーな性格で、いつも飄々と仕事をしている。見た目も美しく、樹と同じくデザイナー部門の売り上げを牽引している。
「本当にその神経質さ、どうにかしなさいよ。そうしないと、どんどん皺が増えるわよ。不細工はよけいに仕事は取れないわ」
ケイの軽口は、本音かどうか計り知れない。だが、どういう訳だか樹の癪に障る。
「うるさい! あんたこそテキトーに生きていたら、そのうち大きな失敗するじゃないの?」
当時の樹は、ケイに皮肉を返すことだけで精一杯だった。
本心では、ケイのことが樹は嫌いだ。一つ一つの行動が癪に障るので視界にすら入ってもらいたくない。ケイは自分の軸を持ち、やりたいように仕事をし、文句だって誰彼構わず好き勝手にいう。こっちは周りにかなり気を遣っているにも関わらず、ケイはお構いなしだ。まあ、あんなにもテキトーだから、私が嫌っていることさえ気付いていないだろう。
そんな他愛ないやり取りのすぐあと、ケイは辞表を提出した。どうやらやりたいことがあるとのことらしいが最後の挨拶もせずに去っていったため詳細はわからない。最後まで愛想のない嫌な奴だった。
***
美しさは時代によって変化していく。樹はその変化や新しい美に敏感に反応し、心を躍らせていた。季節ごとにネット上に映し出される最新の流行服を見ているだけで時間は、あっという間にすぎてゆくほどだった。
そんな服飾の世界も時代の波に押され変化してゆく。AIデザインの登場である。服飾デザイナー達の多くは、これによりほぼ廃業を余儀なくされた。
「やめさせていただきます」
デザイン部門の専務は樹の言葉に驚きを隠せなかった。
「この会社に将来がなさそうなのでやめさせてもらいます」
「そんなこと言ったって、今、君が抜けてしまったら……」
専務は必死に止めようとしていたが、その手を払いのけるように樹はオフィス部屋を飛び出したす。ケイだって自由に仕事をはじめたんだ。自分にも何がしたいのか分からないだってできないわけがない。これ以外に何かスキルがある訳でもないし、かと言っていきなり独立して稼げる程の自信はなかった。ライバルは多い。それこそケイだって。でも、これ以上あいつの顔を見ながら仕事するのはごめんだった。これからは自由な生き方をするのだ。樹は、家に帰るとすぐに転職先を探すため、PCを立ち上げた。
だが、樹の新しいことへの挑戦意欲、流行好きがここで功を奏す。樹はこの状況下で、前職の業界を苦しめていたAIデザインの世界に飛び込むことを決めたのだ。
AIデザインの領域は広い。ポスターやチラシなど小さな作品も扱うが絵画、映像などへの展開・進展は目まぐるしいものがあった。この進展は、意識せず日常を過ごしていたら決して追いつけないレベルのものだ。これらの変化や新しいものへの適応に、樹は難なく入り込んでいった。
ーこれと、これをかけ合わせれば、新しいものが作れそうねー
樹は、次々にAIの新しい領域を吸収していった。AI領域の仕事では、さまざまなAIを連携させていくことで新しいツールとして進化させることができる。まるでTVゲームの世界のようではないか。新しいスキルとスキルをかけ合わせることで強くなっていく。まるで現実世界でゲームをしているかのような感覚に酔いしれながら、樹はAIスキルを向上させていった。
AIで自身の身体をデザインし、リアルプリンターで一部を製作する。さらに、家庭用AIドクターに製作した身体の置換手術を指示をする。樹はこれまでの学びからAIデザイン整形という新しい美容整形のあり方を生み出したのだ。
過去には病に罹ったり整形をする場合には、医者の元に訪れ長い待ち時間を経てようやくに受診。その後の処置は翌週、または、翌々週へと引き延ばされるものだったらしい。そのために失われた命も少なくなかったとさえ聞く。
しかし、家庭内で外科的処置ができるとなれば、人はさまざまなことを試したくなるものである。それは、美容整形も論外ではなかった。一家に一台のAIドクターがいる生活は人類の平均寿命を延ばしただけでなく、人間の容姿を飛躍的に伸ばすことにも貢献したのだ。家庭で美容整形ができる。誰にも知られず、美しい身体を手に入れることができることは社会を一段と活気づけるものであった。
そんな新しい家庭生活を逆手に取った樹の提案は爆発的な人気を得ることとなった。さらに会社に隷属する働き方から、自宅で自分の自由になる時間でデザインをする働き方を促すなど、AIが発達した世の中らしいワークシフトをももたらした。
樹はAIで自らデザインし、整形・改造した自分の身体を画像、映像として発信していく。それだけでなく、積極的にリアルボディショーの場へと足を運んだ。すると、樹の発信は瞬く間に拡散され、その知名度が上がっていくのだった。樹はリアルショーだけでなく、SNSを活用することを忘れなかった。下火になったとはいえ、SNSの拡散力はそれなりに健在。これらの併用がこの時代にマッチした。我も我もと樹のAIデザイン整形に呼応するように、身体を改造する若者たちが後を絶たなかったのだ。
それだけではない。この取り組みが樹に莫大な収入を運んできたのだ。AI整形を求める者が皆、AIデザインができる訳ではない。当時、AIデザイン整形の教祖のように崇められはじめていた樹へ、注文や相談が殺到していったのは当然のことだろう。
こうして、たった数年で樹の名とAIデザイン整形は世界的に流行していったのである。
***
黄色い花畑の中で満面の笑顔を浮かべるミズキに、樹は何度も手を振る。ツバの長い白い帽子が花畑の黄色に映え、ミズキの美しさを際立てている。
樹はスマホをしまってミズキに別れを告げ、扉を開いてミズキに挨拶する。
「樹、いつも悪いわね……。あなたには世話ばかりをかけて……」
「ミズキさん、そんなこと考えなくていいのよ。私が好きでやってるんだから」
樹はミズキの耳元に口を寄せ、気持ち大きな声で話しかける。
樹がミズキの元に通い出したのは5年前。樹の評判を聞きつけたミズキから右足のオーダーをもらったのだ。ミズキは高齢であるにも拘わらず、独りでひっそりと暮らしていた。そのことを知った樹は、右足のオーダーを受け、そのメンテナンスを名目に定期的にミズキに会いに来ていた。
「今日の食事はミズキさんのお口に合いましたでしょうか?」
樹はベッドに車椅子を近づけ、ミズキと視線の高さを合わせるため少しかがむ。ミズキの大きな瞳の目尻には無数の皺が刻まれている。足だけでなく、この部分にも整形・改造を勧めたのだが、ミズキは決して顔を縦に振ることはなかった。
「このままでいいのよ……。不具合はないもの……。それにこんなお婆ちゃんじゃなくて、若い人のために樹の力は使ってあげて……」
何度言ってもこのように返され、しまいには勧めることさえも樹は諦めた。
「えぇ、今日の肉じゃがもとっても美味しかったわよ。樹、腕を上げたわね」
ミズキの笑顔が樹には痛々しく感じられる。一番推していたアイドルであったにも拘わらず、このように感じてしまう自分が憎らしい。樹はAIデザイン整形をミズキにも受けさせ、その美しさを留めておきたいと思っていた。だが、そうさせてもらえないもどかしさと、悲哀に苦しめられていた。
「ミズキさん、ありがとうございます。じゃあ、ベッドへ運びますね」
そういって、ミズキの肩口に樹は右腕を回し、ふくらはぎに左腕を添える。ミズキの白く細い腕が樹の首元に巻きつけられる。ミズキは随分細く、軽くなってしまった。樹は腕の中にすっぽりと収まり、抱きかかえられるほどの重さになってしまったミズキの瞳を一度見つめたあと、車椅子から抱きかかえる。
この腰骨だってAI整形してしまえば、昔のように自由に歩けるようになるのに。樹はそんなことを考えながら、ミズキをベッドの上へと横たえる。
「今日は少し疲れたわ。思った以上に本を読んでしまったの」
ミズキはベッドに横たわり、腕を胸の前で組んだ。
「それはよかったです。今日はゆっくりとお休みになれそうですね」
樹は静かにミズキに向かって笑みをこぼす。薄い布団をミズキに掛け、ミズキの手を握る。
「じゃあ、おやすみなさい。よい夢を」
樹がそう言うとミズキは瞼を閉じ、静かに寝息を立てはじめた。樹は少しだけ自虐の念に苛まれていた。老いてしまったミズキに対して憐れむような感情を持ってしまった自分が許せなかったからだ。憧れていたミズキが美しさを失い、老いていく。AI整形さえすれば美しく、若さを保つことができるのにと樹は思う。
モニターの中のように。
***
皮肉なことにAIで整形・改造した樹の身体は、生物体にはマッチしないようだった。樹の意志に反して、デザインされた肉体は徐々に崩れはじめていった。
樹は恨めしそうに床に転がる右腕を見て思う。先日、注意喚起と表題された国家健康保険省から通達があった。そこには「AIデザイン整形・改造は生命の維持に対して大きな危険を孕んでいるために独自の判断で行わないように」と記されていたのだ。
もしかしたら人間という生命体にはAI整形は適用可能ではないと医学的に判断されたのではないか。樹の中に少しずつではあるがAIデザイン整形への疑問が生じてくる。だが、そんな小さなことで悩んでいる暇はない。こうしている間にも刻々と時間は流れ、樹の身体は醜く、年老いていく。樹は自分の美しさが徐々に損なわれていくことが許せない。まだまだ、ずっと美しく、若くいたい……。
樹は無駄なことを考えず、自分の身体を整形するために製作し、取り付け指示をAIドクターに出した。
***
樹は、霞ヶ関に来ていた。政府である健康保険省が主催する「AIデザイン整形の危険性に関する」セミナーに参加するためだった。自分のビジネスを国が邪魔しにかかっている。その状況を知る必要があると、ここまでやってきたのだ。虎ノ門ビルの3階に設けられた会場はAIデザイン整形で有名なインフルエンサーなど多くの人が来場していた。そんな中、樹は人ごみの中にケイの姿を見つけたのだ。
「ケイ、ケイでしょ!?」
間違えるはずがない。若干年を重ねているようには感じるが、彼女で間違いはない。
「あら、樹じゃないの。AI整形で随分有名になったそうね。ざまあないわね。樹。手を出した業界に問題があるんじゃ、大変ねぇ。それにその身体、随分いじってみるみたいね。あなたの命は一体どれくらいなのかしら?」
美しいケイは挑戦的に樹を見下ろした。
「その言い方は一体なんなの? それになんであんたがここにいるのよ?」
嫌味な言い方に反論するように樹もケイに強い言葉を返す。
「私はね、政府からAI整形の危険性について、警鐘を鳴らす広告塔になって欲しいって言われているのよ。この意味、あなたにはわかるかしら?」
ケイはイジワルそうに口の端をゆがめる。ケイは樹を憐れむような目で見ながらいう。
「私は身体のどこもAI整形をしたりしていないわ。そして美しい。これからの世界はAI整形なんかに頼らず、自然な美しさで生きるのよ」
ケイはそう言いながら悦に入っている。
樹はたまらずに叫んでいた。
「あんたなんかに私達みたいな、容姿コンプレックスの人のなにがわかるのよ! 昔からあんたのこと、すごく嫌いだったのよ!」
体調が悪いこともあり、思いつくままに叫んでしまった。ここが公共の場であるにも関わらず。ケイはその笑みをより深くする。
「あんたが私のこと、嫌いだってもちろん知っていたわよ。あんたこそ、気付いてなかったの? 私もあなたが、大っ嫌い! まったく、どこまで堅物なのかしら。だから、『美しさ』なんて移ろいやすいものに固執して、AIなんかを使って全身整形するのよ。まあ、もうあなたの身体は長く持たないでしょうけどね」
ケイの一言に樹の全身に粟が立つ。もう、この場に居たくない。樹はビルを飛び出し、家へとタクシーを走らせていた。
***
樹はベッドの中にいた。さっきから体中から粟立ちが止まらない。体調が悪く、感覚さえ低下しているにも拘わらず、肌の違和感をしっかりと感じる。これはケイに嫌われていたことに対する悪寒だろうか。いや、違うように思う。ケイが樹の考えていることを見通していたことに対してだと思う。それだけではない。樹がケイのことをわかっていたと勘違いしていたことまでもケイには見抜かれていたことに対してもだ。そのことを冷静に理解すると、樹は全身からチカラが抜けていくのを感じる。
身体が思うように動かないが、スマホでケイが政府と共催しているセミナーを見る。
スマホに映し出されたケイは美しく、凛とした雰囲気が漂う。
「心の持ちようなのです。外見はあなただけが一番気にしているのです!」
ケイの言葉に樹は驚きを隠せなかった。樹は気だるい身体をベッドから一層引き起こすとスマホを持つ手にチカラを入れ、画面を凝視する。
ケイ、あなたは何を言っているの……? 私の今までやってきたことを否定するつもりなの!?
声にならない独り言を漏らしながら、樹はさらにスマホを強く握りしめる。一時も画面から目が離せない。ケイが言葉を続ける。樹の意志とは関係なく、その言葉が流れ込み、染み込んでくる。
「自分の軸さえ持っていれば、容姿なんて関係ないのです。仕事だって自由に選べばいい。住む場所だって、容姿だってどうだっていいのです。何よりも自分をしっかりと持てばいいのです。それが本当の美しさなのです。外見にこだわった整形・改造はもうやめて、いまから心の整形をしていきましょう! 私はありのままの私が好きです。私とは、私が思う私だとしっかりと理解すればそれが最も美しい姿なのです!」
ケイが話し終えると会場は拍手喝采で包まれた。
樹は目を見張った。ケイの発する言葉に頭を鈍器で殴られるほどの衝撃を受ける。ケイの話す内容は樹のAIデザイン整形を否定するもの。しかし、どこかしら、肚落ちできる考えであることをケイの言葉の中に感じざるを得なかった。
私は、自分の軸を持たず、外見に囚われ、次から次へと身体を取り換えてきた……? 樹は最近アタマの中を巡っていた思考に思い当たる。
「そうよ。いまさら気付いたの? あなたはずっと囚われ続けてきたのよ」
そこには存在しないはずのケイの声が樹のアタマの中に反響する。
***
私はなぜ、外見の美しさを求め続けていたの……?
樹がそう口に出すと、思考がとめどなく押し寄せてきた。今まで「嫌悪」というレッテルを張り、押し殺していた想いが濁流のごとく樹の心をかき乱し、粉砕していった。
ベッドからスマホが滑り落ち、硬質な音が寝室に響く。スマホを掴んでいた樹の左ひじから手にかけてが、剥がれ落ち、床に落ちた。だが、樹は動じない。それはまるで樹の思考の変化に同調して、切り離されているような気さえしたからだ。
混乱しながらも樹は思う。自分が本当に求めていたのは、外見的な美しさや変化ではなく『変わらず、自分らしくあっていいこと』というケイのような精神的な美しさ。今までまったく向き合わず、逃げていたものではないだろうか?と、樹は混乱する頭に沸く考えの中に本当の自分を見たような気がした。
じゃあ、ケイのような自由な生き方が、本当の美しさだっていうの? AI整形で維持していく美しさは、虚構だっていいたいの!?
湧き上がる疑問を自らに問い、更に混乱していく。樹は居ても立ってもいられず、ベッドから転げるように落ち、文字通り右{脛}(すね)が折れるに任せ、泣き崩れた。広い寝室に響く悲しみと鈍い音。それとともに無機質な嫌な音が後を追う。
「もう、終わりよ。樹。あなたは整形を繰り返し、変わっていくことが正義だと思っているみたいだけど、本質的には『変わらないこと』を選んだの。それはただの逃避でしかない」
そこにはいないはずのケイの声が寝室に響く。樹は地面に突っ伏しながら、なおも泣き続ける。
こんなはずではなかった。私は、私自身のことが、まったくわからない……。これまでの私の人生は一体何だったのだろう……?」
背骨が軋み、腰椎が割れる音が体内をとおして全身に響く。激しい痛みが全身を覆うはずだが、樹にはもう感じることは出来なかった。なによりも心が壊れてしまったからだ。
「じゃあね。樹。お大事に。また会いましょう。生きていたらね」
姿の見えないケイの声が樹の遥か上方から響く。
私はなにを追いかけ、何のために変化を、老いることを拒んだのだろう……。
樹の口元からそんな言葉が漏れ出る。変化を、老いることを拒むことはいけなかったのだろうか? そうだとするとこれまでのAIデザイン整形や改造などの行動は全て否定されてしまう。私がここまで生きてきた理念は間違っていたのだろうか……。
突っ伏した身体を支えていた左腕が崩れ、左ひじのみで残った身体を支える。身体の軸をようやく支えていた腰部にはもう力が入らない。樹は、体重を支えきれなくなった左ひじを引き、床に右頬を付け、突っ伏した。
「もう、どこにも力が入らない……」
樹はかすれていく意識の中で、なおも考える。あんなにもこだわって製作し、改造してきた鼻が左からめくれ上がり、床すれすれにその姿を宙に浮かす。
変化することを無理に止めず、あるがままに生きることは美しい。自らの意志をはっきりと持ち、心の美しさを手に入れていれば、外見はどうでもよかった。私はただ、ありのままの自分を認めるのが怖かったんだ……。樹は右目が床にゴロリと転がっていくのを左目で見ながら自分の本心に今さらながらに気付く。
今、考えれば納得がいく。だが、身体は崩壊していく。もう立ち上がることすらできない。もう、身体を改造・交換するなんてできようはずない。崩れ落ちる脾肉。皮膚が爆ぜ、その内側にしまわれていた筋肉も流れ出し、むき出しになった大腿骨の白さが部屋の静けさと今は同調している。
いま樹は、はじめて自分らしく、このままの姿でありたいと感じている。
「この姿こそが、私。そして本当はこのままでよかったんだ……」
微笑んで動かしたであろう唇はそこにはなく、歯列だけが並んでいた。
樹は思う。本当の美しさであることに気が付いた、今ならわかると。代替や移り変わる身体ではなく、心を移り変えていくべきだったと……。
意識が部屋の空気の中に無限に希釈されていく。そんな中、樹はふと思う。
私は、脳をどれだけ改造したのかと。
改造してしまった脳から発生する思考は、果たして改造前の私の思考と同じなのであろうか?
造形(つく)られる、私という他人 白明(ハクメイ) @lynx_hakumei
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