第37話 ダンマス記念日

 俺は探索者ギルドを出るとアンバーの待つアルストツカ洋裁店のある商店街に徒歩で向かいながら、ユニエルショックでぐちゃぐちゃになった頭を冷やしていた。


「ふー、さっきは偉い目にったな。やはり性欲は身を滅ぼすのか……」


 先ほどはここが未来の地球なのではないかとつい勘違いしてしまったが、よくよく考えてみればここは地球とは似ても似つかない異世界だった。

 大陸の形も全然違うし、月のサイズや模様も地球のものとはまるで異なるもんな。


 じゃあなんで言葉や文字が通じるのか。

 それは俺にも分からないが、文字についてはある程度の予想はついている。

 俺の先達と思わしき人物がこの数百年の間に世界中に広めたのだ。



 ここでちょっと解説すると、この世界には大別して四つの文字言語がある。


 一つ、世界最古の言語であるネフライト語。

 ルーン文字っぽい印象のある言語で、魔方陣や魔道具の術式などのプログラミング言語として扱われている。


 二つ、ポゴスタック帝国が広めたスタック語。

 英語っぽい感じの言語で、昔から公用語として使われていた。

 主流から落ちた現在でも補助的に多くの場所で利用されている。


 三つ、天使にルーツを持つムーンライト語。

 俺は見たことがないが、現在は暗号言語として細々と利用されているらしい。


 四つ、東の大国ティアラキングダムが広めたティアラ語。

 日本語と瓜二つなこのティアラ語は、およそ500年ほど前に出版されたとある絵本が原因で世界中に広まり公用語として利用されるようになった。



 このティアラキングダムの初代国王だったミン・ノルという男がめちゃくちゃ怪しいんだよな。

 肖像画を見る限り黒髪黒目黄色人種のヒューマンで、建国史にも子供時代を含めた出身地などの記録が一切残されていない。

 そしてマツヤとかいう牛丼チェーン店を国内に作らせたりしている。

 絶対こいつ日本人だろ。


「おっと、うっかり通り過ぎるところだった」


 考え事をしている間に、俺は商店街の入り口まで辿り着いていた。

 俺は人魚通りと書かれたアーチを潜って少し進むと、アルストツカ洋裁店の扉を開いた。


「アンバー、いる?」

「おおハルト、遅かったのう。待っておったぞ」


 どうやら彼女は既に新しい探索者服に着替えていたようだ。

 前も可愛かったが、今回もまた一段と可愛い衣装だな。

 マーヤさんはいつもいい仕事をする。


 俺がうんうんと頷いていると、怪訝けげんな顔をしたアンバーがこちらに近付いてきてスンスンと俺の匂いを嗅ぎ始めた。


「お主、何か変な匂いがするのう。まさか……」


 彼女の小さなお手手がギューッと握られた。

 ヤバい、三つ折りにされちゃう!

 俺はアンバーの肩に両手を置くと、ガラス玉のように透明な眼差しで語り掛けた。


「アンバーよく聞いておくれ、彼女は彼だったんだ。だから何もなかったんだよ」

「……本当に?」

「頼むから、今度から一緒についてきてくれる? いや本当に」

「わしが苦手じゃと言った理由をよく理解したようじゃの」

「天使って怖いね……」

「そうじゃのう……」


 こうして修羅場は回避された。

 いやー、ガチで危ないところだったぜ。


 俺がほっと胸をでおろしていると、カウンターの上にある蜘蛛の巣からマーヤが挨拶してきた。


「ハルトくん、いらっしゃい」

「挨拶が遅れてすみません、こんにちはマーヤさん」

「いいのよ、私も店を掃除する手間が省けて助かったわ」

「血で汚す前提なのやめてくれませんか」

「ふふ、これがあなたの新しい装備よ」


 マーヤは蜘蛛の糸で上からられていた、ハンガーに掛けられている上下一揃いの服を手に取って俺に差し出した。


 俺は男なのでわざわざ隠れる必要もない。

 その場で服を脱いでパンツ一丁になると、新しい探索者服にそでを通した。


「アンバーどう? 似合ってる?」


 以前の探索者服は汎用的な剣士っぽい感じの装備だったが、今回は見るからに魔法職らしい雰囲気をかもし出していた。


 俺もなんだかんだ言ってこの世界に馴染んできたようだな。

 コスプレしようが欠片も恥ずかしくないぜ。


魔導士ウィザードって感じじゃの」


 魔導士ウィザードって感じらしかった。


「もういいかしら? 二人にこの装備の仕様を説明するわよ」

「仕様ですか?」

「そう、仕様。今回は上級探索者用装備ということで色々と手を加えているのよ」


 俺達はマーヤの腕を信頼していたから、最初に提示された100万メルほどの前金を支払ってそれから先はノータッチだったんだよな。

 この装備にどんな性能があるのか、期待に胸が膨らむぜ。


「アンバーちゃんの服は魔力耐性の高いギリーオームシルクをメインに、防刃性の高いブレイドスパイダーの糸を織り込んでいるわ。これならライトニングエレメンタルの攻撃が直撃しても即死することはないでしょう」


 アンバーは素の生命力が高いからジャイアントに踏み潰されてもへっちゃらだ。

 だから魔力耐性と斬撃耐性を重視したわけだな。


「ハルトくんの装備は防御力を重視してグレイトバグワームの糸をふんだんに使っているわ。ギリーオームシルクは最低限のアクセントだから、魔力耐性に過信はしないで頂戴ちょうだい


 俺は紙耐久のゴブリンステータスだから防御性能が高いのはありがたい。


「どちらも共通して防汚のエンチャントを付与してあるわ。魔力を通せば新品同然に綺麗になるから、それだけは覚えておいてね」


 四層での狩りは泊まり込みになるからその辺りはちょっと気にしていたんだよな。

 これで仕事帰りのクリーニングともおさらばだ。

 高い金を出した甲斐があるというものだ。


「ううむ、これに比べたら以前のわしの装備は紙切れ同然じゃな。やはり防具代をケチるのはよくなかったようじゃのう」

「アンバー、そんなにケチってたの?」

「色々と出費が重なってのう……主にマジックバッグ代とか」


 Aランクのマジックバッグって中古でも1000万メルくらいはするものね。


「一応メンテナンスは必要だから、たまにはうちに顔を出して頂戴ちょうだい。よろしくね」

「うむ、分かったのじゃ」


 マーヤはカウンターをガサガサすると一枚の紙を取り出した。


「あとこれは領収書。前金で足りると思ったんだけど、今回はアンバーちゃんの装備に使う素材を買う時にちょっと足が出ちゃったからその分の支払いをお願いね」

「……うむ」


 アクアペイで残金を支払ってアルストツカ洋裁店を後にした俺達は、大通りに出るとバイクに乗って宿に帰ることにした。


 しばらく大通りを走ると、俺達の乗るバイクは赤信号に捕まった。

 信号が青になるのを待っていたら、アンバーがトントンと俺の肩を叩いた。


「どうしたのアンバー」

「お主、後ろを見てみい」


 俺が振り返ると、後ろには一台の大型バスが止まっていた。

 よく見るとバスの運転席の後ろから、モモちゃんがこちらに手を振っている。


「そういえばそろそろ学生の帰宅の時間だったか」

「せっかくじゃから、今日はモモと一緒に帰るかのう」

「そうだね、そうしよう」


 話しているうちに信号が青になったので先に進む。

 俺は宿の近くのバス停の少し先でバイクを止めると、すぐに装具に収納した。

 二人でバス停に向かうと、丁度モモちゃんがバスから降りるところだった。


「ばいばーい!」

「モモちゃんまたねー!」


 お友達を別れを告げたモモちゃんは俺達と合流した。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、今日はお仕事終わるの早いんだね」

「見よ、わしらの新しい探索者装備じゃ。かっちょええじゃろ?」

「まあまあだね!」

「そうか、まあまあか……」


 6歳児に塩対応されて落ち込むんじゃない。


「モモちゃん、こういう時は嘘でも褒めるものなんだよ」

「でも、嘘つくのは良くないってお母さんが言ってたよ?」

「嘘も方便といってな、誰かの為になる嘘ならついてもいいんだ」

「ふーん、そうなんだ。良く分かんないや」


 こういうのはもっと大人になってから覚えることだしな。

 まあいいだろう。


「モモちゃん、学校は楽しいか?」

「うん!」


 この世界の初等学校は5歳から10歳までの5年制になっている。

 ギルド本部の認可を受けた学校では無償で教育を受けられるので、おおよそ街の半分くらいの家庭は初等学校に通わせているそうだ。


 まあエルフみたいに家庭学習で済ませたり、ゴブリンみたいに軍隊式詰め込み教育で済ませるケースもあるから、その辺りは種族それぞれということなのだろう。

 ちなみにうちのモモちゃんはアクアマリン東第一初等学校に通っている。


 ピンクのランドセルを背負って制服を着たモモちゃんは、道すがら色々と学校の話をしてくれた。

 ほとんどは取り留めのない話だったが、そのうちの一つに気になるものがあった。


「――それでね、明日はダンマスきねんび? っていうので休みなんだって」

「へー、祝日か何かなのかな? アンバーは知ってる?」

「迷宮都市特有の祝日じゃの。ダンジョンマスターの就任を祝う日なんじゃが、探索者のわしらにはあんまり関係がないのう」

「いつでも休める立場だとどうしてもそうなっちゃうよなぁ」


 高ランク探索者は高給取りだから、好きな時に仕事を休んでも支障がないのだ。

 適当にマーブルゴーレムを狩っているだけでも年収ウン百万メルなのである。

 まったく、このままだと堕落だらくしちゃいそうだぜ。


「明日は休みだから、おじさんにどこか遊びに連れてって貰うんだ!」

「それは良かったな、モモちゃん」


 しかし、現実は非常であった。

 宿に帰ったモモちゃんはすぐに親父さんのところに行ってダンマス記念日の話をしたのだが、親父さんからこのような返答が返ってきたのである。


「ダンマス記念日か……。すっかり忘れていたな。明日は朝から大事な仕入れがあるから遊びには連れて行けそうにない。すまんなモモ」

「え……」


 モモちゃんの表情がぐんにゃりと歪んだ。

 あーあ、これは泣いちゃうやつだ。


「うええええええん!!!」


 親父さんは泣きじゃくるモモちゃんを放って仕込みの続きを始めた。

 子供のわがままにいつまでも構っていては仕事にならないからな。

 これもしつけだ、仕方がないのだ。


「のうお主、これではモモが可哀想じゃ。どうにかならんかのう」

「じゃあ、俺達が親父さんの代わりに遊びに連れて行ってあげようか」

「それはいい考えじゃ! どうじゃモモ、明日わしらと一緒に遊びに行かんか?」

「ひっぐ、ひっぐ……いいの?」

「もちろんじゃとも」

「やったー!」


 アンバーの粋な計らいによってモモちゃんは元気を取り戻したのであった。


 さーて、明日はどこに遊びに行こうか。

 もちろんそれは明日のお楽しみである。

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