第29話 ミルハイネ 1

「ミルハイネ……私はミルハイネ」


 見上げる赤髪の少女に問われ、返事をしたが反応がない。


 ――私の声が届いていない?


 首を横に振ろうとするも、首が固まってしまったように動かない。

 仕方なく、上半身を大きく左右へ揺するように振ると――


「ゲイゼルではないのですか?」


 首を縦に振ろうも、やはり動かないので上半身をいくらか前に屈ませる。


「言葉は分かるけれど、喋ることはできない?」


 再び肯定の意を示した。


「なるほど、これは難儀ですね……魔族でさえ喋れるというのに……。少々お待ちくださいますか」


 少女は俯いて考え込む。

 やがて逡巡したのち、彼女は顔を上げた。


「私はアミラと申します。修道女マテルのアミラです。あなたは先程の幻視ヴィジョンが何なのかご存じですか?」


 否定の意を示すとアミラと名乗った少女は――


「やはりですか。私も分からないのですよ。ただ、あなたが私を抱きしめてくれたということは、あの光景を見て辛い思いをされたと思うのです。ですから、きっとあなたはいい人」


 私はその言葉に迷った。自分は善人であろうとしたけれど、結局、間違ってしまった。私は否定の意を示す。


「では加えて謙虚な方なのですね」――ニコリと笑うアミラは、とても聡明そうに見えた。


「――ああ、あと嫌なら離れますが、まだこうしていてもいいですか? この幻視ヴィジョンはとても恐ろしいものばかりなので……」


 私は肯定の意とともに、アミラをぎゅっと抱きしめる。


「優しい人なのですね。私の知っている、あなたと同じ格好をしたゲイゼルという男も、とても優しい人なのですよ」


 恰好? 今の今まで自分の格好なんて気にしていなかったが、鎧を着ていることだけは何となくわかった。思えば、慣れるためもあって11歳を過ぎたころから板金鎧をずっと着ていたような気がする。そして今着ている鎧も、なんだか懐かしいような着心地があった。


「そうですね……ではひとつずつ参りましょう。あなたは先程見た勇者様をご存じですよね。勇者ドバルは有名ですから」


 肯定の意を示す。


「もしかすると、勇者様をよく知っている……例えば親しい人?」


 再び肯定の意を示す。


「やはりそうですよね、無関係な方では無いと思っていました。次は…………赤髪の女性の聖騎士様をご存じですか? 名は確かミルハイネ。聖騎士ミルハイネです」


 私は肯定の意を何度も示す。加えて、自分の胸を右手で叩く。カン――と音が響いた。


「もしかして、あなたは聖騎士ミルハイネですか?」


 再び同じように肯定の意を示した。


「驚きました……。では、前回の幻視ヴィジョンで御自分の過去を見たわけですね」


 私は肯定の意を示す。あれは辛い過去だった……。


「あの時の魔族――カジモドは貴女の心を追い詰めようとしていました。おそらくは……魔王の計画でしょう」


 確かにその声を聞いた。

 私はゆっくりと肯定の意を示す。


「何とかしてあげたかったのですが……おそらくあれは過去の出来事で、もう変えられない事実なのだと感じました」


 その言葉にも大きく肯定の意を示した。アミラも私と同じ想いだったのだ。あの場所に居て、悔しい思いをした。そしてそれが彼女の言うカジモドという魔族の仕業だと言う。確かに後から思えば、あの頃はまるで魔族たちが私を生かさず殺さず、弄んでいるようにも思えた。


「……答えづらい事かもしれませんが……。あの勇者の行い、人としてとてもまともな行いには見えませんでした……。貴女は御存じだったのですか?」


 慌てて否定の意を示した。あんな恐ろしい事、とても考えられなかった。


 ただ、あの光景を見ながらも嫌な予感はしていた……。

 私が殺された時……いや、私が幼馴染を手に掛けた時から何かがおかしいと思っていた。息子はあのことを知っていたのだろう。もきっと知っていたのだろう。幼馴染は…………幼馴染は知っていたのだろうか……。


「もしかすると、最初の不老不死を得たというのも勇者ドバルでしたか?」


 そう、あれもドバルだった。私はしっかと頷く。


「そうですか……。ただ、私には魔王を葬った勇者ドバルが、あのような悪人だったなんて思えない……思いたくないのです……」


 私は彼女に同意しようとして頷きかけたが……思いとどまった。今の私にはドバルが信用しきれなかったからだ。


「私は今、ゲイゼルという男と旅をしています。まあ、彼が勝手について来ているだけなんですけどね。だけど、彼は客人まれびとの神様に誰かを待つように言われたそうなんです。それが私だと言って……」


「――ただ、魔族が葬られるたびに、こうやってその魔族の記憶?――のような幻視ヴィジョンが見えるようになったのです。だからきっと、この幻視ヴィジョンには何か意味があるのだと思うのです」


 すみません、私ばかり話しちゃって――そういってはにかむアミラ。

 私は肯定の代わりにぎゅっと抱きしめておいた。


「聖騎士様、今はどこに居らっしゃるのかわかりません。ですがまた……またこの幻視ヴィジョンの中でお会いできたなら、私に力をお貸しください。恐ろしい光景を目にしたとしても、また私を勇気づけてください……」


 死んだはずの私が、おそらくは今、現実に生きているアミラの前に立つことが許されている。これは罪を犯して死んだ私に、彼女の力になれとの異形の神様の思し召しなのかもしれない……。


 やがて視界が暗くなり、全てが闇に包まれると、再び光が――






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