第28話 鉱紀1619年11月

「勇者様! 寒くて凍えそうです!」


 どこの町だろう。いや、村だろうか。着の身着のままの女たちが、暗く、雪の積もる中を蒼い顔をして集められていた。ガタガタと歯を鳴らしながら、悲痛な訴えを口にしていた。


「私たちを助けてくださるのではないのですか?」

「どこへ向かうのでしょう、もうこれ以上歩けません……」


 訴えの先には、私の夫であったはずの勇者ドバルが、一行の仲間、4人と共に居た。4人の顔にはもちろん見覚えがあった。彼らは荒くれ者のような、品の無い、馴れ馴れしく触れてくる男たち…………。私も含め、勇者一行として組んでいた頃には、女性の仲間はみんな死んだか引退していた。


 ただ彼らにしても、あるとき突然、全員の行方が分からなくなったのだ。その死体は十年後、何故か奇怪なことに魔王を倒した町で磔にされ、干からびていたのを発見された。その時の私は――かつて仲間だったとはいえ――彼らに憐れみなんか微塵も感じなかった……。


 

「ああっ、勇者様! 奴らが! 奴らがすぐそこまで!」


 女性が指差す先には大勢の人影が、夜の闇の中から姿を現したのだ。

 だが、勇者はその場を動こうともしない。


 人影は四方八方の闇の中から姿を現し、彼女たちを取り囲んでいく。

 勇者が灯した灯りの魔法の近くまで寄ると、その人影たちの姿がはっきりと見えた。彼らは皆、その目に生気を宿していなかった。体や衣服はほとんど朽ち果てていた。まるで皆、墓から蘇ったようだった。そこへ――


「ヨクぞこれだけの女を! 魂を集メタ!」


 今まで何も無かった場所に、魔族デオフォルの姿が突然現れたのだ!


「危ない、みんな逃げて!」――私がそう叫んだのに誰ひとり見向きもしなかった。


 女の姿のその魔族は、腰にいくつもの翼を生やし、頭には何匹もの蛇がうねっていた。口が耳まで裂け、不気味な笑顔を湛えていた。


「げっ、なんだありゃ」

「魔族か、やはり奴らの仕業だったか」

「たったの一匹じゃないか。勇者様、周りの雑魚もまとめてさっさとやっちまいましょうよ。寒くてかなわねえ」


 勇者ドバルは魔剣ヴェンギルを抜いた。それは撫で斬るだけで敵を灰燼かいじんす、恐ろしい魔剣だった。ドバルはどこからともなく手に入れたあの魔剣を使って、魔族を次々と葬ったのだ。ただ、魔王だけはヴェンギルが効かなかった。


 勇者ドバルはヴェンギルをひと振りした。


「え…………」


 その魔剣の切っ先が、彼の仲間の戦士を掠めたのだ。

 ドサッ――と、たったそれだけで戦士だった男は塵へと帰りながら地面に倒れ、鎧ごと崩れ去った。髭を蓄えた強面のその戦士は、常にいやらしい目を私の身体に向け、舌なめずりするような男だった。


 キャアア!――絹を裂いたような悲鳴が女たちから沸き上がった。


「悪い悪い、当たってしまった」


「つい……って、勇者様……冗談にもなりませんよ、これ……」


 仲間の聖堂騎士が顔を引きつらせる。女のような顔のこの優男は、聖堂に仕える身でありながら、こそこそと私の部屋や荷物を漁るような男だった。そして何食わぬ顔で清廉を説くのだ。


 ダッ――と剣士の男が加速アクセラレートでその場を逃げ出した。も逃げようとする私をその力で執拗に、弄ぶように追い詰め、先回りした。嫌な男だった。


 ただ、剣士の逃げる先には勇者が回り込んでいた。何をどうやったのかわからない。剣士の男が動く前に先を読んだように回り込み、その勢いのまま剣士は塵へと帰った。ヴェンギルに撫でられたのだ。


 詠唱が聞こえた。魔術の詠唱だろう。それは仲間の魔術師から発せられた。普段から何を考えているのかよくわからないこの魔術師は、私を魔術で動けなくさせた。恐ろしかった。何も抵抗できずに衣服を剥がれるのが情けなくて、悲しくて、あの時は失くしてしまったペンダントにさえすがれなかった。


塵と化ディスインテグ……」


 詠唱が終わるその瞬間、魔術師はヴェンギルに貫かれていた。その身体は勢いで宙に霧散した。

 あのとき助けてくれたのもそう、勇者ドバルだった。だけどこれは――



「勇者様…………なぜこのような…………」


 ガタガタと震え、すくむ聖堂騎士。


「お前たちはオレの妻となる女に手を掛けようとしたではないか……」


「それは、だって、あなたの――」


 ズバッ――ヴェンギルは男の口を裂き、体ごと塵へと帰した。


 彼らが死んで、胸がすく思いなどしなかった――と言えば嘘になるだろう。私のわだかりを晴らしてくれたのが、実はドバルだったと知って、昔なら嬉しく思ったかもしれない。だけど今は彼に対してある疑念が生じていた。



「こわや、こわや。まっこと、人の欲とは恐ロシい。幾重モノ豪腕の祝福を得、豪運を、そして予知を得、ソレだけの力を持ちながらマダ欲するのか」


 何故かその様子を黙って眺めていた魔族は、ドバルへと話しかけた。


「ようやく想いが叶ったと思ったのに……幼馴染を朝まで抱いて悦ばせてやろうと思ったのに……勇者なんて言ってもただの人に変わりなかったからな」


 幼馴染……私の事だろう。昔からずっと好きだったと告白された。


「よかろう。約束は果たされた。これで儂も眷属を増やすことができる。お前に淫魔アルダトの力を与えてやろう。強壮さと、溢れる性欲を……」


 その魔族は赤く輝く球をドバルへ向けて押し出した。

 ドバルはそれを歪んだ微笑みを以て受け入れた…………。


「ああ……、わかるぞ。力がみなぎってくるのが! 身体が火照ほてって仕方がない!」


「ナラばその女共を温めてやルガよい! 淫魔アルダトの力を与え、我が眷属とすルノだ!」


 私は目の前のあまりの光景に声にならない悲鳴を上げた。

 冷たい雪の上にも拘らず、ドバルは次々と女を襲い、襲われた女はガクガクと震えたかと思うと口が裂け、髪の毛が蛇のように変貌していった。逃げだす女たちは周りの死人のような群衆に捕らえられ、ドバルの前へと差し出された。


 抑えても抑えても、嗚咽が止まらなかった。その場に屈みこむこともできなかった。動かない身体が、私にその光景をただひたすらに目に焼き付け続けたのだ。



 いっそこのまま消えてしまいたいと思った頃に――


「ゲイゼル、助けて……」


 鈴のような声が間近で響いた。


 身体へと感じた温かさに俯くと、そこには赤い髪の少女が抱きついてきていた。

 最初、そこには昔の自分が居るのかと思った。だけどありえない。私は10歳の頃、激しい身体の痛みと共に、急速に大人へと成長したのだ。祝福の力がそうさせたのだと教わったが、私にはこの子のような可憐な少女時代が無かった。


 手が動き、その子を抱きしめる。

 すると、以前の記憶が蘇った。前の時も、その前の時もこうして彼女を抱きしめた覚えがあった。辛くて泣きそうなときに彼女が抱きしめてくれたのだ。


 ようやく、落ち着いてきたときには周囲の光景が一変していた。

 真っ白い、何もない場所に居た。


「ゲイゼル? あなたはゲイゼルなのですよね?」


 赤髪の少女が問いかけてきた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る