第4話 鉄塊の男

 病人と呼ばれていたのは嘘ばかり――というわけでもなかったのだ。死人だけかと思われていた中に、まだ命のある者が居た。アルルーナの力は死体だけに力を及ぼすわけではない。人の形をしていれば鎧でも人形ひとがたと成すことができるからだ。そして重いのは当然だった。中の人間が抵抗していれば動きは妨げられる。


止まれストースヴァ!」


 死に瀕しているとは言え、まだ生きているこの者にこれ以上の苦痛を与えるわけにはいかなかった。幸い、ユリアの鎖は外せたようだ。彼女がキミニたちの傍に駆け寄るのが視界の端に見えた。


「――ユリアたちは逃げて! セナト=ロクウィムの修道会へ助けを求めなさい!」


 私はルーク卿に向き直る。


「――私は降参します。だから彼女たちを見逃して、この鎧の人を治療させてください」


 黒妖犬ブラックドッグどもが噛みついているが、鎧の人はびくともしていなかった。


「いい心がけだ!…………だがな。これだけの騒ぎを起こしておいて、見逃せだと? 虫が良すぎるのではないか!?」


 そう言いながら足早に歩み寄り、固く握りしめた鉄の拳を振り上げるルーク卿。

 私は覚悟を決め、直立して歯を食いしばり、目を瞑った。





 ……しかし、痛みを覚悟したはずが、いつまで経っても衝撃が襲って来ない。

 恐る恐る片目を開けると、目の前には震える鉄の拳があった。


「き、貴様…………」


 目の前の拳は、別の鉄の拳によって手首を掴まれ、止められていた。


「なんで!? 動かしてないのに」


 確かに私はこの鎧の人形ひとがたに動きを止めるように命令したはず。それなのにその出鱈目な鉄塊のような男は、死に瀕しているにも拘らずルーク卿の腕を止めたのだ。


 ルーク卿も驚きを隠せず、目を見張って睨みつけ、腕を動かそうとしていたが、腕は水平に捕らえられたままぴくりとも動かなかった。さらには構わず、鉄塊の男はそのままの体勢でルーク卿を投げ飛ばした!


「ギャアアアッ!」


 見ただけで分かる、余りある膂力りょりょくをもって強引に投げ飛ばされたため、ブキッ――と関節の外れるような音が聞こえたのだ。ルーク卿は泥にまみれ、のたうち回っていた。兵士たちは、門番までやってきていたため増えてはいたが、ルーク卿を助ける者は誰ひとり居なかった。さらには――


 ギャン!――と、1匹の黒妖犬ブラックドッグが放り投げられ地面に打ち付けられた。加えて鉄塊の男は噛みついてきた別の黒妖犬ブラックドッグの首に手を掛け、握りつぶそうとしていた。じたばたと足掻き、蹴りつけるも鉄塊の男は動じず、やがて白い泡を吹いた黒妖犬ブラックドッグは足元に捨てられた。


 残った2匹の黒妖犬ブラックドッグは距離を置きながら、まるで炎の舌を伸ばすかのように火を吐いてきた。


 ボッ!――と青白い炎に包まれる鉄塊の男!


「無茶をしないで! 死んでしまいますよ!」


 ――が、言葉とは裏腹に、私は鉄塊の男がその程度でくたばるはずがないとなかば確信していた。彼の動きは既に病人のそれではない。村人でもない。こんな村人が居てたまるか。怪物か…………或いは神より『祝福』を受けた者ではないかと思い始めた。


 鉄塊の男は炎などものともせず、ゆっくりと歩みを進める。しかし頑丈な篭手ガントレット以外は武器らしい武器を持たない鉄塊の男は、間合いを取りつつ火を吐く黒妖犬ブラックドッグに手こずっていた。


「ユリア、逃げなさい!」

「ですが修道女様マテルは!」


「貴女が留まってもできることはない! 子らのことを考えるのです!」

「お姉ちゃん!」


「キミニ、パパは必ず連れ帰ってあげます。今はママの言うことを聞いてください」

「お姉ちゃっ……」


 キミニはユリアに抱え上げられ、ようやく三人は広場を後にする。念のために人形ひとがたに守らせたが兵士たちが追う様子はない。

 鉄塊の男はというと……



 ――何があった!? ほんの僅かの間、目を逸らしていただけなのに……。


 鉄塊の男の前には首を刎ねられた黒妖犬ブラックドッグの死体が二つ、転がっていた。鋭利な刃物で刎ねられたかのように切断され、その鮮血は鉄塊の男を中心に二つの軌跡を描いて黒い土の上に散っていたが……しかし、鉄塊の男が武器を手にした様子はなかった。



 ◇◇◇◇◇



「あなた……。体は大丈夫なのですか? 疫病プレイグの影響が……」


 鉄塊の男は呼吸を荒げた様子も無く、ただただ静かにたたずんでいた。最初に見た時のように、まるで立ち往生した死人かのようにそこに在った。


 近寄るとゆっくりとこちらに振り向く鉄塊の男。

 先ほどまで泥にまみれ、錆の塊かのように思われていた鉄塊は、青白い炎に洗われたためか、今や夜の闇のような青みを帯びた鎧へと変わっていた。


 ヘルムはよく見るような丸く成形された閉式兜アーメットではなく、カマイルが広く、肩へと繋がっていて山のようにも見える兜だった。その兜の下半分に格子状の面頬ヴァイザーが付いていた。格子の奥までは観通せなかったが、こちらに目を向けているのは明白だった。


「待っデいた……」


「え?」


 ゆっくりと右腕をこちらへ伸ばす男。

 動いているところをよく見ると、その腕鎧ヴァンブレイスはでたらめに着重ねているのではないことが分かる。複雑な分割線で一分の隙間なく板金が重ねられ、おまけにその関節は見惚れるほどに滑らかに動いていた。そして何よりも特徴的なのは肩の鎧だ。肩から背中までぐるりと繋がる板金の成す山が、甲虫かぶとむしを思わせる重厚さと、彼を鉄の塊に見紛わせる事由となっていた。


 私は伸ばされた彼の手に触れようと、右手を伸ばした。が――


 ガッ――と伸ばした右腕を恐ろしい力で乱暴に引っ張られ、ふわりと身体が浮いた。


 私はとにかくあの男のように腕を折られないようにと、左手も使ってしっかりと鉄塊の男の右腕に組み付いた。振り回され、男の周りを半周以上して、ようやく地面に足がついたと思うと、勢いでたたらを踏む。


 何事かと文句のひとつも言ってやろうかと思ったが、私は息を飲んだ……。


「なに……あれは…………」


 突然、鼻を衝く異臭がたちこめ、ルーク卿…………いや、そのルーク卿であったであろうモノは、人ならざる姿へと変貌していた。






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