第5話

旅人は、いつの間にかその顔に余裕の笑みを取り戻していた。

その顔に薄ら気味の悪いものを覚えたアルトは、万が一の事態に備えて常にレーダの位置を把握するように努める。


レーダとロランという男の戦いはほとんど互角のようで、レーダの顔や服には薄い切り傷があるがそれはロランも同じ事。

互いに攻め手に欠いているといった様子だ。

しかし、持久戦となるとやはり分が悪いのはレーダだろう。

アルトが横目に見た限りでは、レーダの呼吸は先程の戦いもあってか既に荒々しくなっているのに対して、男の顔に疲れは見られない。

というよりも、男の表情筋は死んでいるのではと思う程度には、先程からまともに機能している様子がない。


旅人はアルトに、囁くような声で忠告した。


「悪いが、身構えていてくれないかい。さもないと、殺してしまうかもしれないから」


ぞわりと、背筋が冷えるものを感じたアルトは咄嗟に、本能的に距離をとる。


(しまった。せっかく一方的に攻撃出来ていたのに)

「素直でいい子だね君は。大丈夫、そう心配することは無い。たしかに死んでしまうかもしれないが、可能性は低いから」


そう言うと旅人は、人差し指でアルトを指差した。

男の指には、小さな緑色の宝石嵌められた指輪リングがある。

そして、緑色の宝石が、妖しい光を発し始める。


(光の反射…?いや違うな。あれ自体が発光しているんだ)


アルトは迷った。

あくまでも攻めるべきかそれとも、距離を置くべきか。

アルトを指差す旅人の姿は、まるで無防備だ。

普段ならば近付いての攻撃一択だが、緑色の宝石の存在が気になる。

もしかしたら、敢えて無防備な姿を晒してのカウンター狙いかもしれない。


(……ダメだ分からない)


宝石が余りにも未知数で、アルトにはありとあらゆる可能性が考えられた。

そしてその困惑は、宝石の持ち主の旅人と、その従者らしきロラン以外の全員が抱いている共通のものだった。


レーダもまた、緑に輝く宝石の存在は気になるが、ロランはそれを気にしていて勝てるような相手では無かった。

出来るだけ頭の片隅に宝石の存在を追いやって、ロランの相手に集中する。


そして、その宝石の正体への推測を立てられたのが1人。


「アルトッ!離れろ!」


ドルドは推測に辿り着くと同時に叫んだ。

しかし――。


「それじゃあ遅いよ」


旅人の囁きは、距離があるというのに驚く程鮮明にアルトの耳に届き――。

そして次の瞬間、暴風が吹いた。


まるで、大蛇か龍かが一瞬で場を通り過ぎて行ったかのような現象。

辺りには砂煙が立ち込め、一直線上に吹いた暴風跡では、大きく地面が抉り削られている。


「アル!」


レーダは目の前のロランの存在をあっという間に脳の隅に追いやり、アルトの名前を呼んだ。

そしてロランはその隙を逃すような男でもなく、レーダの剣をはじき飛ばした。


「動くな。動くと殺す」


命を奪われないよう、両手をあげて降参の意を示しながら、レーダは砂煙の方を見た。

暴風が直撃していないはずの盗賊団の仲間達が、その余波だけで大きく吹き飛ばされて、痛みに呻いている。

それどころか、周囲の木が幾つか折れてさえもいる。


余りにも強過ぎる。

生まれて初めて出会った圧倒的な暴力を前に、レーダは何も出来ないでいた。

砂煙の中にいるはずのアルトを探しに行くことさえも。


「弟くんが心配かい?」


旅人はレーダに聞いた。


「当たり前だろ!」

「そうか、当たり前か。そうだな、当たり前だ。弟の心配をするのは当たり前だな。失敬、変な事を聞いてしまった。――まあ彼なら大丈夫だろう。なにせ彼は、今まで出会った中でもかなり強い戦士だ」


そんな旅人の言葉も、レーダには気休め程度の安心にさえならない。


そして、旅人はドルドに向き直った。

旅人を見るドルドの表情は、畏れに染まっている。

これならば、交渉を受け付けて貰えるだろうか。旅人がそう考えた時だった。


砂煙の中から、飛び出してくる影が1つ。

その影はレーダの元へ駆けて、ロランに攻撃を仕掛ける。

予想だにしない攻撃にロランも反応が大きく遅れ、先程のレーダの様に剣を弾き飛ばされた。

武器が無くては戦えない。ロランは咄嗟に後ろに大きく下がり、長剣とはまた別に持っていた短剣を抜く。


旅人はロランを制止する。


「待てロラン、落ち着け。――無事だったんだね、君」


そう言う旅人の顔は強ばっている様で、同時に今までの物とは違う、本当の意味での笑みが浮かんでいるようにも見える。


飛び出して来た影――アルトは答えた。


「ええ。何故か無事でした」


その答えを聞いて、旅人は小さく笑った。

そして次第にその笑いは大きくなり、それは盗賊団の全員を不気味がらせる。


「ロラン。もしかしてこれ、壊れたかな」


旅人は指輪を指して言った。


「私には判断がつきません」

「つかなくていいんだよ。私自身も全くついていない。ただ、君の考えを聞きたいんだ」

「…おそらく、壊れてはいないかと」


ロランは、一直線に抉り削られた道を見た。


「そうだろうね。私もそう思う。が、一応壊れていないか試しておいた方がいいかもしれない」


その言葉を聞いてアルトは身構えた。

あの暴風の正体が何かは分からないが、次は暴風が放たれる前に近付こうとしたのだ。


旅人は、人差し指で指差した――ドルドを。

そして言った。


「さて、盗賊団の長よ。これ以上の争いは、不毛だと私は思うのだけれど、キミはどう思う」


アルトが乱入して来た時のような、援軍はもう望めない。

ドルドは観念して、敗北を認める。


「分かった、負けだ。アルト、レーダ、剣を仕舞え。お前らもだ。全員、武器をしまえ。しまって、怪我した仲間を助けろ。……それで、交渉っていうのはなんだ」

「ふむ。まあそう焦る様なものでも無いし、盗賊団の根城でゆっくりと、腰を据えて話したいね。それに、優先されるべきは怪我人だ」

「悪いな。そう言ってもらえるとありがてえ」


旅人とドルドが話す様子を見て、レーダは地べたに座り込みながら、小さく笑った。


「姉さん?」


何が面白いのか分からないアルトにレーダは答える。


「見てみろよあの親父。負けたのに、頑張って虚勢はろうとしてんだぜ」


レーダはそういうが、その辺の機微はアルトには分からなかった。

ただ先程から、ロランという男がチラチラと自分を見て来ているのだけは、酷く気になっている。

ただ、こちらが敗者である以上は何も言えない。

アルトは出来るだけ視線を気にしないようにした。


アルトもまた、レーダと同じように戦いの疲労で余り動けないでいる。

だからアルトは、口笛を吹いて愛馬を呼んだ。

少し待つと森の中から、サンドラッドと、それに連れられギュルネッツが現れる。


「姉さん、乗れる?」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんをバカにすんな」


勝者である旅人の意向もあって、既に少なくない数が拠点に向かっている。

レーダはドルドに言った。


「親父。私らも戻らせてもらうわ」

「ああ、先に行ってろ。どうせすぐに俺達も向かう」


早速馬を進ませようとしたその時、旅人がアルトを引き止める。


「ああ君、そう君だ。別れる前に聞きたいんだが君、名前は?」

「…アルトです」

「そうか。アルトか。いい名前だ。優れた戦士には十分な名前だな。私の名前はレーン。レーン・レネルジークだ。また後で会おう」

「は、はい」


よく分からない独特な流れに流されるがままに、アルトは思わず頷いてしまった。

そして、とりあえずと馬を拠点に向かわせる。


帰路の道中、レーダは気がかりでもあるような顔で呟いた。


「レネルジーク……まさかな。有り得ない」

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