第2話
「夢か……」
(……悪夢だな)
木々の隙間から見える、程よく雲混じりの空を見上げて、アルトは呟いた。
やる事もやりたいことも無く、暇を持て余し仲間から離れ1人で昼寝をしていたアルトは、2年前の嫌な記憶を夢に見た。
初めて人を殺した時の記憶。
もう2年も昔の出来事だというのに、風化すること無く記憶が脳にこびりついている。
まるでつい先日に起きた出来事であるかのように、当時の出来事をアルトは鮮明に思い出せる。
特に、人を貫いた時の感触を。
(動物とはそんなに変わらないのに、全く違った感触……)
肉の質感で言えば、近しい質感を持った獣は幾らかいた。
中にはあの男のように、自分や家族の命のためにアルトに立ち向かってくる獣もいた。
しかしそれでも獣と人間では、殺した時の感覚に大きな違いがあった。
アルトは腰に携帯した剣の柄を握る。
この剣は、初めて人を殺した時に使用した剣と同じもの。
忌々しく感じているが、アルトは未だに手放す事が出来ないでいる。
ふと、アルトは空を見上げた。
太陽がちょうど頭上にのぼっている。正午だ。
腹も少し空いている。
「昼飯、食べに戻るか……」
アルトは口笛を吹く。
すると、森の草木を掻き分けて馬が歩いてくる。
アルトの愛馬、サンドラッドだ。
「その辺の草でも食べてたのか?」
アルトは馬に問いかけるが、馬は何か答える素振りも見せず、ただ頭を下げて跨るように促した。
サンドラッドは特に感情表現の薄い馬で、アルトの言う事を理解しているのか理解していないのかすら、悟らせない。
ただ、かなり利口な馬だから全く理解していないことも無いだろうとアルトは思っている。
アルトはサンドラッドに跨って、進むように促した。
目的地はここからそう距離も離れていないそれなりな大きさの洞窟。
今の盗賊団の根城だ。
―◇―◇―◇―◇―◇―
こういう表現はおかしいかもしれないが、今の盗賊団の経営状況は、決して余裕のあるものでは無い。
というのも、もう間もなくこの地には、冬が訪れる。
冬になると、盗賊団の稼ぎは大きく落ちる。
かなり大所帯の盗賊団だ。赤字になる事も、冬の間は珍しい事じゃない。
そして、これから数ヶ月と始まる冬の季節に対して、盗賊団の蓄えは例年よりも少ない。
つまり今の盗賊団には、仕事を選んでいる余裕が無いということだ。
だから今も、盗賊団は大勢を動かして、たった1人の人間を囲んでいる。
(いつからだ。こんなチンケな仕事すら、やらない選択肢が消えちまったのは)
身長は軽く200cmを超えるであろう大男にして盗賊団の長、ドルドは盗賊団に囲まれる哀れな1人の旅人を見ながら、そう考えた。
旅人は多くの盗賊に囲まれながらもフードを被り、その表情を全く悟らせない。
ドルドは団員を押しのけて、旅人に話しかける。
「下手な気は起こすんじゃねえぞ。命までは取るつもりはねえからな」
少しでも多くの蓄えが欲しい今、ドルドは叶う事なら旅人を生け捕りにしたかった。
身ぐるみを剥がせるだけ剥がして、奴隷商に売るのだ。
普段なら、奴隷として売るというのもそれなりの手間だからさっさと殺してしまうのだが、今回ばかりは特別なのだ。
(貧乏暇なしってな。情けねぇ)
ドルドの言葉に対し、旅人は全くのノーリアクションだ。
状況の理解が追いつかないのか、何か別の事でも考えているのか。
どちらにせよ、相手に合わせる理由はドルドには無い。
ドルドは背中に担いでいた、巨大な両刃斧を掴んで旅人に向ける。
「何とか言ったらどうだ」
両刃斧を向けられ、ようやく旅人はフードを外す。
フードの下から現れたのは、ここらでは見ない珍しい容姿だった。
如何にも高貴な身分らしい、鮮やかな
それらを兼ね備える顔の造形も、かなりレベルが高いものだ。
女受けのしそうな顔だが、ここまで雰囲気があるとなると、思わずドルドも息を呑んだ。
素顔を表した旅人は口を開く。
「キミが、この盗賊団の主かい?」
突然の問いに驚いたドルドは、数瞬の時を置いて答える。
「……そうだが、だったらなんだってんだ」
「なに。交渉の席を設けてもらおうかと思ってね」
「交渉?そんなもの、こっちが受け付けるとでも」
「そうだと有難いね。話が早くて」
旅人はまるで、今の危機的状況を全く理解していないかの様子でドルドに言葉を投げる。
肝が据わっているのか、それともただの狂人か。
どちらにせよ、わざわざ相手にする意味はドルドには無い。
「悪いが、交渉は受け付けてねえんだ。お前ら、死なさねえ程度にこいつを気絶させろ。顔は殴んじゃねえぞ!」
ドルドは早々に旅人との会話を打ち切り、両刃斧を下げて部下に襲撃を命じた。
そして、ドルドの命令を待っていましたとでも言わんばかりの様子で、命令とほぼ同時に飛び出したのが3人。
その3人は、団内でも血の気が多いと評判だが、それでも長い盗賊稼業の中で生き延びているだけあって実力も相応だ。
とはいえ血の気が多い分、連携という言葉を無視しやすくもあるのだが――。
「こんなもんかな。それで、あと何人倒したら交渉に乗ってくれるんだい」
旅人の足元には、血の気が多い3人が横たわっている。
死んではいない。全員、気絶させられているだけだ。
ドルドは部下の手前、出来るだけ動揺を顔にて出さないようにするが――。
(有り得ねぇ。あいつらを一瞬でのしちまいやがった……!!)
驚きの感情そのものは抑えることが出来ない。
一瞬の出来事だった。
3人が旅人に襲いかかるや否や、旅人は鞘から半分だけ剣を抜いた。
そして、半身の剣で1人の攻撃を防ぎ、そのままうつ伏せに転ぶ様に足をかけた。
バランスを崩し倒れようとした1人に対して、残りの2人はそのまま剣を振ることに躊躇いを覚えた。
そのまま勢いに任せて振ればその1人に対して攻撃が当たりかねないが、血の気が多いからと言って同士討ちに抵抗がない訳では無いのだ。
そして、そんな僅かな隙すら見逃さず旅人は、2人に対してまた足払いをしかけた。
2人はバランスを崩すことさえ無かったが 、崩しかけはしたため、旅人はそこを鞘にしまい直した剣で思い切り殴り地面に叩きつけた。
そして、最初に転ばせた1人に対しては、トドメとでも言わんばかりに、顔を鞘で殴打した。
これで3人、全員は気絶してしまったのだ。
(肝が据わってるとは思ったが、実力も相応にありやがったか)
今の光景を見せられて、一対一で旅人に勝てると思うほど、ドルドは愚かな男では無い。
体格の差なんてものは、容易に覆してくるだけの実力派が互いの間にはある事くらいは分かるのだ。
また、盗賊団の面々も今の光景を見て、腰が引けてしまっている。
その証拠に、血気にはやった3人に続こうとする者が現れない。
僅かな沈黙が場を支配する。
旅人の妖しい紫の瞳が、真っ直ぐとドルドをとらえてくる。
「もしかして、交渉を受けてくれる気になったかな」
旅人は、まるで盗賊団を脅してみせるように、わざとらしく大袈裟に剣を抜いた。
剣も業物だと、ひと目でわかる良品だ。
場の空気が完全に旅人に支配され、ドルドも数的優位にありながら交渉を受けるべきかと考え始めた頃。
盗賊団側から、沈黙を打ち破る者が現れた。
「まったく、親父もあんた達も情けないね!たかが1人に何をしてやられてんだい」
と、レーダが団員を掻き分けて旅人の前に立つ。
レーダは既に剣を構えている。
「親父。誰もやらないんなら私がやるけど、それでいいね!」
「お、おぉ」
レーダの迫力に押され、思わずドルドは頷いた。
「キミ、盗賊団の首領の娘さんかい」
「そうだよ」
「それなら話は早い。どうかキミから父親に伝えてくれないかい。私との交渉を受けるようにと」
「そいつはっ、無理な相談だねっ!」
レーダは大地を蹴り、旅人に斬りかかった。
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