そうして彼は勇者になる
綾成望
第1話
「動くな。動かなければ、殺さない」
か細く揺れる蝋燭の火が、名も知らぬ一家とルッツ、そしてアルトの姿を照らす。
ここはとある街の名も知らぬ一家の家で、アルトとルッツは突然の来訪者にして、襲撃者。
今現在、夜闇に乗じて街を襲っている盗賊団の一員だった。
今、盗賊団の手によって、街の至る所では老若男女を問わず多くの血が流されている。
その事実を示す多くの悲鳴がアルトの耳にも届き、悲鳴を聞いて怯える幼い子供をその母が抱き抱えている。
一家の稼ぎ頭とでも言うべき父は、そんな子供と母の上に覆い被さる様に立ちながら、アルトとルッツを睨みつけている。
ルッツが言った。
「なあアルト、お前ちょっと甘いんじゃねえの。とっとと殺しちまった方が後が楽だぜ」
「ルッツさんは黙っててください」
怒気混じりのアルトの返答に対し、ルッツは僅かに肩を竦め呆れるような表情を見せた。
アルトの心は今、矛盾に苦しんでいる。
あくまでも健全な、幼い子とその両親という平凡な一家。
いったいなぜ、そんな一家がこんな酷い目に合わなければならないのか。
加害者であるアルトが考えることでは無いが、アルトはそう考えずにはいられない。
とはいえ、アルトにもアルトなりの事情がある。
行動が甘いアルトの代わりにルッツは、自分達を睨みつけてくる一家の父に、要求する事にした。
「そこのお前……そう、お前だ。お前、ガキと女と、ついでに自分の命が惜しいなら、金目のもんを寄越しな。家中の金目のもん集めてこい。……早くしろ!」
「は、はい」
そして、ルッツはアルトに視線で意志を伝えた。
男が何か不審な行動をした時、男は俺が殺すから、人質はお前に任せた……と。
流石にこの要求にはアルトも何も言い返す事は出来ず、そうはならない事を願いながら頷いた。
アルトの心に重圧となったルッツの要求も、これはルッツなりのアルトに対する気遣いだった。
アルトやルッツのいる盗賊団は、名称こそ盗賊団ではあるが、より正確に言うのなら略奪を専門とする遊牧民だ。
構成員は戦える男に限らず、女や子供も決して少なくない。
そしてある程度大きくなった男児は、次第に略奪の仕事に参加させられるようになる。
そして今回の街の襲撃は、13歳になったばかりのアルトにとっての初仕事だった。
(ま、アルトにも少しは手柄をたてさせてやんねえとな)
盗賊団内でのアルトの立ち位置は、不安定なものだ。
そしてアルト自身もそれを知りながら、自ら積極的に立ち位置を変えていこうとする様子を見せないでいる。
その上でルッツは、アルトも手柄をたてることが出来たのなら、団内での立場も安定するのではと考えたのだ。
もっとも、アルトとルッツは普段からそんなに話すような間柄でもない。
ルッツは、アルトに歳上としての優しさを向けながらも、それがアルトへの重圧となっている事には全く気付いていなかった。
一家の父が、アルトとルッツに背を向けながら箪笥の中の物を漁っている。
このまま何事も無く上手く行けば、誰も殺さないで済む。
だからアルトは、抵抗が無いことを祈っていた。
そして、突如世界が暗闇に包まれた。
「なんだ!?」
ルッツの驚く声が聞こえる。
それでこの暗闇は、自身のみに訪れた出来事では無いとアルトは判断した。
では、これはいったいなんだというのか。
その時だった。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」
どこか気が抜ける、少し情けなさを感じる声。
しかし同時に、その声からは強い信念のようなものが感じられる。
アルトは名も知らぬ、一家の父としか形容する事の出来ないあの男。
そして次の瞬間、短い悲鳴がアルトの耳に届いた。
嫌な汗が体を流れる。
何があったのか、想像は出来るが頭が理解を拒んでいる。
時間が酷く遅く流れているような。そして同時に、とても早く流れているような。
そんな矛盾した錯覚をアルトは抱く。
そして次にアルトの耳に届いたのは、爆音。
音が響くとほとんど同時に、強い光が窓から部屋に入り込んでくる。
どうやら、街の中央で爆発が起きたらしい。
そしてアルトは、爆発の閃光でようやく現実を見た。
そこには、首から血を流して倒れ伏すルッツの死体と、血らしき物が付着した小さなナイフを持って、息を荒げながら立っている男がいた。
爆発の閃光そのものは一瞬だったが、爆発によって発生した火災によって、窓からは常にある程度の光量が入ってくる。
アルトはまだ、動けないでいる。
ただ、抜き身の剣を握る力を無意識に、より強くした。
息を荒らげた男は、微かな光の中でアルトに焦点を合わせる。
そして小さなナイフを捨てて、ルッツの持っていた剣を拾い上げた。
(どうする……)
男の家族を人質に取るか。
アルトがそう思案し、男の妻子を横目に見る。
極限状態の中、男はそんな僅かな目の動きすらも察知して、危機感を抱く間すらなく行動に出た。
流派や経験などもない、ただの素人が駆け出してアルトに斬りかかる。
所詮は室内。アルトと男の間にはさほどの距離があるはずもなく。
男の剣は素人らしく力任せのもので、普段から盗賊団の中で過ごし、多少の訓練も受けてきたアルトにとってはお粗末なものだ。
しかし、緊張状態で全身の筋肉が硬直気味の今は、それでも十分過ぎるほどの脅威だ。
辛うじて防御が間に合うがアルトは所詮13歳の少年でしかなく、大の大人の力任せの一撃を真正面から受け止めた結果、その場で踏ん張る事も叶わず大きく後退する。
そして、後退した時に僅かに体勢を崩したアルトを狙って、間髪いれず男は剣を振り上げる。
アルトと男との位置関係は、窓から入り込む火災の光を男が遮る形だ。
赤い光の後光が差し、アルトよりも遥かに大きな体で大きく剣を振りかぶるその姿は、アルトにある種の畏怖や畏敬に近い感情を抱かせた。
それはまるで、死という絶対的な神にも等しい概念が、アルトを罰しに来たような………。
(死ぬ?どうして?なんで俺が?…嫌だな死ぬのは)
そして、度重なる訓練によって鍛えられてきたアルトの技は、初めての死を目前にして驚くほどスムーズに、そして無意識に、技の動作が馴染んでいる体によって繰り出された。
アルトの剣は男の心臓を的確に貫き、血は剣をつたって床に滴り落ちる。
心臓を貫かれた男は先程までの気迫を瞬く間に失い、そして力が抜け落ちた体の全体重をアルトに預ける。
「生き……てる?」
アルトはゆっくりと現実を飲み込んでいく。
そう。アルトは勝利し、生き延びたのだ。
ただしその勝利には代償として、殺したくなかった男の命がある。
ようやく全ての現実を飲み込めたアルトは、次にその現実を受け入れる事を拒み、その場にへたり込む。
初めて人を殺した手が、酷く震えている。
どうにかして手の震えを抑えようとするが、耳に入って来る啜り泣く声によって、震えは治まるどころか酷くなるばかりだ。
それからどれほどの時間が経ったのか。
アルトの主観では限りなく長く、現実としてはそうでもない。
火の巡りはもうじき、アルトが今いる家に到達しようとしていた。
そしてその時、家の戸を勢いよく蹴って開けてきた誰かがいた。
「おおアル。こんなところにいたのか。探したぞ」
「姉さん…」
アルトの姉のレーダだ。
レーダの服は、何人分のものかも分からないし、考えたくもないほどの血に染まっていた。
全て返り血だ。
「ってアル!血だらけじゃないか。大丈夫か」
「…大丈夫。全部、返り血だから」
「そうか?ならいいけど…うおっ。ルッツの野郎死んでんじゃねーか!アル、大変だったんだな」
そう言うとレーダは、アルトの半身に被さっていた男の死体を蹴飛ばして、アルトを優しく抱きしめる。
強い血の匂いを感じ、咄嗟にレーダを引き剝がしたがレーダは、アルトが恥ずかしがっているだけだと思い、笑った。
「さて、これ以上の長居も危険だ。撤退の合図ももう出てる。アルは馬を呼びな。後始末は私がしといたげるから」
「後始末…?――⁉」
アルトがレーダの言葉を繰り返したのとほぼ同時に、レーダは懐から2本のナイフを取り出し、投げた。
――どこに?
そんな問いは、とても馬鹿らしいものだ。
今この瞬間この空間に、アルトとレーダ以外で生きているには2人しかいない。
「なん…で……」
「ん?どうしたアル。もしかして、あの子供が欲しかったのか?お姉ちゃんにそっくりだな」
レーダは笑う。
初めから、殺すつもりはなかった。
ふざけたことを考えているという自覚はあったが、仲間のルッツが殺され自分の命が狙われるという事態に陥ってもなお、殺す決心はつかなかった。
それでも、殺した。
それどころか、殺した相手がなんとしても守ろうとしていた、殺される必要のなかったものまで、見殺しにしてしまった。
アルトの心はかつてない程に揺らぎ。
しかしレーダは、そんなアルトの様子に気付くことなく、足を止めているアルトに明るく言った。
「どうしたアル。疲れちゃったのか?お姉ちゃんがエスコートしてやろうか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます