我忘れの魔法使い

@sssuo

第1話七色の魔法使い

 「避げろぉぉぉーーーーーーっ!!!!」


 地を震わすような野太い声が右の鼓膜を揺らす頃には、視界はもう青く染まっていた。

 空中の自分の体を、少しだけ遅れて凄まじい衝撃が襲う。反射的に両腕で顔を庇う僕の体の前面を、終わらない衝撃は圧力となって包み込む。

 あつい。自分の顔が、肌が、ジリジリと焼けるように熱い。腕の横をすり抜けた熱風が、顔の端にぶつかり強引に熱を押し付けていく。鮮明で鮮烈な感覚が、一瞬の内に僕の体に刻み込まれる。

 自分の体が後ろに吹っ飛んていることを、内蔵と三半規管が全力で伝えてくる。すぐに、向きの感覚は消失した。圧のかかる場所は無茶苦茶になり、混沌を極める五感に耐えるように体はいつの間にか丸まっていた。

 ふと、体が一方向に引っ張られるような感覚がした。周囲の速さがゆっくりと戻っていき、やがて僕の体は上方向に加速していく。今までとは違う安定的な感覚。僕は目を開けた。

 青い。逆さまになった世界で、下に広がる黒い夜空。頭上には、茶色い平坦な地面が照らし出される。そしてその地面に密着するように、青白い光の柱が蠢きながら横たわっていた。体の中に何かが広がる。ピントが合っているかも分からないというのに、漠然と伝わってくる柱との距離。そして、その膨大な距離の先にありながら視界を大きく占領する光の塊。止めようのない、壮大で絶望的な力の奔流。この湧き上がる感覚は、畏怖なのだろうか。

 動きのなかった頭上の地面が次第に大きくなり、自分が落下しているという事実が実感を伴って伝わってくる。僕は首を上に向け地面を見上げた。硬そうな地面だ。顔からいったら流石にただでは済まないだろう。もう数秒で空中から地中にダイブするというところで、僕は足を畳み体勢を整えた。

 地面に足を付けた瞬間、凄まじい力で膝を着かされる。硬い土に少し足がめり込み、周りにひびが入っている。ふぅと息が漏れた。今はあの青白い柱の下敷きになっている地面を蹴った後、体感では久しぶりの地面だ。右手の平で少しだけ感触を確かめると、僕は立ち上がった。

 後ろから、多くの土を踏む足音が鳴る。こちらに歩いてくるそれを聞いて、僕は少し笑った。

 振り返る必要はない。


「全員いるか」


 野太い声が、当たり前だと返した。お前は死んだと思ったんだけどな。

 青白い柱が、ふっと掻き消えた。柱が流れていた地面は、未だにゆらゆらと残る青い炎で埋め尽くされ、道を作っている。その道のずっと向こうに、星のない夜空が広がっていた。

 その漆黒の空間の中に、白く光る割れ目があった。細長いその割れ目からは、青い炎が漏れ、長く尾を引いていた。

 その少し上に、金色の丸が浮かんでいた。夜空に浮かぶ満月のようなそれは、黒い一つの縦筋を刻みこちらを見つめていた。

 暗闇の中、揺れる青い炎だけがその圧倒的な体をほのかに照らし出していた。

 でっけぇなぁと呟くと、僕は歩き始めた。

 ポケットに突っ込んでいた両手を前に突き出し、力を込める。10本の指の先には、様々な色の小さなオーブが順番に灯っていく。

 ざわざわと溢れ出す高揚感に巻き上げられ、つい口を開く。


「あんなブレスを見せてくれたんだ。」


 オーブが指を離れ、空へ昇っていく。

 やがて星座のように並んだ七色の光の粒は、空中で静止した。

 両手を下ろし、顔を上げる。

 目の前の存在が与えてくる体が軋むほどの絶望感に、少し口角が上がる。

 全身に力を込めた。


「お返しするよ」


 ドンッッと大気圧が増した。星のようだったオーブが黒竜の体に張り合うかのように巨大な光球となり、今にも暴走しそうな程に鳴動を始める。

 体が、迸るエネルギーの解放を激しく訴える。


 僕は右足を大きく踏み込み、高揚感に突き動かされるままに大地を蹴っ・・・・・・。




「にぃに、おきろーーーーーーっ!!!!!」

 甲高い声に耳をつんざかれ、びくっと震える僕の顔面に、間髪入れず冷たい何かが叩きつけられた。

 突然の意識をぶん殴るような衝撃に体が硬直する。と、無防備に空いた口と鼻に大量の液体がなだれ込む。体が反応し、咄嗟に上体をおこそうとする。

 鼻の奥のデリケートな部分に液体が到達すれば、悲惨な未来が待っていることは明らかである。この判断は、七色の魔法使いとしても非常に迅速かつ正確だった。・・・・・・正確だった。

 腹筋に力を込めた僕の上体は、胸全体にかかる、何かとてつもない力によって完全に動きを止められた。

 あ、と思ったときには遅かった。

 想定されていた悲惨な未来に加え、完全に油断していた喉が、液体の気道への侵入を簡単に許してしまった。

「ゲボッ」

 異物の侵入を許した身体はパニックである。どうにかせめてこれ以上の侵入は避けようと、何度も腹筋に命令を下すが、やはり体はどうしようもない力で布団に張り付いたままだった。

 ここは地獄だった。

 数秒の間続いたそれは、頭を横に回すことを思いついた冷静な頭脳によって終わりを告げた。

 頭を横に倒した僕の口、鼻、そして目からは、液体がさらさらと流れ落ちていった。目からは止め処なく流れ出た。

 ゲホッゲホッと咽び泣き、どうにか地獄を脱出した僕は、光を拒む瞼に抗いながら恐る恐る目を開けた。

 目の前には、顔があった。

 ぱちくりとした目が、僕の目を覗き込むようにじーっと見つめる。明るい黄緑色をした瞳がちらちらと光を反射し、宝石のように輝いている。

 彼女はにやにやと満面の笑みを浮かべた顔を逸らすと、

「ままーーーーっ!!!にぃにおきたぁーーーー!!!」

と叫んだ。

 寝耳に水どころか、寝口にも寝鼻にも水を流し込んだ挙げ句、二度も寝耳にバカでかい声を浴びせられたのだ。もちろん、僕にはやるべきことができた。

 遠くで小さく、つれてきてーという声が聞こえる。それにまたアホでかい声で返事をしようとする妹の声がピタッと止まる。青くなった顔で、ゆっくりとこちらを振り向いた。僕はにこっと笑いかける。

「逃げられると思ったか?」

 彼女の足首は、僕の右手に繋がれていた。僕はこの怒りをぶつける方法を考えなければいけない。彼女の逃走の阻止は、必要条件だ。

 そんな僕の顔に、またしても水の塊が叩きつけられた。


 てってってっと小さな足音が僕の部屋を出ていく。

 ぽたぽたと水が布団に垂れる音が部屋の中に響いていた。

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