-第16話- ファントム

「ニーナ、お前さんは統合保安局スプライト事象部から、今だけウクサッカ警察署に出向してきている身だ」

 ヒューゴがジンのグラスを持った手でニーナを指した。




「任期は二年が一般的だから、この事が無くともじきに任期を終えて本部に戻るか別の駐在地へ異動する事になっただろう。まぁL4支部のバーリッツは俺とも古馴染みでよく見知ってるし、真面目だが気さくな奴だからお前さんとも上手くやっていけるだろうさ」


「そうなんですね」

「対して俺はこのカリストで生え抜きの警察官だ。もしウクサッカ警察署を出ていく事になっても、カリストのどこか別の都市か開拓地への赴任となるだけで、まぁカリスト以外の勤務地となる事はあり得んだろうなぁ」


「確かにそれは……そうかも知れませんけど」

「というか俺は、最初からスプライト管轄だったわけじゃない。元々は刑事課で殺人や窃盗なんかを担当してたんだが、スプライト関係の事件に幾つか関わったお陰なのか知らんがいつの間にかスプライト管轄という事になっちまった。そこへお前さんがカリストへ出向してきたんで、バディを組む事になったわけだ」


「私なんかとバディを組まされてお辛かったでしょう、こういう事になってせいせいしてるんじゃないですか?」

「ハハハ、お前も言うようになったじゃないか。ココに来た頃は、借りてきた猫みたいに大人しかったものだがね」


「私だって、主任がこんなちゃらんぽらんな人だとは最初は夢にも思いませんでしたよ」

「ハッハハハッ、いいね! もうお前さんと毒舌の応酬が出来なくなると思うと残念だ」




ヒューゴは少し寂しそうな表情を滲ませながらジンを口に含んだ。

「まぁそれはともかくだ、基本的にはスプライト関連の事件だの事故だのってのは、そんなに大袈裟なもんじゃなくて所轄で対応出来るものばかりなんだよな。そう考えてみると、なんで統合保安局直属の部署としてスプライト事象部なんてものが設置されているのかが分からねぇんだ。本部側が掲げているお題目の、星間犯罪への対処案件なんて正直ごく僅かだ」


「そう言われてみれば……」

「しかもお前さんみたいな能力持ちの奴をわざわざ辺境の警察署に出向させてるときた。ニーナ、そう言えばお前さんは確か祓魔師の家系だったよな。それがどうしてスプライト事象部に入ろうと思ったんだ?」


「はい、何でも母方の本家は祓魔師を中世から営んでいたそうなんですけど、その時代から政府などと隠密組織を通じて繋がりがあったようなんです。それで今でも本家筋は統合保安局の高官と深い関わりがあるみたいです」

 ニーナは話しながら懐から白狐を召喚するための呪符を取り出して眺めた。


「でも、私の家族は傍系ゆえか誰も祓魔能力どころかスプライトを直接『視る』事も出来ないようなごく普通の人達ばかりだったんですけど……なぜか私にだけ白狐が顕現するようになったので、それで本家筋から召喚術などを叩き込まれて……って流れだったんです」


「はーん、鏡雪は祓魔師一族の使い魔だったってぇわけか」

「フン、妾は使い魔などではないぞ。そんな下等な精魅共と一緒にしないでもらいたいの」

 一瞬にしてニーナから姿を変えた鏡雪は、手にしていたグラスのジンを一気に呷った。


「やはり妾にはこういう酒は口に合わんな。大吟醸は無いのか」

「おいおい、ここはアイリッシュバーだぜ。そんなもんあるわけねぇだろ……」

「それにしてもじゃ、統合保安局自体は各天体自治政府間の調整機構として役立っている事には間違いあるまいて。星間犯罪も全く無いわけじゃないからの。その機構にスプライト事象部も納まっている、ただそれだけの事じゃ」

 ヒューゴが注ぎ足したジンを、鏡雪が澄ました顔で呑みながらそう諭した。


「しかしそうは言うがな、じゃあ俺達みたいな所轄がメインで関わった事件簿までもが、スプライト事象部に全部押さえられて機密情報アーカイブに収めちまうのは一体どう言う事なんだ? 一旦そこに収められちまったら、俺達みたいな所轄はいちいち申請して許可を貰わないと、閲覧出来ないっていうのはおかしくないか」


「申請と言っても書類一枚をNRで提出するだけでは無いか。記載すべき項目も簡易だし出しやすかろう?」

「そういう事を言ってるんじゃない。スプライトに関する情報を全部一箇所に集めて管理しようとしてるって事が妙なんだ。そりゃ確かに全部纏まってる方が管理には便利だ。しかしその便利さは、俺達現場の人間の為だけってわけでも無え気がする」


 ヒューゴは自分のグラスにもジンをなみなみと入れた。

「それに極め付けは、スプライトの『存在登録証』だと? ありゃあ一体何なんだ。だいたいスプライトなんざ勝手に湧いてくるもんで、そんなものに登録証が必要なのはおかしいと思わんか。何でそんなにやたらとスプライトを管理したがるんだ? 例えばまるで……そう、スプライトの『叛乱』を恐れているようにも思えてくる」




「……ほう、それはどうしてかの」

「いやこれは単なる勘ってやつさ。まず歴史を紐解けば、あのシンギュラリティ後に国際連合の後釜として人類連合政府が誕生し、その傘下に統合経済機構や宇宙事業共同体、それに統合宇宙軍やら連合司法裁判機構だのと言った各種機関が誕生し、その中に統合保安局もあったわけだがね。基本的にそうした機構設立にあたっての助言を行ったのが、例のAIと『ファントム』だったわけだ」


「彼らの助言は極めて重要なものとして扱われ、実際にその通りに組織作りと運営を行ったところ非常にうまくいった。従ってAI及びファントムと、それを管理するマークスZ社は事実上連合政府の裏方役……と言うよりもフィクサーみたいな役に納まった。いやそもそもからして、地球の国家が統合されて連合政府となる原因となったシンギュラリティを引き起こしたのは当のマークスZだったのだから、そうなるのも道理だったのかも知れんがね」

 ヒューゴは窓から店の外を睨んだ。そこからも市内のそこかしこに高々と掲げられたマークスZのホログラム看板がよく見える。


「連中はそのシンギュラリティで、例えば従来のロケットに代わって完全無反動推進による宇宙航行を可能としたVEGドライヴエンジンや、常温常圧超伝導や常温核融合、各種ナノマシンを用いたテラフォーミングやメガストラクチャー技術……そうした過去の人類にはない画期的で超高度な科学体系と技術を次々に生み出した。その中の一つがスプライトの存在を認める為の各種技術だったが、連中はどういうわけかスプライトを『管理』するための各種法規や組織整備まで行ったわけだ」

「『管理』のう……」

 鏡雪もその事に思うところがあるのか、一瞬だけ薄く笑った。


「しかし人類はあの連中が生み出したこれらの超技術の何割かについては未だに理解しきれてはいない……またそれ故なのか、人類の間ではもはや連中に抗うような気運も無い……」

 ヒューゴはそこまで一気に話すと、喉を湿らせる為にジンの残りをぐっと飲み干した。




 店主が気を利かせたのか、ケットシーが持ってきた日本酒の升酒に鏡雪が目を輝かせているのを眺めながら話を続けた。


「しかしそうなると俺達もまた、まるでAI、いやファントムにいいように騙されながら『管理』されているような気がして仕方ねえんだよな……じゃあ一体何でファントムは、人類とスプライトを管理しようとしてるんだ……? そう、ファントムは例の『オウムアムア』とかいう恒星間天体からやって来た宇宙人、いや人類が初めて遭遇した地球外スプライトなのかも知れねえわけだが……」


 ヒューゴは徐々に目を細めながら声を落とした。

「もしそうだとしたら、連中は俺達を一体どうするつもりなんだよ……昔のSFみたいに、家畜や実験材料にでもするつもりなのかよ……」


「ヒューゴ、お主は少し酔っておるな」

 グラスを両手に抱えたまま、その頭をテーブルにぶつけそうな位に俯かせたヒューゴを前にした鏡雪が顔をしかめた。


「主任、もう帰りましょう。これ以上呑んだら身体に障りますから……」

 升酒を呑み干した鏡雪が満足したとばかりにニーナの姿に戻ると、ニーナは心配そうにヒューゴの肩を叩いた。


「……んむ、うううん……」

「あーもう、こうなっちゃったらもうテコでも動かなくなっちゃうんだから……」


 途方にくれたニーナは、それからオートモーヴを店まで呼んでからヒューゴをその中に放り込み、自身は別のオートモーヴで帰途についたのだった。


 その日以来、ヒューゴとは会っていない。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇  




 そんな事を回想しながらNRのニュースを眺めていると、スプライト留置区画で先ほど捕らえた雷獣の監視を行っていたスタッフがニーナを呼んだ。


「ニーナさん、ちょっと来てくれますか」

気が急いているような態度のスタッフに、ニーナは怪訝な面持ちで訊いた。

「雷獣に何かあったの?」




「いえそれが、何やら言葉のようなものを発し始めまして……」

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