スプライト・ハンター

海亜 弥直

-第1話- 少年と妖精

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 




 漆黒の凍てつく空間を〈彼〉は等速度で旅していた。


[ここには……何もない。何も「見え」ない……どこまでも、空っぽな世界]




 全身の「感覚」を研ぎ澄ました〈彼〉は、自身の体を時々ゆっくりと回転させながら全天を確認するのだが、遥か遠くで瞬く星々の他には何も検出されないのが普通だった。


 地球時間に換算して何百年という間、〈彼〉はずっと独りぼっちだった。

 しかし、今のところ〈彼〉には「考える」機能がなく、従って孤独を感じる事も無かった。

 



 ただ「感覚」によって得られる「経験」だけがそこにあった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 



 

 昏い空の一角を、あたかも皇帝が下々を睥睨するかのように木星が重々しく座していた。




 それを横切ってゆっくりと宙を駆ける光点から、電磁気を司るアールヴと風を司るフレスヴェルグによる定時磁気嵐予報が発せられている。


 きっとあの光点……カリスト最大である軌道都市ミスガルズⅣの中では、今日もアールヴ達とフレスヴェルグとの間でどちらの予報がより正確かで口論が始まっている事だろう。

 しかもその間を通信ラタトスクが仲介するふりをして煽り立てるのだから始末に悪い。


 だが、ヘルメットの内側を空調が間に合わないほどに吐息で白くさせながら氷原の小山を息急き切って登る彼にとってはどうでも良い事だ。

 彼の視界に広がる午後の氷原は、木星光によって薄くオレンジ色に染め上げられていた。

 午後とは言ってもこちらは潮汐ロックされているので、いつだって木星は斜め上の空に固定されていて動く気配はない。

 カリストの自転周期は十六・七地球日なので、移民者達は地球日時法と同じく二十四時間からなる木星標準時を使用していた。

 



「あとー〇〇メートルほど正面に見えるはずだぞっ、そんな程度でバテるなよなヒョロガリ野郎」

 ちょこんと肩に乗っているアンソニーが真ん前を指差した。


「うっ、はぁ……あぁ、分かってるよ」

 氷の小丘を登り切って一息吐きながらも、生意気な妖精へ何とか声を返した。


 振り返ると彼の後ろからはゴーレムボットのサルクスが無言で付いて来ていたが、更にその先を見ると地平線の彼方にウクサッカ・クレーターの縁と、ウクサッカ市中心区に立つビーコンタワーの天辺がわずかに見えた。

 カリストの直径から計算すると、タワーの高さを考慮に入れてもこの場所はウクサッカ市からはまだ二十キロくらいしか離れていない地点になるだろう。


「あれか」

 正面に向き直ってヘルメットバイザーの望遠倍率を少しずつ上げていくと、岩場の奥に大きく落ち窪んだポイントが確認できた。

 同じくバイザーに後付けで備え付けているスプライトセンサーが、そのポイントにおいての微かな群意識場の乱れを検知し、現実と重ねて青白いもやのように表示させた。


「こっちだこっち、そんなトロトロしてんなよっ」

 アンソニーは肩から勢いよく飛び降りると、鈴の鳴るような黄色い声を上げながら氷で出来た岩場を軽い足取りで駆け抜けていってしまった。

 アンソニーの羽がぱたぱたと虹色の軌跡を残しながらヘルメット越しの視界から消えた。

 サルクスも、まるで高山を駆け抜けるカモシカのようにして六本の足を使い器用に岩場を降りていった。


「おい待てよ、こっちは重宇宙服着てるんだぞ」

 街の近辺をうろつくならともかく、遠出をする時は木星からの強烈な放射線から身を守るためにどうしても頑健な宇宙服を使用せざるを得ない。


 人工筋肉で倍力しているにしても、動きがどうしても鈍くなるのは否めないのだ。ただし、こうした汎用重宇宙服は高磁場のみならずガンマ線やX線などの各種放射線や高熱にも耐える仕様であり、たとえ至近で核爆発が発生したとしても内部の人体を守る事が出来るという。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 




「よいしょっと……ここか」


 氷原の一角に穿たれた直径十メートル程のクレーター、その中に潜り込んでいくと中心近くでは掻き回された堆積物がキラキラと七色に輝き、その囁くような声が彼を惑わせた。

 スプライトセンサーからの情報を体内の知覚ナノで増幅しているお陰で、こうした微小な現象的意識ですらいちいち頭の中で拾ってしまう。


「お前達には用は無いんだよ」

 アンモニア混じりの水氷とコンドライトが入り混じってごっちゃになった堆積物による小さな囁きを、ポンポンと優しく叩くようにして抑えつつ、中心部に向かってザクザクと分け入っていく。


 すると、開けたような中心部の真ん中近くにある窪みに、差し渡し五十センチほどの大きめな黒い隕石が鎮座していた。


「よお」

「--、--」

 先に到着していたアンソニーが隕石に話しかけると、その隕石もまた微かに応じたように感じられた。


「オイラはノッカーのアンソニー。そしてそこにいる浅黒ヒョロガリが、このカリスト生まれの人間でシリルってんだ」

「浅黒ヒョロガリってなんだよ」


 シリルがアンソニーの口上に苦笑しながら、彼もまた隕石に話しかけた。

「君はどこから来たのか、分かるかい?」

「--、--?」

 戸惑うような感じの、声というよりも何か揺らぐ信号に近い感覚をシリルに伝えてくる。

「ま、そらそうだよな」「ああ」

 シリルはアンソニーと一緒に苦笑した。


「ちょっと失礼」

 彼は手にした成分分析器をその隕石に当てがうと、しばらくしてヘルメットバイザーへその分析結果が投影表示される。


「おおっ、これは上物だな」

 分析表を見ると、トロイリ鉱のみならずクロマイトやチタン鉄鉱を豊富に含有していた。

「これなら、持って帰っても良さそうだ」

 シリルはサルクスに命じてその隕石をサルクスの背中に積ませると、アンソニーが上に飛び乗り、隕石の表面をぺちぺちと叩いた。

「良い感じだぜ」

「よし、それじゃ戻ろうか」


 シリルはバイザーの時計を確認した。

「っていうか、そろそろアレが始まる頃じゃねーか?」

「確かに」




 アンソニーの言う「アレ」とは、カリストの井戸掘削工事のことだった。


 カリスト地殻の更に下では、深さ一五〇~二〇〇キロもの海水層が衛星全体を取り巻くようにして存在している。

 その層までボーリングして井戸を掘っていけば、都市を賄うのに十分な液体の水が採取可能という事らしい。


 ウクサッカ市はまだ建設途上のドーム都市であり、とりあえず電気は各世帯に来ていたが上下水道などの各種インフラはまだ整備途中だった。

 そこでウクサッカ市当局も、カリスト各地にある各都市と同じようにして井戸を掘って水道を整備しようと計画している。


 しかしボーリング自体は硬い岩石層にぶつかったために止まっており、今日はその岩石を砕くための発破が掛けられるという話だった。

 シリルの父親も技師としてその工事に参加しているので、おおよその時間はその父親から聞いていたのだった。


「しかし、妙に急いでるよなぁ。何でだ?」

「そりゃもちろん、あのイベントの邪魔にならないようにだろ」

 首を傾げたアンソニーに、シリルはそう答えた。


 何しろ、久しぶりに太陽系外から恒星間天体が太陽系内部に侵入してくるのだ。太陽系各地では各種観測システムを整えつつ探査船を送り込む計画を立てるなど、あと数ヶ月後に迫った天体来訪イベントに対応するための様々な準備が進められていた。


 当然ながらカリストにおいても電波天文台を中心とする深宇宙観測ネットワークの調整が進められており、もしそこに発破工事によるノイズが邪魔をしてしまったら、その損害賠償を市当局が支払わないとならなくなる。


 井戸掘削事業を推し進める市当局としては、そうした面倒は絶対に避けたいところだった。

 



 シリル達がクレーターから這い上がったところで、突然地面がドォン、と突き上げるように大きな鈍い振動を感じた。


「うひゃっ」

 サルクスに括り付けられた隕石の上から、ツルッとアンソニーが滑り落ちた。

「ははっ、大丈夫か」

「んだと? オイラはお前みたいにドジじゃねーしっ!」

 ピタッと華麗に地面へ着地したアンソニーが、その中性的な美貌をドヤ顔に決めた。


「とりあえず、上手くいったっぽいな」

 井戸掘削工事が行われているはずの方角を見遣りながら彼は少し安堵した。工事用ビーコンがいつも通り青色に点滅しているので、どうやら事故などは起こしてはいないようだと分かる。


 しかし改めて周りを見渡すと、氷原にある岩場のあちこちが崩れていて氷岩が転がったりしているので、案外この振動の影響は大きいものだったようだ。




「もしかしたら……」

 と、シリルは再びスプライトセンサーを起動させた。

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