第26話『強制執行スキルの真相』
良い匂いがしている。
シチューのみならず、焼きたてのパンも。
タイセイさんの手料理……脳内でレヴィが「羨ましいです……」と恨めしげに呟いた気がした。
(すまん、レヴィ……俺だってこんなことになるとは!)
立派な天然木のテーブル、素朴なウッドチェア。
穏やかな色彩、夜と夕暮れに混じる暖かな団らんの空気。
余りにも当たり前過ぎて、ひどく場違いな気がする。
ここでも何らかの研究は続けているのだろうか。
席に着くなりソータがタイセイを睨んだ。
「お前の言う『鹿肉』は──」
「その懸念も考慮してある。市販の、食用の冷凍肉だよ。本物の鹿だ」
(そう言えばジビエもしてるんだったっけ)
舌打ちでもしたさそうにソータがごねる。
「本当だろうな? 害獣の肉とか捌いてねえだろうな?」
「私をなんだと思ってるんだ。流石にやらないよ、客人にはね」
「客人には?!」
思わず反応してしまった。
軽い揶揄を交えて、ソータが笑う。
「自分では試しててもおかしくはねえよな、あんた」
「ソータ、客人が吃驚してるだろう。そろそろ、私に紹介をしてはくれないのかな?」
(なんだこの! 空々しさが逆に怖い!!)
「あっ、俺、メモリです。メモリ・オージュ。ええと……」
何処まで言って良いのかと逡巡してる内に、タイセイがにっこりと笑う。
「メモリ・オージュ君。外惑星人。強制執行スキルの件と、私の引退について。そして、コグニスフィアについて知りたいと、私に会いに来た──これで合っているかい?」
肘をついて、手を組み、タイセイがメモリを見た。
その一つ一つの動作がゆったりとしている。
「その通り、です」
(俺に言わせる必要無かったじゃん)
「種明かしをすると、先にシビルから連絡は貰っていた。が、まずは腹ごしらえだ。食事をしながら話そう」
すまないが、酒精の類いは無いよ、と炭酸の水を渡される。
「メモリ君、シチューの味はどうかな。口に合うといいんだが」
「えっ、はい、今から!」
正直味など分かりそうにもない。
ええい、と思い切って一口。思ったより普通……というか。
「かなり……美味しい、です」
素直にそう告げると、タイセイは少し擽ったそうに笑った。
「──そうか。人に振る舞うのは初めてだが、これなら成功かな。コクが足りないなら蜂蜜もあるが」
「俺らは道中でルナモス・ハーピー倒して来たとこなんだよ……虫の話すんなよ今」
「ああ、あれか。それは災難だったな」
(普通に良い人じゃん……)
「俺には味の感想、聞かねえのか?」
「辛辣な指摘には慣れて居ないものでね」
(普通に、ソータさんと、話せてるじゃん……!!)
もう今しか無い、とメモリが立ち上がる。
罪悪感に潰されそう。脳内のレヴィが(羨ましいです……)としょげた顔をしている。
なんなら(僕は、僕はどうやったら『其処』に行けますか……)と訴えてきてしまう。
「すみません! 俺と!ソータさんとで! 一緒に写真撮って下さい」
「構わないが。背景はそこでいいかい?」
ごく快く、元CEOが端末を受け取って、メモリとソータを立たせようとする。
「──っじゃなくて! タイセイさんも!!!!」
「お前何考えてんだよ」
ソータさんの冷静な突っ込みが痛い。俺もそう思います。
*
写真に関しては、ソータさんに「すみませんこれだけは土産に頼まれて」と言うと舌打ちで許された。
きれいな笑顔のタイセイさん、やや引きつった俺、迷惑そうなソータさん。きっとレヴィも喜ぶだろう。
「さて。先ずはどれから話そうか」
シビルさんとの通信は、接続安定にもう少し時間がかかる筈だ。
今聞けることは──メモリが目を閉じ、そして決断する。
「タイセイさんはどうやって『外』と連絡を取っていたんですか?」
じっと見つめるメモリに、タイセイは穏やかな笑みを浮かべた。
「『ブリッジ』というプログラムを使っていたんだ。指定した通信に直接割り込める特殊なものだよ。ただし、今は使えない」
「……やっぱり、あれはお前だったんだな」
ソータの声に苛立ちが滲む。その前にメモリが割って入った。
「じゃ、『強制執行』スキルについても何か知ってますか」
タイセイはゆっくりと瞬きをして答えた。
「シビルの報告も読んでいる。ああ、原型は私が作ったものだ」
「え──」
「まず、私から説明しよう」タイセイは静かに口を開いた。
はっとして、メモリも己のスキルを展開する。
「強制執行スキルの原型は私が作ったが、実用化は出来ないと判断して途中で止めた」
「なぜですか?」
「人の思考をコピーし、他者に上書きするシステムだからだ」
メモリは息を呑んだ。
「つまり──他人の意識を、別の人間に移植できる」タイセイの声は冷静だった。
「ジョーに託して、厳重な金庫に保管したはずなのだがね」
──嘘は言っていない。
メモリの『オブザーバーズ・アイ』でも、全くの真実を語っているように見えた。
「感情制御システム……みたいなもの、ですか」
「ああ、いや。流通しているそれとは違う。あれは感情が高ぶり過ぎた時に落ち着かせるものだろう」
メモリの言葉に、タイセイが穏やかに応える。
「私が作っていたのは、思考そのもののコピーだよ」
ソータが唸る。
「シビルが似たようなものを作ってたな。強制執行スキルを解析してる時にできたって。あいつのは動きをコピーするもんだったが……考え方か」
「神経と筋肉の干渉を応用したものかな」タイセイは静かに説明した。
「サフィラ粒子の共鳴で思考回路を操作するものだ」
メモリは頭を抱えた。
(催眠術どころか、完全な意識操作じゃないか──!)
「私の目指したものは違ったんだが」タイセイは続ける。
「あまりに危険すぎた。だから開発は中止した」
(とんでもないものを作っちゃってるよこの人は!)
深いため息が漏れる。
「とはいえ、完全な破棄は惜しくてね、凍結したつもりだったが──」
「おい」ソータが机に突っ伏す。
「人を操るスキルなんか表に出せる訳がないだろ……研究してたってだけでも批判で炎上すんぞ」
「目指した処は違っていたんだ。残念だよ。欲望との戦いになるような技術だからね」
タイセイの声に諦めが混じる。「致し方ない」
「へえ。だったら、メモリは合格だろ」ソータが言う。「使えた相手に使わなかった」
「いや、それは、買いかぶり過ぎですって!」
慌ててメモリが手を挙げる。
「インスタンスで使えてしまったし、本当に効くかどうか、試そうとしました、俺は。もしレヴィがもっと性格の悪い相手だったら──、使ってたかも、ですし……」
「ぶちまけすぎだろ」
メモリの正直な告白にソータが眉をひそめる。
そこに、ゆっくりとテーブルを指で叩きながら、タイセイさんが楽しげに加わった。
「それこそがメモリ君の、恵まれた教育と環境の証ではないかな。中央に近い外惑星人らしい、高いモラルだ」
そして声を落として続けた。
「外縁部で会った人々を思い出してみたまえ。彼らが無制限の『強制執行』を手にしたら──どうなると思う?」
ふと。人狼の姿をしたロイを思い出す。
言われた通りの想像をして──、あの最期の別れ際、下からねめ付けるような視線が脳裏に過る。
『ずりぃよなぁ……』
危険を感じた瞬間。力尽くでも奪えるならという気配。
それらを思い出してしまって──ぞっとした。
「……、俺、いや。これは。でも……、これも、偏見かも、だし。そう、とは……」
「このスキルは、人を信じて振る舞うにはリスクが大きすぎる。だからそこで止めたんだ」
詰まらなさげにタイセイがそう言葉を締める。
「私の研究の本来の目的は」タイセイは慎重に言葉を選びながら説明を始めた。
「脳の可能性を広げることだった。他者の思考パターンを体験することで、未使用の脳領域を活性化できないかと」
タイセイは少し間を置いて、「それに、私自身の思考回路を他者に体験して貰うことも──」と言いかけて口を閉ざした。
「いや、それは別の話になるな」
メモリは眉をひそめた。
他人の意識を上書きする、あるいは自分の意識を押し付ける──どちらにせよ、危険な発想だ。
ソータが何かを思い出すように声を上げた。
「……普段使わない筋肉、と同じ理屈か。なるほどな」
そう言って、ソータはシビルの研究の話を始めた。
シビルは最近、他人の動作を完璧にコピーできるシステムをソータ達と一緒に実験していたという。
その話を聞いて、タイセイは満足げに微笑んだ。
「さすがシビルだ。私の研究を別の方向から追求したわけか。実験台になったレヴィ君の感想も聞いてみたいものだな」
(いやいやいや何気にレヴィが実験台にされてて笑い事じゃないんだけどこっちは?!)
メモリが息を吸う。
「あの、実際のレヴィにも、会ってやってください」──研究対象としてじゃなく。
「うん?」
興味深げにタイセイが返す。
「あいつタイセイさんのファンなのに、ここには──その、スキルのことあがって、来れなかったから」
「それは。申し訳なかったね」
「どうして引退されたんですか?」
「ああ、その話は」
メモリが食い込むように質問した、その時。シビルの通信が繋がった。
タイセイは穏やかに手を上げる。
「しかし、少し疲れた。その話をする前にデザートでも出そう」
「また!?」繋がった途端の宣言に、シビルが画面越しで声を上げる。
「いつもなんですか、この展開」
「彼の場合、ティーブレイクではなくイートブレイク」シビルは呆れながらも懐かしそうに微笑んだ。
「まあ、変わってないのは安心できるけど」
いやでも流石に『裏庭で採れたアオイロのブルーベリータルト』が出てくるとは思わなかったよ?!
脳裏のレヴィが最早涙目なんですけど?!
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