閑話・外周区画 F-17にて


 その、夜。


「くそ! 間に合わねえ!!」


 若い警備員が通信機に叫ぶ。水流の予兆警告と規模が、想定以上に大きい。

 水流の安定確保エリアを越え、居住区に到達する勢いだ。


 水圧と流れを制するため、シェルターを閉め別区画へ誘導する。

 居住区の地下は水を逃す為にその数十倍の巨大な迷路状態となっていた。緻密に計算された『水圧殺し』の機構。

 

 十分な余裕をもって作られた、一見、無駄な巨大構造──。ここアオイロでは、人の命を守る空洞だ。

 深部はドローンによって自動補修され、居住区に近い部分は侵入禁止の制御機構が何重にも設けられている。


 そこで、あってはならないことが起こっていた。

 水圧で埋まる空洞エリアに、亜人種の子供が迷い込んでいる。好奇心か、冒険のつもりか。或いは、隠れ住む場所を求めてか。


 メンテナンス中など、万が一の想定で、警告と避難ルートの表示は行われている筈だ。

 だが生体反応は動こうとしない。恐怖で固まっているのか、動けない状況なのか。


 監視カメラを移動させ、ドローンを先行させる。

 救助に走るも、帰れるかどうかは最早不明だ。あと一区画、せめて居住区側に戻ってくれれば!


「聞こえるか、逃げろ、早く! そこは水で埋まる! 応答しろ! どうした!!」


 ようやく捕らえた映像の先に、ボロを纏って痩せこけた猫の亜人種が居た。

 暗視は利く筈だ。こちらを振り返る。奥の方で青い光が走り、地鳴りが響き始めた。もうすぐ、水が、来る!


 早く、と怒鳴る警備員の通話が起動する。

『位置を報告しろ。詳細に』


 反射的にその位置を復唱する。遅れて、理解が及んだ。


「ソータさん?!」


『最短経路は』


「は、はい! F-17E、S5、6IN、サブ4! F-17-85の水流到達まであとおそらく、1分50──」


『了解。30秒で到着。その間、しのげ』


「えっ? あ、待って……!」

 通信が切れる。


「くそ!」

 傍らの少女を庇いながら、少しでもルートを遡り、居住区側へと走る。

 どおん、どおんと打ち付ける音が響き、シェルターに蛇行させられた水が、猛るように暴れ狂っているのが伝わる。


 多少の『スキル』は使える。水圧を少し、削ぐ程度の。だが、それが通用するような水壁か、あれが。

 青光を直ぐ背後に感じた。


 ──来る。

 

 『エア・バースト』を発動準備した。神に祈るしかない、そう思った時。


 風が、舞った。

 黒羽織が翻る。


「──退け」


 一閃。

 轟音と共に、巨大な水流が真っ二つに裂かれた。稲光のような、青。

 生き物のようにのた打つ双頭が、渦を巻く。


「っ……!」

 警備員が息を呑む。


 壁が青く光り、その水圧の凄まじさを物語る。

 今にも制御を外れたそうに暴れていた。


 その中心に、ソータの姿。

 黒い羽織が、水飛沫を弾く。


 刀を構えたまま、彼は微動だにしない。

 信じがたいほどの緻密なコントロールで、保たせている。

 人知を超えた領域、という言葉が脳裏に過った。


「ソータ、さん……!」


 黒い羽織の男は、振り返りもしない。

「先に走れ、分かるな?」


「は、はい!」

 必死で端末を確認する。


「青ラインで避難、ルート確保!」


「了解。──行け」


 その声に、子供を抱えて弾かれるように走った。ともかく、生きて、戻れば。走れば。

 地上に、居住区まで、辿り着けば!

 背後はもう気にしない。背中は、あの人が、守ってくれる!


 奥歯を噛み締めて、息の限りに。迷いは無かった。



 ──サフィラ粒子の光る、青い夜空。

 水流は当初の想定通り、無事安全区内で処理された。保護した筈の子供から、仰向けに倒れた顔を覗き込まれる。

 耳の大きな、小さな子供。

 何か声を掛けないと、と思うも、息が整わず、まともに声が出ない。

 

 ぶるぶると震えた手が、そっと、額に当てられる。

「おにいちゃ……、ありがと……」


「ああ。良かっ……、た……!」


 びくっ、と小さな手が跳ねるも、怒られた訳ではないと、伝わりはしたらしい。


「お前」


 じゃり、と砂が鳴る。黒羽織が、夜空を遮った。体を起こす。


「よく諦めなかった」


 警備員に、ソータが告げる。

 月よりも輝いて見える、黄金の──ラングランの獅子の瞳。


 ふと、緩む。


「おかげで間に合ったよ」


 後は管理部に、報告頼む。と言い残しソータが背を向ける。


「まだ、慣れて居ないんだろうが。亜人種に、大きな音と光は、やめてやれ。動けなくなるんだ」


 ──は、と息を呑んだ。それで。動けなかったのか。

 基礎知識じゃないか! と自分を責める。この子供がどうして迷い込んでいたのかは、後だ。

 くぅ、と横で腹の鳴る音がする。自分のポケットを探り、夜勤の傍ら口に転がしていたミントビスケットを取り出す。


「これ、どうだ」


 う、と鼻にしわを寄せるも、齧り付く。


「──変な匂い。美味しくない……」


「そんな顔して食う奴居るかよ、はは……よっぽど腹減ってたんだな」


 その通りだった。その数日後、警備員は猫にとってミントは厳禁だということを知る。

 亜人種についての無知を思い知り、以来、そこから猛勉強したという──。


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