君に手向ける花はない
ゆつみかける @猫部
第1話 だって、あなたが
白とベージュを基調に整えられたセレモニーホール。白菊とユリで飾られた祭壇。純白の花弁が、故人への最後の贈り物だとでもいうように優雅な香りを撒き散らしている。白檀のお香と混ざり合い会場全体にただようその香りに、頭痛を誘われて奥歯を噛み締めた。
「うっ……うううっ……なんで、なんでぇ……」
いまにも崩れ落ちそうなところを数名の女生徒に支えられ、嗚咽を洩らしている人物が目に入る。林カナエ。僕と同じ図書委員で、水瀬ミヤコと同じクラス。一緒にいるのを何度か見かけたことがある。仲が良かったのかもしれない。
「
「ん? ああ……」
水瀬ミヤコに対する特別な感情も、この場にいる義理もないのに、皆と同じく神妙な顔をして僕は焼香の列に並んでいる。早く外の空気が吸いたい。この会場の
気丈に振る舞う遺族へ一礼、つぎに祭壇へ一礼。焼香台の前に立ち、指先で抹香を摘み取る。一連の形式的な動作を終えたあと、控えめな笑顔を浮かべる遺影を見つめた。水瀬ミヤコ。間違いなく彼女の顔。間違いなく、これは彼女の葬儀。
***
葬儀会館を出た途端、視界が白けて夏の強烈な日差しが容赦なく照りつける。何事もなかったかのように青く晴れ渡る空。耳をつんざくセミの鳴き声。重苦しい空気から解放されたのはいいが、今度はじっとりした湿気が全身を包み込む。
「……暑い」
額に浮かんだ汗を手で拭い、ゆるやかな坂道を登り始めた。平成二年、七月二十七日。高校二年の夏休み、二日目。本来ならば、エアコンを効かせた涼しい部屋で、冷たい麦茶を片手に小説でも読んでいたはず。背中にシャツを張り付かせ、汗を垂らしながら土地勘のない町を歩く予定なんてなかった。
「なんで僕が……」
道の先に見えてきた小さなバスの待合所に入り、いつのかわからない新聞が放置されている古びたベンチに座る。風はほとんどなく、空気は生ぬるいままだったが、直射日光から逃れることはできた。ここなら少しは落ち着ける。
「死んだのか、本当に」
頭の中には依然として、笑みを浮かべる水瀬ミヤコの遺影が居座っていた。うつむいて、足元の砂利をぼんやりと眺めていると、不意に視界の端に女の足が現れる。艶のある焦げ茶色のローファーがつま先を揃えて僕の前に立った。
「満足した?」
凛とした声が、湿気た空気を切り裂いて耳に届く。目の前に立つ女が誰なのか理解はしている、でも確認したくない。心のどこかで、これが現実ではないことを願っている。
「……」
それでも仕方なく、顔を上げた。濡れ羽色の長い髪をなびかせたセーラー服姿の女が立っている。僕の通う
「本当に死んでたでしょ、私」
「……ああ」
葬儀の主役。飾られていた遺影のご本人。水瀬ミヤコ。全身がうっすらと透けている以外は何も変わった様子はない。いや、花もたじろぐ十七歳。死んでなお生き生きとしているようにすら見える。本当に、どうして僕がこんな目に。
***
「昨日、死んだの」
七月二十五日、夜。とつぜん僕の部屋に現れた彼女は開口一番にそう告げた。どうやって部屋に入った、なんの冗談だ、いますぐ家から出ていけ、そんなことをまくし立てたような気がする。ほとんど面識のない女が土足で僕の聖域である自室に踏み込んだことに、なによりもまず腹が立ったのだ。
しかし水瀬ミヤコは一歩も引かなかった。何を考えているのかわからない涼し気な顔で僕を見つめるばかり。口で言っても理解してもらえないなら、力ずくで追い出すしかない。
「もういい、早く来い!」
そう言って、彼女の腕を掴む。掴んだはずだった。伸ばした僕の右手は彼女の体を突き抜けて、空を切る。
「……どうなってる」
「だから私、死んだのよ、来栖くん」
「そんな、馬鹿なこと、あるか」
水瀬ミヤコが困ったように微笑んだ瞬間、一階の固定電話の呼出音が鳴った。しばらくしてから部屋のドアの前に人が立つ気配。
「ハヤトちゃん、いいかしら……」
ドアを開けると、いつにも増して青白い顔をした母が立っていた。自分を抱きしめるように片手でもう一方の腕の肘をつかみ、不安げに眉を下げている。電話でなにか悪い知らせを受けたのだと
「どうしたの? 母さん」
「あのね、ハヤトちゃんと同じ二年生の……水瀬ミヤコさんって知ってる? 明後日、ご葬儀があるらしくて」
「親しくはなかったけど、顔は知ってるよ。亡くなったの? どうして?」
母は少し
「それが……昨夜、ご自宅で首を吊ったって……」
「……そう。わかった、気が向いたら顔を出してみるよ。場所は?」
「
「大丈夫だよ。心配しないで。ありがとう、母さん」
ドアを閉めて、水瀬ミヤコに向き直る。あわよくば消えていて欲しかったが、彼女はさきほどと同じ場所に立っていた。
「信じないぞ、タチの悪いイタズラだろう。母まで巻き込むなんて何を考えているんだ、ふざけやがって」
「……。イタズラじゃないよ。私、本当に死んだの」
「それが本当だとしても、どうして僕の前に現れるんだ。化けて出られる理由なんかない」
言葉をぶつけるように問い詰めると、水瀬ミヤコは一瞬だけ視線を落とし、唇を噛んだ。
「それは……だって……」
怒りをあらわに彼女を睨みつける。なんであれ、こんなタチの悪い悪戯を許す気は無い。しかし、水瀬ミヤコの口から零れでた言葉は、僕が予想もしていないものだった。
「だって、あなたが私を殺したのに」
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