第五章:酔ひて沙場に臥す、君笑ふこと莫かれ

第53話 旗を掲げ、征く

雀宸殿には、皇帝の姿はまだ見えない。

だが、群臣の間ではすでにざわめきが広がっていた。


その中心に立っていたのは――一人の若き女性。

林凛音。


女子でありながら、この朝廷の場に召し出されるという異例の事態。古今東西、これほど異例なことは滅多にない。


「どうして女がここに?」


「林家の娘だと聞いているが、なぜこの場に……」


抑えきれない好奇と困惑の声が囁かれる中、凛音は迷いもなく、堂々と前を見据えている。


一体何のために?


その問いが空気を漂う中、雀宸殿の扉が重々しく開かれる音が響いた。

「皇帝陛下のお成り!」


「近日、流賊の侵入が相次ぎ、辺境の治安は大いに乱れている。駐屯兵団の内部は腐敗が進み、士気も低迷している上、隣国・蒼霖国が辺境に軍を集結させているという報が入った。その意図は未だ不明――朕は林将軍の娘、凛音を派遣する。軍を率い、この難題を解決させる。」


皇帝は玉座に深く腰掛け、肘掛けに軽く手を添えつつ、気迫と威厳を漂わせながら、その言葉をゆっくりと告げた。


「陛下、恐れながら申し上げます。辺境の問題は極めて重大です。林凛音殿では、さすがに荷が重すぎるのではないでしょうか。」

「微臣も同じ意見でございます。経験の浅い若者を前線に送るのは、あまりにも危険かと存じます。」


「ほう?朕はむしろ、この若き女子が朝廷の重臣たちよりも、よほど落ち着いているように見えるが。気迫にも満ちておるではないか。」

皇帝は冗談めかしつつも、どこか真剣な口調で言った。そして、凛音へと視線を向けた。 「凛音、試す時だ。そなたには、任せるに値する才能がある。」


「陛下のご期待、必ずや応えてみせます。」

凛音は背筋を伸ばし、一歩前に進み、膝を折って深く頭を垂れた。


朝議を終えた後の池雲居。

「父上、私も行きます。」


蓮は抑えた声で告げた。その顔には、いつもの軽薄さは微塵もなかった。


「蓮、無謀な真似はやめよ。お前の選択は国の未来を左右するのだぞ。」

「しかし――」


「黙れ。お前は最近、朕に王位を継ぎたいと申したな。ならば、堂々たる皇子が軍に紛れ、戦場に出るなどという軽率な行動をどう説明するつもりだ?」
皇帝の目には厳しさと試すような光が宿っていた。
「これでは皇帝の器などあるまい。お前には覚悟がないことを証明しているだけだ。」


「違います。」
蓮は一歩前に進み、堂々とした口調で言葉を続けた。
「正に、王位を継ぎたいと思っているからこそ、私は行かねばならないのです。」


「ほう……?」


「この国の現状を、この目で見なければ、何も語る資格はありません。

助けを求める民を、私自身の力で救わなければ、何を変える力も得られません。

荒れ果てた軍を、自らの威厳で立て直さなければ、統治者としての信頼も築けません。

そして――私の大切な人を、この手で守らなければならないのです。」


その言葉は、いつもの蓮の軽妙な態度とはまるで別人のようだった。
彼の瞳には真剣さと強い決意が宿り、皇帝はしばし沈黙した。


「蓮、お前がそこまで言うのなら――よかろう。ただし、戦場は生半可な覚悟では乗り切れぬ。
自分の言葉がどれだけの重みを持つか、覚悟しておけ。」

「承知しております、父上。」


天色が微かに明るみ始め、軍営にはまだ朝霧が立ち込めていた。林将軍と林凛律が営門前に立ち、凛音を見送っている。


今回の旅立ちは、前回とは明らかに異なっていた。凛音の傍らには李禹だけでなく、蓮と清樹の姿もあった。これから向かう先で、彼女はどんな人々と出会い、どのような経験を積むのだろうか。その答えは、旅路の中で次第に明らかになるだろう。


急な命令ゆえ、凛音専用の女性用軍服は用意されていなかったが、彼女は普段の凛雲としての衣装に身を包み、心穏やかで落ち着いた雰囲気を醸し出している。

今回の旅では、もはや林家の次男を装う必要はない――彼女は堂々たる「林凛音」としてその名を掲げる。


だが、いつの日か――彼女が「千雪」として、その真の名を背負い、この広い世界を歩む日は訪れるのだろうか。


「凛音、軍の指揮は重い責任だ。冷静になり、慎重に行動しろ。辺境の問題は複雑だが、お前なら必ずやり遂げられると信じている。」

林将軍はそう言うと、自らの腕帯を外し、凛音の手首にしっかりと巻きつけた。その動作は言葉以上に深い信頼と庇護の想いを表していた。


一方、林凛律は短く息をつき、一瞬迷うような表情を見せたが、最終的に蓮へと視線を向けて言葉を紡いだ。

「蓮、王都はこの私が守る。代わりに……音ちゃんのことを頼む。」


「凛律、心配しすぎだよ。」 蓮はいつもの軽い調子で笑みを浮かべつつも、少し真剣な眼差しで凛音に視線を向けた。「凛凛の武術はお前が鍛えたんだろう?育てた弟子を信じろう。それも兄の役目だ。」


「お兄様、心配無用と言いたいですが……」 凛音は一歩前に進み、凛律を見つめ、一呼吸置いてから続けた。「お兄様に安心してもらえるよう、精一杯頑張ります。そして……私もお兄様のことを思いながら戦います。」


その一言で、凛律の緊張した表情がほころび、心が和らいだ。彼は照れくさそうに微笑み、そっと凛音の頭に手を置いて優しく撫でた。

「待っているからな。無事に帰ってこい。」

その言葉には、凛音への深い信頼と兄としての愛情が込められていた。


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12.16

先週この話を書いている時、蓮があの台詞を言う瞬間、自分の中で彼が一回り成長したように感じて、少し感動しました。第五章では、蓮自身の運命がいよいよ動き出します。ぜひ最後まで温かく見守っていただけると嬉しいです!

ちなみに、次回の凛音は超かっこいいですよ!お楽しみに!

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