創作者への祝福と呪い

霧江サネヒサ

霧江サネヒサの話

幼い頃から、物語を食べて生きている。

私は、小児喘息で、しょっちゅう入院する幼少期を過ごしていた。

外で遊べない私に、親がたくさんの絵本を買い与えてくれたので、いつも物語が側にあった。

グリム童話・アンデルセン童話・イソップ物語・日本昔話など。

幼稚園に入った私は、将来の夢を聞かれたら「お花屋さん」と答えていたが、本当は、「働かなくてはならないなら大人になりたくない」と思っていた。嫌なガキだな。


小学生になった頃、私は、児童向けに書かれた「透明人間」と「シャーロック・ホームズ」に出会った。

これは、私の根幹に関わる出来事であり、SFと探偵もののオタクになるに至る分岐点だったように思う。

そして、国語の授業でリレー小説を書くものがあったのだが、これが私が初めて書いた小説になる。

私は、小説の勉強をしたことがあまりないが、国語系の授業は、学生の間にずっと真面目に取り組んでいた。

その貯金だけで現在まで小説を書けているとまでは言わないが、真面目にやって損をしたとも思わない。

小学生の私は、ホラーも好きなオタクに育っていった。オカルトブームもあったし、貞子ブームもあったからではないかと思う。

魔女に憧れていたし、憎い相手の人形を作って呪ったり、こっくりさんをやったりした。

パソコンの授業を受けるようになってからは、インターネットで、好きな作品の二次創作小説を読み漁る妖怪と化す。


中学生になった頃。私は、江戸川乱歩の「孤島の鬼」に出会い、衝撃を受けた。

作中に出てくる探偵が、謎を解かずに退場したからである。

「そんなことしていいんだ」と、びっくりした記憶がある。

探偵とは、必ず真実に辿り着く装置だと思っていたのだが、それは探偵ではなく、“名探偵”なのだと気付いた。

また、同じ時期に、オリジナル小説をノートに綴り、友人と互いの創作物を読み合って遊んでいた。それと、雑誌のファンロードに文章ネタを送り続けてもいる。


高校生になった頃、ホラー好きのクラスメイトと怪談や世界の拷問の話をするオタク。

この頃の私は、ガラケーのメール機能で小説を書いて、ひとりで楽しんでいた。

高校二年生の頃に、うつ病になったが、なんとか高校を卒業し、大学に入学する。人文学部に入ったのだが、わずか十日で通えなくなり、引きこもりになった。

数年、家にこもり、物語だけをよすがに生きていた。小説・漫画・アニメ・映画・ゲーム・音楽など、媒体は問わない。

私は、自分で物語を創り、全ての物語を同一世界とした。オタクは、そういうのが大好き。火の鳥とか。


これは、私が文筆家と名乗るようになり、ペンを持ち続ける物語である。

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