第16話 転校初日

 芽黎がれい八年九月二日、月曜日。

 夏休み明け初日のその日、燈真の初登校となった。


 一限目の新学期の挨拶の時間は職員室で学校設備の説明を受け、あとは守るべき最低限の校則を聞かされた。妖怪の学校なので人間の学校と違い少々荒っぽいところがあるから注意してくれと、担任で生物教師の御薬袋康弘みないやすひろ先生から言われた。

 御薬袋先生は鹿妖怪であり、外見は四十過ぎの少しくたびれたおじさんである。よれた白衣を着て、その下は季節を問わずカーディガンとチノパンらしい。どこかやる気のない風貌で、声も抑揚がない。だが、周りの先生が言うには誰よりも生徒思いで、かつては燦月市民病院に勤める内科医だったという。


「そろそろ教室行くぞ、漆宮。リュック忘れんなよ」

「はい」


 学校はカバンの指定がなかったので、燈真はリュックを持参していた。中学に入学する際に近所のスポーツショップで買ったもので、見た目以上に容量があるものだ。そこには買っておいた教科書と、筆箱、それからタブレットと水筒が入っている。

 校風にもよるが、この学校では紙媒体の教科書とノートを用いるのだという。過去に大規模な太陽フレアの影響で一度電子機器が軒並み狂ったことがあったので、科学技術の制限というのも相まって世界は再びアナログなものに着目したというのもある。

 世界中で植林や森林再生が進むのも、そういった側面があった。そのための技術供与を、妖怪や、西洋では魔族と呼ばれる連中が行なっている。


 廊下を歩いて三階の一年二組の教室の前まできた。先生が「じゃ、少し待ってろ」と言って先に教室に入る。

 御薬袋が教室に入ると、ガヤガヤと騒がしかった教室が少しずつ静かになった。


「おはようさん。全校集会お疲れだったな。えー、夏休み明けから六限授業ってわけだが、まあそう気負わずこなせる課題から取り組んでいくように。ややこしく考えるとそれだけで疲れるからな」

「せんせー、転校生のこと紹介してくださーい」

「それを尾張が言うのか? 一緒に暮らしてるって聞いたが」


 クラスに笑いが広がる。

 御薬袋は肩をすくめ、「溜める必要もないか。入ってくれ」と廊下に呼びかけた。


 燈真はドアを開けて、教室に入る。

 制服の黒ブレザーと黒のスラックス、紺色のネクタイ。左胸の襟に校章のバッジをつけ、いつになく緊張した面持ちの燈真は一礼してから名乗った。


「漆宮燈真です。実は七月から村にいました。前にいた高校でその……問題に巻き込まれて、転校してきた次第です。今は稲尾さんの家で修行をしつつ、退魔師をやってます。短い間になりますが、よろしくお願いします」


 パチパチと拍手が起こった。

 周囲からは「好青年って感じじゃん」とか、「くっそー、稲尾さんと同じ屋根の下暮らすとかマジかよ」という嫉妬や、「部活はやっぱ入んないのかな。退魔師ってことは妖怪部門の陸上競技できそうじゃん」「な。レギュラー狙えそう」とか聞こえてくる。

 燈真は部活に関しては帰宅部か、あるいは幽霊部員で住む場所を考えているが――。


「漆宮、席は一番後ろだ。尾張の後ろだな。……言っとくが、一番後ろって結構見える場所だから他所ごとはあんますんなよ」

「わかってますよ。てか、さすがに高校生にもなってそんなことしませんって」


 言いながら、燈真は己の席についた。

 リュックを机のフックに引っ掛け、教科書類を机の中にしまう。


「さて、新しい仲間を迎えたところで二学期の係ぎめをするぞ。手早く決めていこうな。まずは学級委員長から、立候補するやつは挙手しろー」


 そう言って、御薬袋は宣言通り手早くクラスの係を決めていくのだった――。


×


 基本、稲尾家の学生組は学食で食事を済ませるらしい。

 伊予も忙しい身であり、毎日毎日弁当を用意するのは困難だと言うことだった。なので椿姫たちは気を遣わないでくれと言って、柊から学食代をもらって高校にある学生食堂を使用することにしていた。

 午前中の四限目を終えた一行は、渡り廊下を進んで学食に向かっていた。


「学食って初めてだな」

「燦月の高校にはなかったの?」

「いや、学食はあった。なかったのは俺の持ち合わせだな」

「んだよ、なら今は全然問題にならねーじゃん」


 燈真、椿姫、光希。そして――。


「燈真、俺らと美術部やらねえか? いや絵とか描けなくても全然そういうの――」

「燈真君ってお姉ちゃんのこと好き? それとも椿姫狙ってる?」

「心音、流石に失礼すぎるぞ」


 光希の悪友である人間の雄途、万里恵の妹である猫又・心音、そしてハーフエルフのチッカが一緒にいた。

 六人は燈真の転校初日から一緒につるむ間柄になってしまい、結構な大所帯で邪魔にならないよう道を歩く。


「万里恵のことも椿姫のことも仲間だと思ってるよ。それだけ。美術部は……俺、部活ってまともに参加したことないんだよな」


 学食についた。平屋の建物で、中には長卓が一定の間隔で並んで設置してある。卓一つにつきスツールが六つ、向かい合わせに三つずつ並べられていた。

 燈真は食券機でカツ丼大盛りを選んだ。それを窓口に出し、呼び出し用のベルを受け取って席を取る。

 六人が座ると、光希がバシンッと手を合わせて燈真に懇願した。


「頼む! 三年の先輩が文化祭を最後に引退するんだ! そうすると活動最低人数の三人を満たせなくなるんだよ! 存続の危機なんだ!」

「そうは言っても、俺は何すればいいんだ」

「ヌードデッサンのモデルでもやってあげれば?」


 椿姫がそう言った。心音が「ブルータスみたいな?」と純粋に聞いて、チッカは「ぶふっ」と吹き出し、雄途は「ええ……」と引いている。


「そんなの石膏像に頼れよ。俺じゃなくてもいいだろ」

「ばっか椿姫! んなこと必要ねーよ! ポーズドローイングのサイトみりゃ充分――って、そうじゃねえ」


 光希が頭を下げた。


「ちょっとした雑用手伝ってくれるだけでいいんだ! とにかく美術部がなくなると俺の青春が終わっちまう! か弱いハクビシンを助けると思って、頼む!」

「雷獣はか弱くねえだろ。……まあそこまで言うならいいけど、ほんと備品の生理とか荷物持ちくらいしかできねーぞ?」

「全然構わねえよ。むしろ助かる。俺と雄途が作品出す分、お前は縁の下の力持ちをやってくれ」

「俺からも頼むよ燈真。ほとんど漫画研究会の方に人取られて、美術部ピンチだからさ」

「しゃあねえな……」


 言い切る前に、光希が燈真に抱きついた。

 随分感激しているようで「さすが俺の弟分!」と言ってバシバシ叩いてくる。地味に放電していて痺れる。勘弁してほしい。


「これは上質なBL! カロリーが高い!」

「違う、絶対違うぞ心音」


 心音とチッカがそう言っている間に、ベルが鳴った。


「放せ光希。痺れるし暑いし飯できたってよ」

「ああ、悪い。感激しちまった」


 弟弟子たちの熱い友情に興味がない椿姫は「ほらいくわよ」と言って、心音とチッカを伴ってさっさと食事を受け取りに行っていた。結構薄情なんだな、と燈真は思いつつ、男三人も受け取り口に向かうのだった。

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